■『座間味村史』掲載の宮平貞子(母)の証言について
『座間味村史(下)』(1989年刊行)に証言が掲載されている宮平貞子は私の母です。母は、1993年8月に亡くなっています。私はこの母の証言をつい最近読みました。事実と違う、つくりごとが書かれているので驚きました。母のことを言いたくはありませんが、間違いは間違いとしてハッキリさせる必要があります。母の証言の明確な間違いは次の通りです。
@ 千代姉がお米をもらいに行こうとして祖父に止められたのに、母の証言では家族全員でお米をもらいに出かけたことになっています。
A 恵達とツルが役場の伝令で来て、軍命だとして忠魂碑前に集まるように言ったのに、その伝令がなかったかのように書かれています。
B 家族は間違いなく忠魂碑前に行って、そこで長い時間過ごしているのに、忠魂碑前には行かなかったと書いています。
C 整備中隊の壕の前で、「兵隊さんに殺してもらう」と言おうというのが母と姉の案でしたから、私が代弁してそう言いましたが、兵隊さんの方から「殺してあげる」とは言っていません。
D 整備中隊の壕でたくさんの食料をもらって、「生きられるだけ生きのびなさい」と励まされたのに、そのことが書かれていません。
E 「三中隊の兵隊さんの壕」と書いているのは、「二中隊」の間違いです。
F 二中隊の壕でも食料をもらったことが書かれていません。
G 家族が私の家の壕に戻ったあとも、私は家族とともに居たように書かれていて、「三男[私]」が、「何言うか、あれはアメリカーだよ。上陸してきたんだ」と言ったことになっていますが、私はすぐに任務に引き返していて、家族と一緒には居ませんでした。
H 母は、「おじい、綱を貸してちょうだい。早く子供たちを殺さないとならないけど」と言ったことになっていますが、考えられません。死ぬという気はなかったと聞いています。また、綱を使わなくても、死ぬなら包丁も竹槍も備わっていました。
I アメリカ兵からもらったチョコレートを、母は「毒が入っている」と言って、子供たちが食することを禁止したことになっていますが、実際はチョコレートを沢山もらって妹も弟もおいしいと喜んで食べていたというのが事実です。