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新しい教科書誕生
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「歴史」著者の想い
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「公民」著者の想い
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QandA
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監修
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執筆
伊藤 隆(政策研究大学院大学教授)
大石 慎三郎(学習院大学名誉教授)
高橋 史朗(明星大学教授)
田久保 忠衛(杏林大学教授)
芳賀 徹(京都造形芸術大学学長)
小林 よしのり(漫画家)
坂本 多加雄(学習院大学教授)
高森 明勅(国学院大学講師)
田中 英道(東北大学教授)
広田 好信(北海道、中学校教諭)
藤岡 信勝(東京大学教授)
八木 哲(静岡県、中学校教諭)
谷原 茂生(栃木県、中学校教諭)
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pass_02_nishioimg.gif 代表執筆者 西尾 幹二(電気通信大学名誉教授)
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教科書執筆の辛さ

西尾 私は、個人的な感想を述べると、教科書を執筆するのはあまり愉快な経験ではありませんね。(笑)

――
それはどういうことですか。

西尾 制約が多すぎて、のびのび書けないし、自分が工夫したレトリックは教科書らしくないといって、編集者や仲間に勝手に削られたりします。

――
先生の教科書像と、皆さんが求めるものが違う、ということですか。

西尾 そうじゃなくて、教科書を書くこと自体がなんともせつない仕事、たえず書くことの意義を疑わせる仕事だとしみじみ思いました。これはつくる会の会員の皆様に知っておいてもらいたい。

たとえば、近代史の冒頭に文部省は産業革命と市民革命をそれぞれ外国の例をあげて書けという指定をしているんです。そのためにイギリスの産業革命とフランス革命を肯定的に客観的に述べる義務がある。ところが、ご承知のようにそれに続く日本史は欧米列強のアジア進出に怯え苦しむ歴史ですから、うまくつながりがつくれない。もちろんアジアの中に産業革命と市民革命の理念もそれなりに流れ込んでくるし、その肯定面もないわけではない。しかし、アジアは全く欧米諸国の経験したのとは違う、受け身の体験をし、災いであった。つまり、産業革命と市民革命が引き起こした欧米の拡大がアジアにとって災いであったという周知の植民地主義に対するおののきがあるわけですよね。これをどうつなぐかが難しいんですね。それなのに、書く分量は両方あわせて4ページくらいしかない。4ページでこの複雑な大ドラマを書き、しかもそれなりの正負を含めて歴史の二面性を書かなくてはならないわけです。受け身のアジアの側も日本、中国、朝鮮それぞれ違う受け止め方をしている。これを4ページで子供に分かり易く書くなんて事はいかなる歴史家にも無理ですよ。つまり、文部省の要求自体が、無限の無理を強いてるわけですね。

ですから、他の会社の教科書を見てみると、一面的一方的に書いている。産業革命も市民革命もプラスの方向だけで書いている。そして、受け身のアジア諸国の苦悩はおざなりに書くことになる。逆にアジアの苦悩を大きく書くとすれば、産業革命と市民革命のネガティブな部分をかなり書き込んでおかなければならない。でもそれだけの紙幅がないんですよ。こういう無理を要求するということは、恐ろしく書き手を馬鹿にした話だと思うわけですよ。私は人生かけて二度とこんな仕事をやりたくない。文部省の要求が書き手の立場を考えていないから、書き手の努力はものすごくむなしく、不毛なんですよ。これを読者の皆さんに伝えたいですね。

指導要領のしばり

西尾 同じ事が冒頭にもあるんです。歴史の始まりを「人類の出現」と「世界の古代文明」から書くことが義務づけられている。このことはみんなあまり知らないんですよ。それでいわゆる猿人、原人、旧人、新人といった人類の発達史から教科書は始まることになるが、歴史家が書くテーマではなく、これを理科の教科書にまわせという声が一般の読者にも強い。熱心な会員も時々そういうことを手紙で書いて来ることがあります。このような進化論的発達というのは仮説であって、実際に猿人、原人、旧人なんてものが我々とつながっているかどうかは判らない。しかも、人類のアフリカ起源説なんてものも仮説なんですよ。私は最近70万年前くらいの原人の遺跡が日本で発掘されているのを見ると、やがて何十年か後には何百万年前の原人のが出て、人類日本列島起源説なんてのがでてくるんじゃないかと笑ってるんですが、これはまあ冗談として、大体、どう考えたって100万年だの50万年前だのという話は、今の人間の生活には関係がないんですよ。歴史として扱えるのかどうかがすでに問題である。土偶も土器もくさび形文字もいかなる形象も残さなかった人類の遺跡なんてものは、人間の生活の感覚をすでに遙かに越えていて、我々の人生の計りうる時間の外にあるので、歴史と言えるかどうかもわからない。だから、心ある会員からもらった手紙には、「どうかこの馬鹿々々しい人類の起源発達なんて歴史の教科書に書かないでくれ、本当の歴史から書いてくれ」ということが寄せられてきたんですが、残念ながら人類の起源発達から書けというのが文部省の指導要領なんだということを知ってもらわないと困る。

続けて、いわゆる4大文明、エジプト、インダス、メソポタミア、黄河文明について書くこと、そのうち代表例として黄河文明にふれること、という指導があるんですが、じゃあ、縄文文明はどうなるんだよ、と思うわけです。今言った古代文明よりも縄文文明の方がはるかに古いんですから。土器がメソポタミアは八千年前くらいですが、縄文はその倍くらいの古さがある。世界最古の土器文明なんですよ。これは、全ての文明は西から来たという歴史観、文明観そのものがおかしいので、人類の活動はすべては相対的に眺めるべきであって、砂漠と大河の文明は食料が乏しかったために農耕と牧畜が始まったという見地を私はとり、縄文文明を醸成していた日本列島は豊かな食資源、森林におおわれ、川魚に恵まれていたので早くから大規模な農耕を営む必要がなかったと考えます。私が言ってるんじゃなく、安田喜憲さんやほかの考古学者も言っている。生活条件が違えば、当然文明も違った形であらわれるんです。こうやって、両方を相対的に等価値に見るならば、縄文文明も同じくらい古いわけですから、縄文文明の方を先にかきたいわけですよ。ところが、それをやると説明が長くなり、ものすごい分量の叙述が必要になってくるんです。どうしても4大文明を先に書いて、縄文は後になるので、後れた未発達地域という印象を与えることになってくる。

それから、我々の教科書では縄文稲作をはっきりと出しました。稲作が弥生からではなく縄文からあったということは、今日の考古学上の常識になっていることですから、日本列島に6千年前からあった稲作の事実に言及しました。それでもここでもページ制限があって、くわしく書けませんでした。

教科書無償配布の制度がよくないんです。600円ていどの値段に統一されますから、量が限られる。欧米の中学生の歴史教科書は日本の5、6倍はあるんですよ。たっぷりのびのびと叙述されています。

皇帝絶対の中国とはまったく違う日本

――
その縄文文明の位置づけは画期的ですよね。

西尾 古代史においては中国と日本とをかなり比較して書きました。高句麗、百済、新羅という三国の北中国との確執が外交的に日本に及ぼした影響を書いたことがこの教科書の特徴の一つではないでしょうか。中国との比較で言えば、孔子の儒教の理想主義と裏腹に韓非子をはじめとする法家の峻烈な現実主義を対比する形で中国史の複雑さを描き出し、非常に短い中に春秋戦国から秦、漢に至る文民官僚統制国家の動きを描き、これを日本の律令国家と比較しました。とりわけ、非常に早い時期において科挙制度が文民官僚統制国家、古代専制国家体制を形成した中国の歴史、すなわち皇帝が科挙と呼ばれる官吏登用試験制度によって自分の手足になって働く官僚を家柄に関係なく登用し、豪族の台頭を押さえた中国史と対比して、日本の場合は、押さえようとしても押さえようとしても絶え間なく出てくる豪族の力と、天皇家の中央集権への集中力との葛藤を中心にすえて、諸外国との軋轢の中で展開するというはっきりとした古代史の見方を提示しました。

古代社会というのは中央集権、すなわち皇帝や王権に権力をいかに合理的に集中させるかということが「公」であります。それは一般豪族たちの恣意に歪められていた土地や人民を王権が取り上げて国家が公平に再分配する。これは唐では均田制、日本では班田制に表現されるところの公地公民です。中国の場合は孔子の出現により一般的な宗教心が否定され、かわりに政治が宗教化してしまったので、中央集権になじみやすかったのではないか。ここまで教科書では書けませんでしたが、だから、春秋戦国以降日本では足下にも及ばないような官僚制中央集権国家ができたのだということは書きました。日本では、中央集権が長続きしない。なぜ日本では長続きしなかったのかということを考えなければなりません。

つまり比較という方法が大切です。中国史と比較して日本の独自性を描かなくてはならない。

豪族が押さえよう押さえようとしても台頭してくる。それが大化改新でまず蘇我氏が倒される。それでもなおかつ壬申の乱で同じ事を繰り返して、やっと天武・持統朝で天皇が中心となったと思ったら、それでも常に不安定で、ほどなく藤原氏に実権を奪われてしまった。だけど、ひょっとしたら、日本の天皇と中国の皇帝では最初からその位置が違っていたのではないかと思います。そういう意味で日本の場合は中国と違って皇帝絶対の高度官僚制中央集権国家はつくろうとしてもつくれなかったのではないか。それがまもなく武家の台頭となり、封建主義になり、江戸幕府に至るわけです。こういうことがわかるような古代国家建設のドラマを子供にわかるように、どこに古代史の情熱が注がれていたかがわかる教科書にしたいと思いました。中国史には武士の優位がない。封建主義がない。幕府なんてものもない。そう書いて初めて日本史の独自性がわかるんじゃないですか。

古代日本のアイデンティティ

西尾 そうした歴史の展開は、やっぱり朝鮮半島と、大陸との政治の動きと関連しているのであって、国際外交史における日本のあり方というのも検討してきました。ところが、戦後になって間違った「アジアの中の日本」という議論が展開されてしまっている。それは、全部のっぺらぼうに日本も中国も朝鮮も地続きのように理解している。そして文化は高いところから低いところに流れるとして、日本をその末端に位置づける。日本が持っていたはずの文化やアイデンティティというものをあまり考慮に入れない。

それでなんだか東アジア共同文化圏みたいのを想定して、それを中心に歴史を考えなければいけないといった風潮が戦後に生まれて、今もそれが根強いんです。私が、「東アジアにおける国際社会の中の日本」と言う場合には、全然違って、四世紀にははっきりとアイデンティティを持った古代国家日本というものがあって、そしてアイデンティティをもった百済があり、新羅があり、高句麗があり、個性を持った隋や唐があった。あの当時明確な国家意識があったということから戦後の歴史学は目を逸らしています。

古事記や日本書紀にも明確に国家意識が伺われます。もちろん近代の国家意識とは別です。ただ民族としての性格が現れ始めている。王権に代表される民族の個性を古代国家の個性と考えていいのですが、これは当時のヨーロッパにまだなく、東アジアに早くから現れた。我々の教科書には古代日本の国家意識もはっきりと打ち出しています。古代国家が大きくなったのは4世紀ですが、それ以前の国家建設についてはよくわからないとはっきり書きました。ただ古事記・日本書紀には神武天皇東征の物語がありますので、九州から近畿に移った勢力が中心となって大和朝廷になったという可能性が充分に考えられるので、神武天皇東征伝承を地図入りで分かり易く書きました。2月11日の建国記念の日が神武天皇即位の日を太陽暦になおしたものだということも明記しました。なぜならば、今の子供は2月11日に学校を休んでもなぜ休みなのかがわからない。「お父さん今日は戦争に負けた日なの?」なんていう笑い話があるくらいです。こんな馬鹿なことはない。学校がちゃんと教えなければならないんです。ですから我々の教科書では建国について触れました。どこの国も王権の起源は歴史と伝承の薄明のもやの中にあるのが常で、それでいいのです。歴史とはそういうものです。日本人だけさかしらに利口ぶるのはやめた方がいい。

また、邪馬台国論争にしても、魏志倭人伝は仮説の一つに過ぎないということを書きました。不正確な資料だから、今でも論争が尽きないのです。あれを唯一の絶対史料だと思うのは間違いです。

日本語と神話

――
『国民の歴史』でお書きになりましたよね。

西尾 『国民の歴史』で書いたようなこともある程度入れました。それから、神話を考えるときには科学的なことを考えなければなりませんので、私たちの教科書では「日本語の起源と神話の発生」というコラムを設けまして、単に神話の物語を提起する前に、神話がどういう意味を持っているかということ、例えばハイヌウェレ神話と農業との関係についても述べ、日本語の起源という謎めいていて未だ決着がつかない問題の展望も掲げました。

おそらく日本語の大本をなす縄文語があったということ、日本語は中国語から文字を借りたけれども、それに先立つ何千年の日本語の歴史があったということ。言語と文字は別であり、言語は文字よりはるかに古いということ。言語は数千年から1万年近い歴史を持っていること。ここから、神話というものは文字のない時代にどのような意味を持つのか。つまり、アイヌ民族のユーカラのように優れた口承文学を残した例は人間の記憶力というものが文字のない時代にはどれだけ強力なものかを物語るものであって、文字の使用によって記憶力が減少・減退したと考えられます。そういうことによって、神話というものが単にただのお話ではないということを説明しています。同時に、神話に関してはさらに一節を設けて日本の神話として古事記の中の伊耶那岐命(イザナキノミコト)と伊耶那美命(イザナミノミコト)、天照大神(アマテラスオオミカミ)と須佐之男命(スサノオノミコト)、邇邇芸命(ニニギノミコト)の天孫降臨の物語を4ページたてて内容紹介をしました。これは短いなかに簡潔かつ巧妙にあらすじを面白く書いたもので、われわれの教科書の一つの特徴であると思います。

日本人が中国から文字を導入する際に音仮名を発明し、「恋」という語を「古比」「古飛」「故非」「孤悲」と書いたり、「衣」という語を「乙呂母」「去呂毛」「許呂毛」「許呂母」と書いたという万葉仮名と呼ばれる音仮名の実例を挙げて子供にもわかるように古代日本人の知恵を、つまり漢字が仮名として使われていた事例を紹介し、加えて、日本が律令や仏教や儒教といった古代中国の文化の土台を学ぶために、中国語を中国語として読むことをせず、日本人がこれを日本語読みして内容だけを理解する訓読みを発明したという独特な事例を紹介し、日本語の言語がいかに動かなかったかということ、つまり中国から文字は借りたけれども言語としては日本語と中国語は全く関係ないということに触れました。

最近中国語を学ぶ学生が増えてきて、このことは一般的にも広い理解が及んだと思います。中国語の先生は最初に学生に対して中国語は日本語と違いますと強調するんですよね。みんな文字が同じだから易しいと思って中国語を選ぶけれども、実は発音が全然違って、ローマ字綴りで発音を覚えなければならない。例えば、「娘」と書いて「niang」と読んだりですね。これをうんざりするくらいやらされるわけですよ。日本語と中国語は違う言語だと言うことを最近かえって中国語を学ぶことによって実感するんです。このような独自な言語というものが、まさに日本文化の独自性、独立性を示しているのであって、私たちの教科書はこの日本語と神話を古代史の中心においていることが一つの特徴だと思っていただければ幸いです。

「日本の美」をクローズアップ

――
日本文化の特質に対する理解を深めるということですね。

西尾 次にですね、この教科書の特徴は美術にウエイトをおいたところです。まず、冒頭の口絵写真は日本の美の形というものを伝えるということで、余計で無駄なグラビアを削り、美術で統一しました。そのために少し大人っぽいかもしれませんが、しかし、気品と内容のある落ち着いた教科書になっていると思います。この教科書にはですね、子供にこびるようなつまらない漫画はただの一つも出てこない。漫画で子供にこびるようなことは良くない。だから、大人が読んでも読み応えのあるようなものになっています。日本の美術は西洋や中国の美術と並んで深い内容を持っている。日本においてこのようなすぐれた美術がつくられた背景には、日本人の「形」に対する高度な鑑賞力があった、というようなことが書かれています。

ずっと、時代が飛びまして、江戸時代に浮世絵と印象派というコラムをおいているのも特徴の一つです。ゴッホの「花咲く梅の木」が広重の「亀戸梅屋敷」の模写であるということ、北斎の「北斎漫画」がドガの「裸婦像」にそっくり利用されたことなど、日本の美術が西洋美術に大きな影響を与え、日本における、近代美術を切り開いていったことを一目でわかるようにしています。これはニューギニアの奥地の蛮族のトーテムがピカソに影響を与えたというのとは違っていて、日本の場合における、西洋の遠近法その他を把握した後にそれを意識して乗り越えていた広重や北斎の浮世絵の構図の大胆さや先駆性というのは、美術史上画期的な出来事なんです。このような日本独自の近代性が明記されているのもこの教科書の特徴です。

先人を鮮やかに描き出す人物コラム

――
そのように日本の美術を詳しく紹介している教科書は今までにはありませんでしたね。他にどんな特長がありますか。

西尾 この教科書のもう一つの特長は人物コラムというものです。どのような人物が書かれているかというと、最初は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)と弟 橘媛(オトタチバナヒメ)。これは皇后陛下のご幼少の頃の読書体験に語られた物語です。その次は最澄と空海という2人の宗教家の宗教上の位置を多角的に語ったものであります。3番目のコラムは源頼朝と足利義満です。この組み合わせは、多少奇異に思われるかも知れません。しかし、古代王権の最後をなす頼朝、すなわち朝廷に対して初めて武門の位置をたてた頼朝は、天皇に逆らうなんて事はゆめゆめ思わなかった。朝廷があってはじめて幕府の地位が保障されるというような考えでした。それに対して室町の3代将軍義満は、天皇の地位を狙った最初にして最後の武将であったでしょう。この位置の違いに鎌倉から室町への歴史の転換があったことが鮮やかに描き出されています。次に信長・秀吉・家康の3人の武将をわずか1頁の中で巧みに比較しています。誰でも知っている例のホトトギスの歌を元にしているわけです。

次に、個性的な人選ですが、まず石田梅岩と二宮尊徳です。日本人における勤勉の哲学、働くことの道徳を継承しなければならないという意味で、この2人があげられている意味は大きいと思います。まさに江戸時代は勤勉革命によって近代化がなされました。それに対してヨーロッパの資本主義は奴隷貿易と大西洋経済圏の確立によって近代化がなされました。我が国は江戸時代に勤勉によって富の蓄積がおこなわれ、勤勉と倹約と合理主義による経済力が明治へと受け継がれたのです。それを考えると我々の現在もこれらのモラルによって成り立っているということで、この上もなく重要な人物の選定だと思います。次に明治期には勝海舟と西郷隆盛、大久保利通と伊藤博文について書きました。最近の教科書には伊藤博文の名前が出てこないといわれます。出てくるとすると、朝鮮のテロリストに殺害された場面で初めて現れ、しかもそのテロリストはグラビア入りでその生涯の説明まで付されているという馬鹿々々しいバランスの喪失で、いったいどこの国の教科書だかわからない。伊藤博文の業績を考えると、これは驚くべき扱いであります。

――
本当にひどい状況ですね。日本人は無条件で悪、アジアの人々はどのような場合であろうと善、という構図が初めから用意されていて、それに当てはめて歴史を語っているようにも思えます。

西尾 続いて、人物コラムは、陸奥宗光と小村寿太郎という日清日露の終結を達成した二大外交官の生涯を人柄の面からも綴った文章をあつかっています。次に、津田梅子と与謝野晶子がとりあげられます。津田梅子は岩倉使節団に伴って8歳の時に渡米し、やがて日本の女子教育の基礎を築いた人です。新しい試みには慎重な配慮が必要であることを忘れなかった梅子は、自分の女子教育が世間からつまらない誤解や反対をされないように、生徒達の日常の行儀作法や言葉遣いなどにも注意し、一見保守的な雰囲気の中でお互いの個性を尊重しあう気風を育むことにつとめた人物です。教科書では津田梅子は今日でいうところの帰国子女であると書きました。しかしアメリカ留学かぶれの軽薄さはない。日本の現実をみながら堅実でしかも冷静な対応をした梅子の姿がリアリスティックに描かれています。

情熱の歌人与謝野晶子は教科書の人気スターです。それはご承知のとおり、「君死にたまふことなかれ」という歌を反戦歌としてあげつらうからです。しかし、我々の教科書では晶子は反戦の歌人ではなく、弟が実家の跡取りであることからその身を案じて歌った歌であり、晶子が家の存続を願うという極めて自然な一面を持っていたということを書いています。時代はすすみ、コラムは夏目漱石と森鴎外外という文豪を留学体験の相違から文学の個性のありかたの相違へと展望します。そして人物コラムの最後は昭和天皇で締めくくられます。「昭和天皇――国民とともに歩まれた生涯」と題しまして、昭和天皇崩御のときの老婦人の言葉から始まります。また、昭和6年の鹿児島での船上でのエピソードも綴られています。ポツダム宣言受諾の際読まれた「爆撃にたふれゆく民の上をおもひいくさとめけり身はいかならむとも」という御製も紹介しています。

ユニークな図版にも注目

西尾 グラビアや図版もユニークであまり教科書では使われない珍しいものも使用されています。例えば、安土桃山時代にキリスト教の教義を日本語でまとめた本がだされています。つまり日本での活版印刷の最初期のものになります。「どちりな・きりしたん」という題名ですが、私も存在は知っていたんですが、実際に見るのは初めてでした。これは非常に珍しいものです。それから当時の泰西王侯騎馬図屏風という珍しいものが載っています。もうひとつ面白いのは「欧米から見た日露戦争」というフランスの新聞の挿し絵です。大男であるロシアに挑戦する日本人を世界の人が見守っているという構図ですね。レスリングのリングの上に大男ロシア人と小男日本人が向かい合っています。この絵は私は見たことがありませんでしたし、また他の人も見たことがなかったのではないでしょうか。これらの図版は扶桑社の編集部の方が努力して集められたものであることをご報告しておきます。

戦争の世紀と日本の苦悩

西尾 日露戦争については、通例の教科書では反戦運動が強く語られて、概ねご承知のように内村鑑三、幸徳秋水、与謝野晶子を代表的な反戦論者として掲げて、ある教科書では戦争に反対する人々と戦争に賛成する人々の見解が並べられていて、どっちが正しいだろうかという誘導尋問のような現代の反戦平和主義の感情で子供たちを操っている教科書もあります。我々の教科書はそのような見えすいたことを子供たちに与えたりしません。浅知恵はなによりも教育の敵です。小村寿太郎が日本はイギリスと同盟を結ぶべきか、ロシアと同盟を結ぶべきかという選択に迫られたときに書いた小村意見書というのがあります。これはイギリス側についた時の利点や欠点、ロシア側についた時の利点や欠点を冷静に分析したもので、日本が厳しい国際情勢の中に立たされたときに必死に問題を考えながら如何に的確に対処したかを物語るものです。当時の状況が、今からでは想像もつかないような厳しいものであったことが中学生にもわかるように対比的に書かれています。またコラムでは日露戦争に対する外国人の肯定的評価をいくつか紹介しました。

慰安婦問題についてはもちろん1行たりとも書かれていません。南京事件については東京裁判の記述のところで東京裁判に突如初めて出されたテーマとして紹介しました。我々は日露戦争の直後から第2次世界大戦の時代までをひとくくりのものと捉えました。これは全体を大きく把握した時に妥当な考え方だと思います。日露戦争終結後に日本は列強の仲間入りをしてすぐに、カリフォルニア移民排斥など様々な国際問題にぶつかったわけですから。我々は、第二次世界大戦時代の冒頭に1860年代から1912年の間にアメリカが獲得した主な領土や植民地の一覧図を掲げました。アメリカは日本の立ち上がりの時期に、日本列島の太平洋側の地域を封鎖した形になったわけです。この封鎖だけで日本にとって脅威であった。日米戦争は必然のものであったことが今になって思われるわけです。戦争というものは正義でもなく不正義でもなく、道徳とは無関係におこりえるものなので、日本が正しいとかアメリカが正しいとかはあり得ないわけです。

それからファシズムの台頭と題したところで、今まではナチズムやファシズムは一方的に悪者視され、共産主義には肯定的な評価が与えられていましたが、我々はファシズムも共産主義も秘密警察や強制収容所による党支配のものであり、全く同質のものとして描きました。ヒトラーとスターリンは同時代人で、互いに相手のやり方を学習しあっていたという観点が提起されています。また、南京事件にしても、第一次南京事件つまり中国国民党が外国領事館及び居留者にたいして暴行略奪を働き、多数の死者を出した事件について書きました。当時の日本は無抵抗を貫きました。

心を打つ教科書

西尾 大東亜戦争については、4ページにまとめられていますが、最初の2ページは東南アジアにおける緒戦の大勝利を描いています。僅か100日ほどでアジアから白人支配を追い出したので、東南アジアやインドの人々、さらにはアフリカの人にまで独立への夢と勇気を育んだ、と記述しています。後半2ページはミッドウェーからの敗北への悲惨が描かれています。

我々の教科書で自分で言うのもなんですが、日本人の心を強く打つものがあります。おそらくこれまでの教科書で初めてではないかと思われますが、神風特別攻撃隊について叙述的に写真と隊員の家族への手紙入りで書かれています。そしてその章のしめくくりに「戦争は悲劇である。しかし、戦争に善悪はつけがたい。どちらかが正義でどちらかが不正という話ではない。国と国とが国益のぶつかりあいの果てに、政治では決着がつかず、最終手段として行うのが戦争である。アメリカ軍と戦わずして敗北することを、当時の日本人は選ばなかったのである」とあの時代の日本人の決意と自己認識をまとめています。この部分は我々の志を強く訴えたものであり、「つくる会」の原点とも言えるかも知れません。

また、次の章で我が国が開戦直後から戦争の目的の一つとして掲げていたアジア解放について具体的に述べ、昭和18年11月に東京で開かれた大東亜会議について言及しています。大東亜会議では各国の自主独立やたがいの提携による経済の発展、各民族の伝統文化の尊重、そして人種差別撤廃を強くうたう大東亜共同宣言を満場一致で可決しました。これは後に1960年の国連総会で決議された植民地独立宣言と期せずして同じ趣旨のものになりました。

新しい教科書は日本が様々な迂余曲折や困難を経ながらも、インド仮政府、ビルマ(ミャンマー)、フィリピン、ベトナム、カンボジア、ラオスなどの国々を独立に導いたということを伝えています。また、インドでは我が国が敗北した直後、イギリス軍が日本軍とともに戦ったインド国民軍を処罰しようとしたのに対し、インド人が民衆をあげて激しい抵抗をして、これを契機に全面的にインドが独立をなしえたのだと描いています。更にインドネシアでは、PETAと呼ばれる日本軍によって組織された3万8千人の軍隊が、2千人の日本人義勇兵とともにオランダ軍を相手に独立戦争を開始し、それによって、4年後の1949年インドネシアが350年間続いたオランダ支配から独立したということに言及しています。このように日本軍の南方進出がきっかけとなり、アジアからアフリカまでヨーロッパの植民地だった国々の独立の波はとどまることがなく、「第二次世界大戦後の世界地図は一変した」としめくくられています。これは事実が証明したまぎれもない歴史の足跡です。フランスやイギリスの教科書は日本の戦争がアジア・アフリカの解放にはたした役割を認めて、同じ意味のことを書いております。

誤解を正す教科書

西尾 よく誤解されるのですが、ジェノサイドと戦争犯罪は別です。ある民族や人種の文化的集団に対する組織的計画的な殺戮をジェノサイドというのですが、わけてもその中で代表的なナチスのユダヤ人大量殺戮はホロコーストと別によばれます。ジェノサイドはより広義の概念で、ナチスだけでなく、スターリン、毛沢東、ポルポトの大量殺人も含まれます。われわれの教科書はこのことをはっきりさせています。「これは戦争犯罪ではない。戦争とは無関係におこなわれる、おそるべき犯罪であり、20世紀に人類が生んだ最大の悪である。」と記し、数千万の規模で殺戮をおこなったスターリンと毛沢東の人類史的犯罪をも明記しています。

日本はたしかに戦争犯罪は犯したかもしれません。しかし戦争をして戦争犯罪を犯さない国はなく、戦勝国も例外なく戦争犯罪を犯してきました。しかし日本の歴史にジェノサイドもホロコーストもありません。それどころかわれわれの教科書は、日本がドイツと同盟を結びながら人種差別反対というベルサイユ会議以来の国の方針によって、ユダヤ人を助けたことをも伝えています。他方、広島、長崎の原爆投下ははたして単なる戦争犯罪だろうか、それともジェノサイドに当てはまる「人道に対する罪」だろうか、との問いをも立てて、子供たちに概念の相違を考えさせるようにしています。概念の混乱をふせぐのが大切です。なにもかも一緒くたにして、日本とドイツの戦争を同じに扱うようなばかげた誤解はもうここいらで終わりにし、教育現場からもぬぐい去ってもらいたいと思います。

さらに今まで、侵略戦争ということばの定義もはっきりしないまま、このことばを用いていたずらに感情論に終始していました。われわれの教科書では「『侵略戦争』とは」というコラムをもうけ、1928年のパリ不戦条約から1974年の国連総会決議までの、このことばをめぐる国際法理上の流れを、子供にも分かるように要約して伝えました。

コラムにはこのほかに「出土品から歴史を探る」「日本の国歌と国旗」「明治維新と教育立国」などがあります。

――
本日はお忙しい中、大変有意義なお話、どうも有難うございました。

『史』平成12年5月号(通巻21号)より

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