40項目について扶桑社と自由社を比較すれば
――――『歴史教科書が隠してきたもの』の補足――
小山常実
平成21年7月10日
先月、筆者は『歴史教科書が隠してきたもの―――「中学校歴史」各社教科書を総点検する』(展転社)を出版した。著書の執筆を始めた時には、藤岡会長他の著作権を侵害している扶桑社の歴史教科書が平成二十一年度教科書採択の候補になるとは考えられなかったので、扶桑社を除く八社(旧大阪書籍版は日本文教出版から発行されることになったので、七社八種になった)の教科書を検討した。ところが、文部科学省が作成した平成二十一年四月の教科書目録には、扶桑社の教科書が掲載されていた。
そこで、筆者は、扶桑社の教科書についても、自由社との違いに留意しながら検討した。特に、著書の中で設定した四十の分析項目について注意を払って分析検討し、五段階評価を行った。扶桑社は、本文の内容が八割方自由社と同じなので、ほとんどの項目については同じ評価となった。だが、市民革命の箇所と日華事変の箇所は、五段階評価の点で明らかな差が出た。まずはこの二項目について扶桑社と自由社を比較検討しておきたい。次いで、評価には影響しないものではあるが、両社の違いとして気付いた点を述べていきたい。最後に、四十項目以外の点にも注意を払い、両社の記述を比較していくこととする。
一、市民革命と日華事変に関する扶桑社と自由社の比較検討
(1)市民革命
著書を読んでいただければ分かると思うが、筆者は、市民革命については、四つの事柄に注意して比較検討した。まず、英国の名誉革命、米国革命、フランス革命のそれぞれについてどのように描いているかに注意した。そして、三つの革命のうちいずれを中心に描いているか、どの革命に力点を置いて説明しているかということに注意して検討した。
英国革命と米国革命については両社の記述に優劣はない。だが、フランス革命については明確な違いがある。扶桑社は、他社と同じく、全く恐怖政治にふれようとしていない。これに対して、自由社は、「バスチーユの政治犯牢獄を襲う市民」の絵の説明で「国王や貴族の処刑から、やがて革命勢力の中での殺し合いが起こった」(130頁)として、恐怖政治についてふれている。本文ではなく絵の説明としてではあるが、恐怖政治を記すのは画期的なことである。
また、扶桑社は、「アメリカの独立とフランス革命」の小見出しの下に三つの革命を説明しており、明らかに、米国革命とフランス革命に力点を置いて説明している。これに対して、自由社は、「市民革命」の小見出しの下に三つの革命を同等に扱っている。本来、立憲君主制をもたらした名誉革命は、同じく立憲君主制を築いてきた日本政治史にとって最も参考になる革命であるから、最も力点を置いて説明すべき革命である。だが、名誉革命を中心に記述する教科書は全く存在しないどころか、三つの革命を同等に扱う教科書も自由社だけなのである。扶桑社も含めて他社は全て、名誉革命をフランス革命よりも軽く扱っていることに注目されたい。
それゆえ、市民革命の項目については、扶桑社を「3」、自由社を「4」と判定した。
(2)日華事変
日華事変についても、四つの事柄に注意して比較検討した。第一に、日本と中国との戦いを仕掛けたのは日本側か中国側か、第二に、盧溝橋事件の時に最初に発砲したのが中国側か日本側かということに注意した。第三に、日華事変を日本の「侵略」と表現しているかどうか、第四に、事変の名称をどう表しているかということに注意した。
最初の三点は扶桑社と自由社の間に差異はない。だが、名称については、自由社は画期的なことを行った。まず、「日中戦争」の大見出しの下にリード文を置き、「日本が『支那事変』と名づけた、中国との戦争はどのようにして長期の戦争に発展していったのだろうか」と表現した。そして本文でも「こうして、日中戦争(日本は当時『支那事変』と呼んだ)が始まった」(198頁)と記したのである。
歴史用語は当時の言葉を用いるのが原則であるし、日華事変はあくまで事変であって、国際法上の戦争ではなかった。それゆえ、傍線部のような形であれ、自由社が「支那事変」という当時の名称を用いているのは評価すべきであろう。
それゆえ、日華事変の項目については、扶桑社を「3」、自由社を「4」と判定した。
二、評価に影響しないが、気付いた点
(1)日清戦争
上記二項目以外にも、5段階評価に影響はないけれども、自由社版が優れている箇所がある。日清戦争と日露戦争の箇所である。自由社版は扶桑社版を改善したものになっている。
日清戦争の箇所から見ると、扶桑社は、日清戦争の意義について「『眠れる獅子』とよばれてその底力をおそれられていた清は、世界の予想に反して新興の日本にもろくも敗れ、古代から続いた東アジアの秩序は崩壊した」(165頁)と述べている。これに対して、自由社は、「日清戦争は、欧米流の近代国家として出発した日本と伝統的な中華秩序との対決だった。『眠れる獅子』とよばれてその底力をおそれられていた清は、世界の予想に反して新興の日本にもろくも敗れ、古代から続いた東アジアの秩序は崩壊した」(165頁)と修正した。傍線部のように、華夷秩序体制と国際法体制との対立関係を、より明確にしたのである。
(2)日露戦争
日露戦争の箇所では、本文の文章はおおよそ同じであるが、この単元の大見出しを「日露戦争」から「国家の興廃をかけた日露戦争」と修正している。この修正によって、日露戦争の大変さ及び歴史的意義がより明確になったといえよう。なお、扶桑社版では「日本海海戦」の大コラムで、乃木希典将軍が敵将ステッセルの助命のために尽力した話を簡単に付け加えていたが、自由社版ではこの話は削除された。削除を批判する向きがあるが、道徳や公民の教科書ではなく歴史教科書という性格を考えれば、批判されるべきものではないであろう。
(3)日本の敗戦とポツダム宣言
なお、日本の敗戦の箇所では、検定過程で著しく記述が歪められたことを指摘しておかなければならない。その結果、5段階評価には影響がないものの、扶桑社版の方が優れた記述になっている。扶桑社は、「のちに日本が敗戦し撤退したあと、これらの植民地は、ほぼ十数年のあいだに次々と自力で独立を達成した。日本軍の兵士の中には、現地に残って独立戦争に参加する者もいた。日本の南方進出は、もともと資源の獲得を目的としたものだったが、アジア諸国で始まっていた独立の動きを早める一つのきっかけともなった」(207頁)と記述している。自由社は、不合格とされた最初の版では、ほとんど同じ文章を書いて申請した。にもかかわらず、何ゆえか、傍線部の部分にクレームがつけられた。
そこで、再申請版では、「のちに日本が敗戦し撤退したあと、これらの植民地は、ほぼ十数年のあいだに次々と自力で独立国となった。日本の南方進出は、もともと資源の獲得を目的としたものだったが、日本軍の兵士のなかには、敗戦のあとも現地に残って個人としてこれら植民地の独立戦争に参加する者もあり、その戦いに命をささげた人も少なくない」(207頁)と修正した。ところが、これに対しても「アジア諸国と日本の南方進出との関係について誤解するおそれのある表現である」との検定意見がつき、次のように修正された。
「日本の南方進出は、『アジアの解放』という名目をかかげながらも、自国のための資源の獲得を目的としたものだったが、のちに日本が敗戦で撤退したあと、これらの植民地は、ほぼ十数年の間に次々と自力で独立国となった。日本軍の将兵のなかには、敗戦のあと現地に残り、これら植民地の独立勢力に加わった者もあった」(207頁)。
結局、検定過程の中で、日本の戦争が独立への契機となったとする記述が削られてしまい、明らかに、扶桑社の記述よりも劣るものにされてしまったのである。
三、40項目以外について
(1)戦時国際法
40項目以外に目を移すと、戦時国際法を記した箇所では、自由社版は扶桑社版よりも明らかに優れた記述をしている。扶桑社版は、「20世紀の戦争と全体主義の犠牲者」という大コラムで、「戦時国際法と戦争犯罪」の小見出しの下、次のように記している。
「戦時国際法という。1906年にオランダで締結されたハーグ陸戦法規は、その代表例である。
戦時国際法では、戦闘員以外の民間人を殺傷したり、捕虜となった敵国の兵士を虐待することは、戦争犯罪として禁止された。しかし、二つの世界大戦を通じて、このルールははなはだしく破られた。実際には、戦争で、非武装の人々に対する殺害や虐待をいっさいおかさなかった国はなかった。日本軍も、戦争中に侵攻した地域で、捕虜となった敵国の兵士や民間人に対して、不当な殺害や虐待を行った」(214頁)。
これに対して、自由社は大幅な加筆を行い、最初の申請版で次のように記していた。
「戦時国際法という。1906年にオランダで締結されたハーグ陸戦法規は、その代表例である。
戦時国際法では、戦闘員以外の民間人を殺傷したり、捕虜となった敵国の兵士を虐待することは、戦争犯罪として禁止された。一方、軍服を着ていない者に武器を持たせたり戦闘に参加させることは禁じられ、それらを捕らえた側にはスパイやゲリラとして処刑することも認められていた。しかし、二つの世界大戦を通じて、このルールはしばしば破られた。実際には、戦争で、非武装の人々に対する殺害や虐待をいっさい犯さなかった国はなかった。日本軍も米国も、戦争中に侵攻した地域で、捕虜となった敵国の兵士や非武装の民間人に対して、不当な殺害や虐待を防ぎきれなかった」(214頁)。
上記のように、最初の申請版では、第一に、民間人殺傷や捕虜虐待に加えて、民間人の服装での戦闘及びゲリラが違法なものであることをきちんと記述した。第二に、米軍が民間人を殺傷し捕虜を虐待した事実をも記していた。ところが、「日本軍も米国も……」の箇所にクレームが付き、再申請版では次のように第二の点が消えてしまう。
「戦時国際法という。1907年にオランダで締結されたハーグ陸戦法規は、その代表例である。
戦時国際法では、戦闘員以外の民間人を殺傷したり、捕虜となった敵国の兵士を虐待することは、戦争犯罪として禁止された。一方、軍服を着ていない者に武器を持たせたり戦闘に参加させることは禁じられ、それらを捕らえた側にはスパイやゲリラとして処刑することも認められていた。しかし、二つの世界大戦を通じて、このルールはしばしば破られた。実際には、戦争で、非武装の人々に対する殺害や虐待をいっさいしなかった国はなかった。日本軍も、戦争中に侵攻した地域で、捕虜となった敵国の兵士や非武装の民間人に対して、不当な殺害や虐待をおこなって多大な惨禍をのこしている」(214頁)。
この再申請版の文章がそのまま検定合格となるのであるが、「一方、軍服を着ていない者に武器を持たせたり戦闘に参加させることは禁じられ……」という記述は、画期的なものである。まさしく、中国共産党は、日本軍に対して「軍服を着ていない者に武器を持たせたり戦闘に参加させる」戦い方をしていたのである。また、いわゆる「南京事件」では、中国国民党の兵士たちも「便衣兵」として同じ違法行為をしていたのである。それゆえ、民間人の服装での戦闘及びゲリラが違法なものであることを指摘した自由社の記述は、大いに評価されよう。
ただし、上記記述には、扶桑社版よりも悪化した部分がある。扶桑社版になかった「多大な惨禍をのこしている」という言葉が付加されている。検定過程を通じて、ハーグ陸戦法規の締結年が正しく修正されたけれども、同時に、米軍による民間人の殺傷等の記述が削除され、代わりに「多大な惨禍をのこしている」という記述が付加されてしまったのである。いわゆる近隣諸国条項と東京裁判史観が大きな壁として立ちはだかったのである。
(2)白船事件
戦時国際法の箇所以外でも、自由社は、「昭和天皇のお言葉」を集めて大コラムを構成したり、樋口季一郎が救ったユダヤ人の数を扶桑社の「数千人」から「1万1千人」に正したりしている。また、文化史の分野では、『歴史教科書が隠してきたもの』の中でも指摘したように、自由社は、文化史と政治経済史を関連づけて記しており、本文で昭和の文化史を扱っている。これらの点は、明らかに改善点として捉えられよう。
更に言えば、特筆すべきことに、自由社は、白船事件の記述を、現行の扶桑社版を大きく改めて、平成十四年度版と同様のものに戻した。現行の扶桑社版は、「アメリカ艦隊の日本訪問」という小コラムで白船事件を扱い、米国の「威嚇外交」という性格を著しく薄めていた。それを、小コラムのタイトルを「アメリカの対日砲艦外交」と改め、白船事件が米国の日本に対する威嚇外交だったことを、平成十四年度版よりも明確な形で記している。
以上見てきたように、総じて、自由社は扶桑社版を改良し、より優れた教科書を作成した。ただし、細かい点でミスが数点存在する。供給本段階では訂正すべきであろう。
各社分析項目ごとの五段階評価表……40件
| 何を明らかにするのか |
分析項目 |
日本 |
東京 |
大阪 |
教育 |
清水 |
帝国 |
文教 |
自由 |
扶桑 |
| メインストリート |
縄文時代 |
3 |
4 |
4 |
2 |
3 |
4 |
2 |
5 |
5 |
| 共産主義思想の度合い |
国家起源論 |
1 |
2 |
2 |
1 |
4 |
4 |
4 |
5 |
5 |
| 中韓隷属の度合い |
帰化人 |
2 |
1 |
1 |
1 |
1 |
1 |
1 |
3 |
3 |
| 中韓隷属の度合い |
聖徳太子 |
2 |
1 |
2 |
1 |
3 |
3 |
1 |
5 |
5 |
| 日本の少数派の扱い方 |
蝦夷 |
2 |
1 |
3 |
1 |
1 |
2 |
2 |
1 |
1 |
| メインストリート・天皇権威 |
征夷大将軍 |
2 |
2 |
2 |
3 |
3 |
2 |
3 |
3 |
3 |
| 中韓隷属の度合い |
元寇 |
1 |
2 |
3 |
1 |
2 |
1 |
3 |
5 |
5 |
| 中韓隷属の度合い |
倭寇 |
1 |
2 |
4 |
1 |
3 |
4 |
2 |
4 |
4 |
| 中韓隷属の度合い |
足利義満 |
4 |
2 |
1 |
1 |
2 |
1 |
3 |
3 |
3 |
| 共産主義思想の度合い |
村自治他 |
2 |
2 |
3 |
2 |
3 |
4 |
3 |
2 |
2 |
| 中韓隷属の度合い |
文禄慶長の役 |
1 |
1 |
1 |
1 |
1 |
1 |
1 |
3 |
3 |
| メインストリート・天皇権威 |
信長秀吉家康 |
1 |
3 |
3 |
1 |
3 |
3 |
1 |
5 |
5 |
| メインストリート・防衛観点 |
キリシタン追放 |
1 |
4 |
2 |
1 |
1 |
2 |
2 |
4 |
4 |
| 日本の少数派の扱い方 |
琉球史 |
1 |
3 |
2 |
2 |
2 |
2 |
2 |
2 |
2 |
| 日本の少数派の扱い方 |
アイヌ史 |
2 |
2 |
2 |
2 |
1 |
3 |
2 |
2 |
2 |
| メインストリート |
身分制 |
1 |
4 |
2 |
2 |
2 |
5 |
1 |
5 |
5 |
| 共産主義思想の度合い |
百姓一揆 |
1 |
3 |
2 |
2 |
4 |
4 |
4 |
4 |
4 |
| メインストリート |
江戸文化 |
2 |
3 |
2 |
2 |
3 |
3 |
3 |
5 |
5 |
| メインストリート・防衛観点 |
植民地化危機 |
1 |
1 |
2 |
1 |
3 |
4 |
1 |
4 |
4 |
| メインストリート |
明治維新 |
2 |
5 |
4 |
5 |
4 |
5 |
2 |
5 |
5 |
| 日本の少数派の扱い方 |
琉球処分他 |
1 |
2 |
1 |
3 |
3 |
2 |
3 |
4 |
4 |
| 共産主義思想の度合い |
市民革命 |
1 |
2 |
4 |
3 |
1 |
3 |
1 |
4 |
3 |
| メインストリート |
自由民権 |
1 |
1 |
2 |
4 |
4 |
1 |
1 |
4 |
4 |
| メインストリート・天皇権威 |
明治憲法 |
1 |
2 |
3 |
3 |
3 |
1 |
2 |
4 |
4 |
| メインストリート |
憲政の常道 |
3 |
3 |
2 |
3 |
1 |
2 |
2 |
4 |
4 |
| 共産主義思想の度合い |
ロシア革命 |
1 |
1 |
1 |
1 |
1 |
1 |
2 |
4 |
4 |
| 共産主義思想の度合い |
スターリン |
2 |
2 |
2 |
2 |
3 |
2 |
1 |
5 |
5 |
| 中韓隷属の度合い |
朝鮮への国書 |
2 |
4 |
2 |
1 |
3 |
1 |
2 |
4 |
4 |
| 中韓隷属の度合い |
日清戦争 |
1 |
3 |
1 |
1 |
2 |
2 |
1 |
4 |
4 |
| メインストリート・防衛観点 |
日露戦争 |
1 |
3 |
3 |
3 |
3 |
2 |
3 |
5 |
5 |
| メインストリート |
条約改正 |
1 |
2 |
2 |
2 |
3 |
2 |
3 |
5 |
5 |
| 中韓隷属の度合い |
満州事変 |
1 |
1 |
2 |
3 |
2 |
3 |
2 |
4 |
4 |
| 中韓隷属の度合い |
日華事変 |
1 |
1 |
2 |
3 |
2 |
2 |
1 |
4 |
3 |
| 欧米追随の度合い |
日米開戦 |
1 |
1 |
2 |
2 |
1 |
1 |
1 |
4 |
4 |
| 欧米追随の度合い |
日本軍歓迎 |
1 |
1 |
1 |
1 |
2 |
1 |
1 |
4 |
4 |
| 中韓隷属の度合い |
日本「悪行」 |
1 |
2 |
2 |
3 |
2 |
1 |
2 |
3 |
3 |
| 欧米追随の度合い |
沖縄戦 |
1 |
4 |
3 |
3 |
2 |
1 |
4 |
4 |
4 |
| 欧米追随の度合い |
敗戦 |
3 |
1 |
4 |
3 |
4 |
2 |
3 |
5 |
5 |
| 欧米追随の度合い |
憲法成立 |
1 |
1 |
3 |
1 |
1 |
1 |
1 |
2 |
2 |
| メインストリート・防衛観点 |
安保闘争 |
1 |
1 |
1 |
1 |
1 |
1 |
2 |
2 |
2 |
| |
合計 |
59 |
86 |
90 |
79 |
93 |
90 |
81 |
154 |
152 |
| |
平均 |
1.5 |
2.2 |
2.3 |
2.0 |
2.3 |
2.3 |
2.0 |
3.9 |
3.8 |