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8月15日午後、愛媛県教育委員会は定例の会議を開き、来年4月から開校する県立の中高一貫校(松山、今治、宇和島の3ヶ所に設置、合計定員480名)で使用する中学校の歴史教科書として、扶桑社の『新しい歴史教科書』を採択しました。「我が国の歴史に対する愛情を深め、国民としての自覚を育てる」という学習指導要領に定められた歴史教育の目標に最も合致している、というのが主な採択理由で、6人の教育委員の全員が一致しました。
これは、幾多の採択妨害活動にもかかわらず、県教委が見識を貫いた見事な決定です。6人の教育委員は、8社の歴史教科書を読み比べて研究されたとのことで、教育委員会直後の記者会見でも、6人の委員がこもごも歴史教科書のあるべき姿についての見解を述べました。教育委員会制度が、ようやく機能し始めたと実感します。勇気ある決定をおこなった愛媛県教委とこれを支えた加戸守行知事に、感謝したいと思います。
私は、6月5日の理事会で愛媛問題対策本部長を命じられ、この3ヵ月あまり活動して来ました。つくる会の会員の皆様には、6月7日に愛媛問題の緊急性を訴える特別の封書をお送りし、また、本誌『史』の7月号で「愛媛を守るたたかい」への全会員の行動を呼びかけるアピールを行いました。その中で、
(1)知事、教育長に激励の手紙、はがき、ファックス、eメールを送ること
(2) 署名に取り組むこと
(3)集会に参加すること
の3つの行動をお願いしました。これに応えて、多くの会員の方々が積極的に行動してくださいました。その数字はのちに詳しく報告しますが、署名は全国で41万人に達しました。
今回の愛媛の勝利は、こうした会員の皆様の働きの賜です。愛媛問題の責任者として心よりお礼を申し上げ、勝利の喜びを会員の皆様と分かち合いたいと思います。
愛媛の勝利を三年後の全国の採択に結びつけるために、以下、愛媛問題への取り組みの経過を振り返り、今回の取り組みの特徴を明らかにしたいと思います。 |
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つくる会が本部として愛媛の問題を議題にのせ、本格的に取り組み始めたのは、3月の下旬でした。3月17日付けの愛媛新聞に、つくる会に対する反対派の誠に卑劣な誹謗・中傷が意見広告と称して掲載されました。このまま放置すれば、愛媛は重大な事態になりかねないことを私も直感しました。結果的には、反対派のこの意見広告が私たちの目を覚ますことになったともいえます。
意見広告に接してからの会の対応は迅速でした。3月22日、会は直ちに愛媛新聞社に対して内容証明郵便で抗議文を送って謝罪文の掲載を要求、返答によっては法的手段に訴えることも辞さないとして回答を求めました。同社からは、木で鼻をくくったような回答が来ました。予想されていたこととはいえ、ひどい内容でした。会は、議論を重ねた結果、愛媛新聞社を告訴する方針を固めました。
会としてのこのような対応は、私の実感としても、今までになく素早い、しかも戦闘的なものでした。どうしてこのような対応をとることができたのか、その伏線として3つのことを書いておきたいと思います。
1つは、なんといっても昨年の採択戦で、卑劣なテロによって敗北させられたことへの悔しさが誰の胸にも共通にありました。採択される可能性のある愛媛が、また反対派による不当な介入で潰されることは絶対に阻止しなければならない、という思いを私たちは当然ながら共有していました。
2つ目は、採択戦では焦点となる一つひとつの地域で勝つために、そこでの戦いに全力を投入すべきだという考え方が会の中に根付きつつあったことです。私はこれを「局地戦」をたたかう思想と呼んで、月刊誌『月曜評論』の連載などに書いてきました。
昨年の採択戦では、つくる会本部は全国を平等に扱い、個々の地域の活動はそれぞれの地域に任せるという体制になっていました。言い換えれば、重点地域を設定してそこに資源を集中的に投入するという発想がなかったのです。これに対して反対派はどこが採択される可能性があるかを的確に把握し、そこに攻撃を集中するやり方をとってきました。こういう戦術レベルの落差の中で、「下都賀事件」がおきました。
こうした反省から、昨年の採択戦後、個々の地域で反対派から仕掛けられた問題に本部も直接取り組み、その地域の組織と緊密に連携して対応するという方式を追求してきました。東京都国立市と広島県廿日市市でおこった、扶桑社支持の教育委員を市長が解任するという事件では、不十分ながらこの方式が実行されました。特に、鎌倉市で教育委員会に反対派の集会を後援させるという策動が明るみに出たとき、会はこれに直ちに反撃し、反対派の集会の後援を取り消させ、同日同時刻にこちらの緊急集会をぶつけて数でも圧倒するというたたかいを展開しました。会は3月31日のこの鎌倉の集会を準備している時期に、愛媛の誹謗・中傷広告に接したことになります。
3つ目は、私の個人的な思いですが、その後5月初めに下都賀地区に別の用事で出かけた際に、地元の人から、教育委員の方々の声として、「昨年の採択で、朝日がリークしたとたん反対派から猛烈な攻撃が来た。賛成派は何もしてくれなかった」との嘆きがあったと聞かされました。何もしなかったわけでは決してありませんが、良心的に扶桑社を推薦し、その結果、酷い目にあわれた方々を結果として私たちは見殺しにしてしまったのです。私は誠に申し訳なく感じるとともに、反対派は最後はテロに訴えることを覚悟し、愛媛を「第2の下都賀」にさせてはならないと固く決意しました。
会では、愛媛の結果が3年後の採択の帰趨を決定的に左右する「天王山」であると位置づけ、取り組むことになりました。 |
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4月中は、愛媛新聞社への告訴状の準備に費やされました。つくる会の会員で弁護士を業としている方を検索してみると、全国で20数人の方々がおられることがわかりました。弁護士の中島修三理事を中心に、これらの方々に呼びかけてつくる会弁護団を組織し、3次にわたる訴状の検討も行いました。
ただ、訴訟に費やす労力・費用とその効果を比較すると、この方針には問題もあります。裁判には時間がかかります。採択が終わるまでに判決が出ることは難しいでしょう。そもそも、誹謗・中傷広告を掲載したとしてつくる会が愛媛新聞を訴えたこと自体を愛媛県民に知らせる方法がありません。愛媛新聞は県内唯一の地方紙であり、自社が訴えられたことを掲載しないわけにはいかないとしても、ベタ記事10行ですまされるでしょう。この新聞が県内で独占的な位置を占め、対抗紙が存在しないことは困った問題です。
そこで私は、5月中旬に現地に出かけて愛媛の人々と膝詰めでこの戦術問題を相談しました。その結果、愛媛新聞への告訴は保留し、同紙に、反対派に対抗する意見広告を掲載することに方針転換しました。つくる会を敵視している偏向報道の新聞に広告料を払うのは不愉快なことですが、そこは割り切って意見広告の掲載を申し入れることにしました。
結局、準備した訴状は棚上げとなりましたが、つくる会がいったん告訴の決断をしたことは、愛媛の問題に会として取り組む姿勢を確立し、それを現地に示したという点で大きな意義がありました。
しかし、愛媛新聞に私たちの意見広告の掲載を認めさせること自体が大変でした。その交渉のために、結局私は2回も愛媛に足を運ぶことになりました。
こうなってくると、愛媛問題について対策本部を設置して本格的に取り組まなければ間に合いません。そこで、6月5日の理事会でその設置を決め、つくる会副会長の私が本部長、愛媛支部の長曽我部延昭支部長を副本部長、宮正治・つくる会事務局長が対策本部の事務局長を兼務する、という形で体制を固めました。私たちは毎日のように緊密な連絡を取り、一体となって活動しました。
紆余曲折を経て、6月27日付け愛媛新聞13面に、「最良の歴史教科書を愛媛に!」というフレーズを中心の柱にした、つくる会の意見広告が掲載されました。現地で原案をつくり、本部で練り上げたこの広告は、大きな反響を呼びました。会では原寸大のポスターも作成し、全国各地で署名運動に取り組む人々に配布しました。この広告には五重塔のシルエットがあしらわれており、その後、愛媛におけるつくる会の広告のシンボルマークの位置を占めることになりました。
つくる会の意見広告は、愛媛新聞以外に、愛媛県内で発行されている2つのタウン情報紙と2つの経済誌に掲載されました。これらの紙誌の発行総部数は、628,209部となりました。 |
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愛媛の勝利をもたらした最大の要因は、反対派を圧倒的に上回る署名活動の成功でした。反対派が3月17日付けの愛媛新聞に出した意見広告には、県内外で32,284人の署名を集めたことを誇らしげに書き、県教委はこの声にどう答えるのか、とたたみかけていました。これに対抗して、反対派が逆立ちしても出来ない数の署名を集めて対抗する作戦を考え出したのは、現地の人たちでした。加戸知事の教育改革を支持し、県教委の昨年の採択結果に賛同する署名です。そこで、この愛媛の署名に呼応して全国で愛媛支援のため、県教委の毅然とした姿勢を支持する署名を展開することになりました。
集会参加者数の競り合いは、6月から始まりました。6月16日、反対派は2つの学習会を開きました。1つは50人、他の1つには40人の参加者があったと愛媛新聞は写真入りで報じました。これに対し、地元の人たちは、6月22日、「真の日韓親善を考える講演会」を松山市で開催しました。これは賛成派が開催した初の決起集会の意味をもつ集会となり、500人が参加しました。
7月1日、反対派は7月中に大動員をかけた反対集会を開催するための実行委員会を開きました。これは地元で反対運動の中心となってきた「中核派」などの過激派が主導権をもって企画したものでした。集会名称は、「戦争賛美の『つくる会』教科書採択NO!大集会」で、日時は7月26日午後6時から、となりました。彼らは、この集会に全国動員をかけ、県庁を「人間の鎖」で取り囲むと豪語していました。
私は、この集会に共産党系の団体が相乗りするのかどうかを注意深く見守りました。昨年の採択戦では、本来、不倶戴天の敵どうしであったはずの共産党と「革マル派」、「中核派」などの過激派が、相互の批判を控え、事実上手を握る姿が見られました。予想通り、共産党の機関紙『しんぶん赤旗』は7月13日付けの第1面で初めて愛媛の教科書採択問題を扱い、7月26日の集会を宣伝しました。この記事には、共産党の指導下にある「子どもと教科書全国ネット21」の俵義文事務局長が檄を飛ばす談話を出していました。共産党と過激派の野合は、共同で集会を開くまで露骨なものとなったのです。私はこのことを、『正論』誌その他で暴露しました。
私たちは7月26日に向けて、一計を案じました。この日は集会で対抗することはせず、この日までに集約された署名の数を公表し、署名簿の現物を教育委員会に届けるという作戦です。ただし、当日、テレビ局が取材しなければ、膨大な署名簿を持ち込む場面の迫力を県民一般に伝えることができません。私は前日に松山入りし、民放テレビ4局を長曽我部支部長とすべてまわって、翌日の署名簿提出場面の取材を依頼して回りました。
26日午後、反対派も教育委員会への申し入れを行いました。これは、私たちの動きを察知した上での対抗手段であったと考えられます。しかし、私たちが提出した全国33万の署名簿の映像の迫力は圧倒的でした。
他方、六時からの反対派の「大集会」は、参加者数わずか70人という惨憺たる有様でした。『しんぶん赤旗』の指令にもかかわらず、過激派が主導した集会には共産党県委員会の旗も共産党県議の姿もなく、共産党系は「ネット21」の俵氏以外はほぼ完全にボイコットしたことが明らかでした。
これについては、教科書採択に過激派が介入していることを暴露する2種類のチラシ10数万枚を、街頭署名や各戸配布で撒いたことが大きく影響したと思われます。共産党が過激派と一体となって教科書採択を妨害したことが暴露されれば、次の選挙に響かないとも限りません。結局、7月26日の決戦は、私たちの圧勝という結果となりました。
今回の署名活動で特筆すべきことは、職場や地域での署名に加えて、松山市内を中心に街頭署名が公然と行われたことです。今まで署名といえば左翼や反対派のものと決まっていたのに、賛成派が初めて姿を現したとして、商店街でも評判となり、市民は大変好意的に署名に応じてくれました。街頭署名は六週間にわたり、日曜日と月曜日にかけて行われました。
採択日前日の8月14日、私たちは全国の署名数を集約し、記者会見で最終発表しました。結果は、全国で411,934人となり、反対派の集めた32,284人の約13倍に達しました。特に愛媛県内の署名数がそのうち、166,104人にのぼったことは特筆すべきことです。これは、愛媛県内の総人口の11パーセント、県内全有権者の14パーセントに当たります。驚くべき数といわなければなりません。
こうして8月15日を迎えました。扶桑社採択決定の一報が入ったのは、午後4時過ぎでした。地元のテレビ局の中には、テロップを流したところもありました。喜びの声は、たちまち全国に広がりました。
8月25日、松山市の椿神社会館を会場にして、「新しい歴史教科書のつどい」が開催されました。この集会には、何と全国から1,500人もの人が集まりました。さらに圧巻だったのは、そのうちの約1,000人が、松山市内の商店街を整然と行進し、県教委の決定を支持する意思を表明したことです。市民の目に見えるこの行動は、街頭署名と並んで、教科書改善運動のスタイルに新しい地平を切り拓くものとなりました。
今年の扶桑社採択をめぐって賛成・反対の両派がどのような規模の活動をしたかを比較して示す一覧表を、愛媛県教委が発表した資料も加えて作成しました(次頁掲載)。これを見ると、署名、集会、意見広告、配布したチラシ、県教委への意見のどの指標についても、反対派を文字通り圧倒したことがわかります。それは、昨年のデータと比較しても、攻守ところを変えていたことが一目瞭然です。私たちは、愛媛をたたかう決意においても、実績においても、反対派をはるかに凌駕していたのです。たたかわなければ道は開けないという真理を、これらのデータは余すところなく示しているといえるでしょう。
私は、愛媛問題対策本部長として、この間、愛媛に6回足を運びました。4種類の意見広告と、3種類の声明、1種類のリーフレット(今月号の封入資料)の原稿作成にタッチしました。
また、次の月刊誌と新聞に、愛媛問題について寄稿し、その時々までの事態の展開をレポートして支援を訴えました。資料としてご参考にしていただければ幸いです。(以下のリストは発行順)
▽「愛媛を『第2の下都賀』にさせるな――左翼勢力が知事と県教委に集中攻撃」『月曜評論』6月号
▽「歴史教科書次期採択を左右する愛媛決戦――大同団結する反日勢力の目論み」『正論』8月号
▽「愛媛を『第2の下都賀』にさせるな(続)――良識派が署名・集会・意見広告で反撃」『月曜評論』7月号
▽「愛媛を『第2の下都賀』にするな――教科書採択で策動する声高な少数派」産経新聞「正論」欄、7月31日付け
▽「教科書採択で激化する『共産党=過激派』連合の動き――愛媛を『第2の下都賀』にするな」『正論』9月号
▽「33万人の支持署名と70人の反対集会――挫折した反対派の『採択NO!デー』」『月曜評論』8月号
▽「教育委員会審議公開の条件を考える――愛媛県教委への不当な『密室』批判」産経新聞「正論」欄、9月4日付け
愛媛問題対策本部は8月末をもって解散しました。ご協力に改めて感謝申し上げます。私は今後2年間、歴史教科書の改訂作業に全力を傾注する所存です。 |
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