トンデモ教科書
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【じぎゃく】
教科書はしだいに悪くなっています。なぜ教科書はこんなにも歪んでしまったのでしょうか。それには、様々な要因がありますが、主な原因として、昭和57年の教科書誤報事件と昭和61年の『新編日本史』外圧検定事件、そして教科書作成=採択の悪循環があげられるでしょう。ここでは教科書を悪化させた事件と仕組みを明らかにします。
教科書誤報事件とは、昭和57年にマスコミの「高校用歴史教科書の検定をしていた文部省が、教科書に使用されていた『侵略』の語を『進出』に書きかえさせた」という誤報に端を発した一連の事件のことをいいます。
この報道をきっかけに、中国、韓国の両国が我が国の教科書記述の改訂を求めて激しい抗議を行いました。これが我が国検定史上はじめての外圧でしたが、政府がこれに対して毅然と対応しなかったために、後に禍根を残すことになる極めて重大な事件となりました。
中国・韓国の執拗な抗議に屈した鈴木善幸内閣(当時)は、宮沢官房長官談話で「我が国としては、アジアの近隣諸国との友好、親善を進める上でこれらの批判に十分に耳を傾け、政府の責任において是正する」と発表し、学校教育法に定められた文部大臣の専権事項を踏みにじる形で、検定合格後の教科書の内容に介入することを決定しました。
それまで文部省の検定は、自虐的な教科書が氾濫することに対して、ある程度歯止めをきかせていました。この時も検定基準の追加・変更はしないという姿勢をとっていたのですが、結局、当時の政府首脳・外務省の圧力に文部省が屈する形となり、検定基準に新たに「近隣のアジア諸国との間の近現代史の歴史的事象の取り扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がなされていること」といういわゆる「近隣諸国条項」を追加して、その後の教科書内容への外圧介入を容易にしてしまったのです。
なお、この「近隣諸国条項」追加以降、文部省は近隣諸国や外務省とのトラブルを回避するために、近現代史に関する自虐的な教科書記述に対して、あまり積極的に修正を求めるということが少なくなり、結果自虐的な教科書の氾濫を招いてしまいました。この事件の発端になったマスコミの報道は、後に全く事実無根の誤報であることが明らかになりましたが、多くのマスコミは現在まで誤報を訂正しないままにしています。ですから、いまだにあの報道が「誤報」であったことを知らない人が大勢いることも、残念ながら事実です。
「教科書誤報事件」から四年後の昭和61年、自虐史観の氾濫を憂いた有識者が執筆した『新編日本史』という高校用歴史教科書が、検定合格後に外圧によって書きかえられるという事件が起こりました。
事の発端は朝日新聞が検定終了後に『新編日本史』を批判する記事を大々的に掲載し、それが中国・韓国に伝わり、両国の抗議を招いたことですが、この時も政府は外圧に屈し、執筆者に対して書きかえを強要しました。
この政府の違法行為に対し、『新編日本史』の執筆者はその根拠を明らかにするよう求めましたが、文部省は「昭和57年官房長官談話に沿っておこなうものである」、「諸外国からの批判や要請などの特段の事情がある場合は、よりよい教科書を得るために手続きによらない措置をとることは文部大臣の権限であり責任である」との法治国家では到底容認することのできない弁解に終始しました。これらの文部省見解は「教科書誤報事件」における宮沢官房長官談話が基礎となっていることは明らかで、またその時に加えられた「近隣諸国条項」がこのような教科書への外圧の介入を容易にしたと言えます。
教科書悪化の大本は「教科書誤報事件」にあり、その原因はマスコミの「誤報」にあります。もし真実が報道されていたならば、ここまで教科書検定に外圧が介入してくることもなかったのではないでしょうか。また、たとえ「誤報」があったとしても日本の子供たちを育てるために行われるべき我が国の教育に、外圧の介入を許すというような政府の姿勢は「弱腰」と非難されてしかるべきものです。政府・文部省はこれまでの「外圧検定」と決別し、今後は日本の将来のために教科書の健全化に自覚的に取り組むべきではないでしょうか。
教科書は、1.作成、2.検定、3.採択の手順を踏んではじめて各学校で使用される教科書になります。「教科書誤報事件」、「『新編日本史』外圧検定事件」は、検定に関わる問題でしたが、ここでは、作成と採択の悪循環について簡単に説明します。
※採択とは、検定に合格した教科書を各市町村(東京23区では区)の教育委員会が、その地域の学校で使用する教科書を決定することを言う(地教行法)。つまり、検定に合格しても採択されなければ、子供たちが学校で使用する教科書にはならない。
教科書会社もやはり営利企業なので、売れる教科書を作成しなくては商売が成立しません。勿論、教科書が売れるというのはより多くの市町村教育委員会によって採択されることをいいますから、教科書会社は採択されやすい教科書を作成しようとします。
そこで、採択が問題となるわけです。採択では法令上の採択権者である教育委員会の職務権限の空洞化がすすんでおり、教育委員会が教科書を採択するのではなく、権限のない下部組織が採択に深く関わっているのが現状と言えます。中でも、現場の教員が学校単位の人気投票で教科書を選んで教育委員会へ推薦するというような地域が多くあることもわかっています。
ですから、教科書会社は教員の気に入る教科書を作成するようになります。そして、現場の教員には、偏向した考えの持ち主(特に学習指導要領に公然と反対する組織の一員)が一定数おり、そういう教員たちが精力的に採択に関与しているようです。つまり、偏向した教科書ほど採択されやすくなっているのです。
そうであるならば、当然教科書会社は利益をあげるためにあえて偏向した教科書を作成するようになるでしょう。そして、その偏向した教科書を偏向した教員が採択します。だから当然教科書会社はもっと偏向した(売れる)教科書を作ろうとします。
つまり、偏向教科書の需要があり、需要に応えようとする教科書会社が偏向教科書を供給する、そしてその需要が拡大していく、という構図が教科書作成=採択にはあるのです。このような悪循環によって、教科書はどんどん歪んできてしまいました。この悪循環を断ち切らない限り、日本の教科書・教育は決して良くはならないのです。
『史』平成13年1・3月合併号(通巻25号)