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新しい教科書誕生
「歴史」著者の想い
「公民」著者の想い
QandA
中学校学習指導要領
第2章 各教科 第2節 社会第一目標
広い視野に立って、社会に対する関心を高め、諸資料に基づいて多面的・多角的に考察し、我が国の国土と歴史に対する愛情を深め、公民としての基礎的教養を培い、国際社会に生きる民主的、平和的な国家、社会の形成者として必要な公民的資質の基礎を養う

 歴史を学ぶのは、過去の事実を知ることだと考えている人がおそらく多いだろう。しかし、必ずしもそうではない。歴史を学ぶのは、過去の事実について、過去の人がどう考えていたかを学ぶことなのである。

 今の中学生にとって、中学校に通うことは空気を吸うように当たり前のことであり、日課であるが、ほんの半世紀前までの日本人の中には、中学校に行きたくても行けない人がたくさんいた。それより前の時代には、小学校にも行けず、7、8歳で大きな商店の丁稚や豊かな家庭の使用人として働く子どもが少なくなかった。どんなに勉強がよくできる子どもであっても、教育は権利だと法律に書かれていても、国の生産が低く富が限られていた時代に、公平は単なる理想にとどまっていた。今の中学生のお祖父さんやお祖母さんの世代がよく知っていた現実である。

 そのような不公平が実際にまかりとおっていた社会に不快を覚え、ときにひそかにいきどおりを感じて、なぜもっと社会的公正が早くから行われなかったかという疑問や同情をいだく人もおそらくいるだろう。しかし歴史を知るとは、そういうこととは少し別のことなのである。

 当時の若い人は、今の中学生よりひょっとすると快活に生きていたかも知れないではないか。条件が変われば、人間の価値観も変わる。

 王の巨大墳墓の建設に、多数の人間が強制的にかり出された古代の事実に、現代の善悪の尺度を当てはめることは、歴史を考える立場からはあまり大きな意味がない。

 歴史を学ぶとは、今の時代の基準からみて、過去の不正や不公平を裁いたり、告発したりすることと同じではない。過去のそれぞれの時代には、それぞれの時代に特有の善悪があり、特有の幸福があった。


 歴史を学ぶのは、過去の事実を知ることでは必ずしもないと言ったが、過去の事実を厳密に、そして正確に知ることは可能ではないからでもある。何年何月何日にかくかくの事件がおこったとか、誰が死亡したとかいう事実はたしかに証明できる。それは地球上のどこにおいても妥当する客観的な事実として確定できる。けれども、そういう事実をいくら正確に知って並べても、それは年代記といって、いまだ歴史ではない。いったいかくかくの事件はなぜおこったか、誰が死亡したためにどういう影響が生じたかを考えるようになって、初めて歴史の心が動き出すのだといっていい。

 しかしそうなると、人によって、民族によって、時代によって、考え方や感じ方がそれぞれまったく異なっているので、これが事実だと簡単に一つの事実をくっきりえがき出すことは難しいということに気がつくであろう。

 ジョージ・ワシントンは、アメリカがイギリスから独立戦争(1775〜1783)で独立を勝ちえたときの総司令官であり、合衆国の初代大統領であった。アメリカにとっては建国の偉人である。しかし戦争に敗れてアメリカという植民地を失ったイギリスにとっては、必ずしも偉人ではない。イギリスの歴史教科書には、今でもワシントンの名前が書かれていないものや、独立軍が反乱軍として扱われているものもある。

 歴史は民族によって、それぞれ異なって当然かもしれない。国の数だけ歴史があっても、少しも不思議ではないのかもしれない。個人によっても、時代によっても、歴史は動き、一定ではない。しかしそうなると、気持ちが落ち着かず、不安になるであろう。だが、だからこそ歴史を学ぶのだともいえる。

 歴史を固定的に、動かないもののように考えるのをやめよう。歴史に善悪を当てはめ、現在の道徳で裁く裁判の場にすることもやめよう。歴史を自由な、とらわれのない目で眺め、数多くの見方を重ねて、じっくり事実を確かめるようにしよう。

 そうすれば、おのずと歴史の面白さが心に伝わってくるようになるだろう。
『新しい歴史教科書』序章「歴史を学ぶとは」より

特色1
巻頭カラーグラビアは美術で統一しました。日本人は大陸の文化を積極的に取り入れながら、独自の美意識に裏付けられた世界に誇る美術品を生み出してきました。これは、日本人に「形」について豊かな想像力と高度な鑑賞力があったということを表しています。またそれは、日本文化の独自性を象徴しています。このグラビアにより、子どもたちは「日本の美」の再発見へといざなわれるでしょう。
古代の美 奈良時代の美 中世の美

特色2
歴史上の重要人物をコラム形式で紹介しています。国民にとって人生の模範となる人物の生き方を、子どもたちに紹介することにより、歴史に対する尊敬の念や道徳心を養うことがねらいです。人物は日本史のなかから、「献身」「公共心」「勇気」「勤勉」などの美徳を体現した人物や、国家や人生の岐路において苦悩しながらも道を切り開いていった代表的日本人を選んでいます。
日本武尊と弟橘媛 最澄と空海 源頼朝と足利義満

特色3
いままでの教科書と違い、『新しい歴史教科書』は日本の文明・文化をいたずらに低く見るような視点には立ちません。たとえば、古代文明においても、従来のように四大文明のみが素晴らしい文明で、日本は劣っていたなどというような見方はとりません。縄文文明は日本の風土・気候の中で、列島に生きた人々が生み出したすばらしい「森林と岩清水の文明」でした。日本には日本独自の文明・文化があり、それは豊かな風土と先人の知恵と努力の賜物であるということを理解できるようにしています。
日本のあけぼの 森林と石清水の文明 平仮名と片仮名

特色4
歴史の全体像を理解させるために、世界から見た日本の評価を随所で紹介しています。特に、戦争の世紀と呼ばれる20世紀を中心とした近現代に関する記述では、単純な善悪のみで歴史を裁こうとする姿勢を排除し、当時の複雑で困難な国際状況や国内におけるさまざまな葛藤について、共感と敬愛をもって描いています。

このようにして、子どもたちが日本のおかれていた立場を理解し、先人の不断の努力に対する敬意を持つように工夫し、その歴史を教訓として現代・未来の国際社会の中で、国を愛し、諸外国と共存していける力を養います。
日露開戦 特攻隊員の遺書 戦争と現代を考える

特色5
最新の学問的成果を生かしています。例えば縄文稲作、ポルトガルとスペインによる地球分割計画図、江戸時代の近代性、オレンジ計画(アメリカの対日作戦シミュレーション)、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(日本人に罪の意識を植えつける米占領軍の宣伝プログラム)など、いたるところ新しい知見に満ちていて、物語として生徒たちの興味を呼び起こすような歴史記述をしています。

さらに、伝統的な言葉を重視し、「支配」や「抵抗」などの特定の見方による言葉は極力避け、戦争呼称にしても「大東亜戦争」というようなその当時に使われた歴史的な語句を尊重しています。それだけでなく、子どもたちがわかりやすいように、最初に「歴史モノサシ」をかかげて、日本歴史の流れを一目でわかるようにしたり、各種のコラムを設けて理解のいきとどくよう工夫しています
米づくりの始まり ヨーロッパ人の世界進出 GHQによるWGIプログラム

「市民」と「公民」

 「市民や」「国民」という言葉がしばしば使われるが、「公民」という言葉は、それほど一般的ではない。「公民」とは、いったい何だろうか。

 古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、人間を、何よりまず、人々が集まって「国」(ポリス)をつくって暮らすものだと考えた。つまり人は他の人々と一緒に、集団をなして暮らすということである。集団をなす(社会をつくる)限り、その社会にルールを設定し、またそのルールを維持することが必要になるということを意味する。

 ここに社会を構成し、運営するという意味での「政治」が出現する。要するに人々が集団をつくるところではつねに「政治」が必要とされ、「社会」に生きる存在である人は、何らかの形で「政治」にかかわらざるをえないのである。

 こうして社会をつくって生活する人間は、つねに二つの側面をもつだろう。一つは、社会の中で他人とかかわりながらも、もっぱら自分の利益を追い求めたり、自分の欲望を中心に考えたり、自分の権利を追求したりする面であり、もう一つは、自分の利益や権利よりも、むしろ国家や社会全体の利益や関心という観点から行動しようとする面である。前者が「私」を中心とするなら、後者は「公」を中心としている。私たちは、この二面をもって市民として社会生活を営んでいるのだが、とくに後者を中心に市民をみたとき、これを「公民」とよぶ。

公民の意味

 古代ギリシャの都市(ポリス)では、市民は、財産や奴隷を使って必要なものを生産させ、家族とともに暮らすという「私的」な生活を営んでいた。加えて政治に参加して、外敵から都市を守る防衛義務を負う「公的」存在でもあった。この意味では、「市民」と「公民」は同義だった。ところが、近代社会では、「私」の権利や「私」の利益追求が強く唱えられ、「市民」が「公民」から分離する傾向がある。

 しかし、人は、他人とともに共同社会をつくっている限り、「私」の利益を追求する場合でも、その前提として、社会のルールを守り、社会生活を改善し、社会を外敵から守るという課題を引き受けなければならない。それゆえ、本来、「市民」と「公民」は別のものではなく、重なり合うはずのものである。そこに「公民」ということの意味がある。
『新しい公民教科書』本文「『公民』とは」より

特色
 『新しい歴史教科書』と同じように、『新しい公民教科書』も当会が提案して扶桑社が編集発行している中学の社会科教科書です。

  当会の名称からもわかるように、当初は歴史教科書のみを子どもたちに届ける予定でした。しかし、後に『新しい公民教科書』の執筆者に加わり、当会理事にも就任する高崎経済大学助教授の八木秀次氏(現理事)のご提案により、歴史とともに公民の教科書作成も提案することとなりました。

 その経緯について、氏は『新しい教科書誕生!!』の中で、要旨、次のように述べています。

 八木氏は勤務する大学の入試問題作成に初めて携わった折、高校の「政治・経済」「現代社会」の教科書を研究したところ、まるで左翼市民運動の手引書ではないかという印象を抱き、それでは中学校の 「公民」はどうかと読んでみたところ、高校とまったく同じ印象を受け、それを月刊誌に発表すると同時に、当会内の研究会で発表したことがその発端だったそうです。

この扶桑社版『新しい公民教科書』の特色について、8社の公民教科書を詳細に検証した、三浦朱門・元文化庁長官編著『「歴史・公民」全教科書を検証する』は、次のように紹介しています。

 「国民の自覚・意義・役割を促すという立場を明確にしている点で、最も『公民』と呼ぶにふさわしい教科書といえる。『公民』の意味、『近代社会』の特性、『現代社会』の病理、『国民国家』の意味、『現代文化』の価値と規範といった、政治思想・政治文化の分野まで言及し、さらに近代・時代という時代を歴史の流れの中に位置づけることによって現代社会の特性を浮かび上がらせ、各種制度についての長所や短所にもバランスよく目が配られているが、記述は他社に比べてやや専門的である」

 因みに、採択率第一位(60.1%)の東京書籍は、男女共同参画社会や夫婦別姓に関する記述が詳しすぎ「記述量にばらつきが目立つ」し、日中関係の記述量も他国に比べて多く「多様な国際関係についても観念的記述に終わっている」と手厳しく指摘しています。

 また、帝国書院(採択率5.1%)などは、非武装平和論や自衛隊違憲論、あるいは日米安保条約批判を明確にしている点から「まるで特定政治団体の主張をそのまま代弁しているかのような印象を禁じえない」と、八木氏(現理事)の印象とまったく同じ評価を下しています。
章構成 巻頭ページ コラム

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 特に、既存7社が人権の尊重を強調する傾向にあるにもかかわらず、北朝鮮による日本人拉致事件について一切触れていないのはまったく奇異な感じで、不思議を通り越して意図的なものさえ感じられます。

 すでに日本政府はこの拉致事件を事実として認定(平成9年度『警察白書』)していました。それ故、扶桑社版では「北朝鮮による日本人拉致問題」というコラムを設け、横田めぐみさんの拉致経緯などに触れ「わが国に対する明白な主権侵犯行為であるとともに、野蛮な人権じゅうりんでもある」と書いたのでした。

 ところが、一昨年夏の採択の折、東京の町田市や杉並区においては、見識を求められる教育委員が「北朝鮮当局が拉致そのものを否定しているのに、それを掲載した教科書を使うことはまずいという理由で票を入れなかった」などと発言、採択に反対したのでした。町田市の教育委員はすでに辞任していますが、人権問題で拉致事件は格好のテーマであり、それは国民の事件への関心ぶりからも証されていますので、辞任も当然のことといえるでしょう。

 ともかく「学習指導要領の趣旨をくみとりながら、子供たちに長い歴史を持つ国家の国民としての矜持をもってほしいとの願いから記述されたもの」(八木理事)が『新しい公民教科書』です。