ドキュメント2001
平成13年採択結果
採教科書採択の仕組み
学習指導要領 抜粋
近隣諸国と修正要求

※『韓国政府の「日本歴史教科書歪曲に対する修正要求」』及び『教科書問題に関する中国側よりの申し入れ(先方よりの覚書)』は『新しい歴史教科書「つくる会の主張」』に収録されています。
韓国の修正要求と歴史共同研究への疑問
〜限界がある国家間の歴史共同研究〜
日本紛争予防センター所長
 阿曽村邦明
中韓両国からの修正要求とわが国の対応
2001年5月8日、韓国政府はわが国の検定済中学校歴史教科書8種類のすべてに対し、記述に歪曲や隠蔽、事実誤認などがあるとして駐韓寺田大使を通じ35項目にのぼる修正要求を行いました。この中、25項目が扶桑社版に対するもので、10項目が扶桑社以外の出版社に対するものです。

修正要求は古代から現代にわたっており、「第1に、事実と記述の誤りがあるか、第2に、解釈と説明に歪曲があるか、第3に、内容に縮小や欠落があるか」を判断基準とし、「検討意見を記すにあたっては韓国と日本で行われた歴史学界の学問的な研究成果を十分に反映した」と述べています(韓国政府「日本歴史教科書歪曲に対する修正要求」についての基本姿勢説明文書)。

次いで、中国政府が、2001年5月16日、扶桑社版のみにつき、近現代史関係8項目の修正を「覚書」の形で申し入れて来ました。

これらの修正要求に関し、わが国政府(文部科学省)は、7月9日、古代朝鮮史の記述二ヶ所(扶桑社本の広開土王碑文による大和朝廷出兵の援助対象国を百済と新羅としている点と大阪書籍本の年表上の記載時期の不正確さ)についてのみ、両社に対し事実を誤って記載しているので訂正の必要がある旨通告し、これを韓国政府に通報いたしました。あとは中国政府の要求をふくめ修正に応じなかったのであります。

なお、日本政府の韓国及び中国の修正要求に対する立場表明に先立って、扶桑社本の執筆者グループは韓国併合など7項目9ヶ所の自主訂正を文部科学省に申請いたしました(2001年7月2日)。福田官房長官は午後の記者会見で「大局的見地からの自主訂正を評価する」とし、又、「自主的に修正するということで教科書検定制度の趣旨も守られている」-と述べ、今回の自主訂正が韓国、中国両政府からの修正要求とは無関係との認識を表明いたしました。

韓国及び中国のわが国教科書の記述に対する修止要求問題は、それ自体、一つの研究テーマになり得るのですが、この講義では対象を「古朝鮮」の部分にしぼってお話ししようと思います。
古朝鮮記述では中国にも修正要求したらどうか
韓国政府が扶桑社以外の7社の教科書について日本政府に対し行った10項目の修正要求の筆頭が「古朝鮮」問題です。わが方の教科書原文に「漢の影響を受け…朝鮮半島北部から小国を統一した高句麗が興った」とあるのに対し、韓国の「検討意見」は、「古朝鮮の存在を見過ごし朝鮮半島の初の統一国家を高句麗と記述、漢の影響を受けたと説明」しているのが不適切である、というのです。

ところが、「古朝鮮」というのは、韓国国定中学歴史教科書では箕氏朝鮮ぬきの檀君朝鮮と衛氏朝鮮だけを意味しているようです。檀君朝鮮(神話)と衛氏朝鮮(歴史)の間にある箕氏朝鮮がすっぽり抜けおちているのは、神話と歴史を混合させる技法としてはいささか奇妙なところがあるように思われます。しかも、日本政府に対し、韓国政府の認識しているこのような「古朝鮮」を無視していると不満を述べている訳で、要は、1908歳まで生きたという超人壇君を韓国の教科書と同様に実在の人物である、つまり、歴史的事実として叙述し、その即位年代も年表に「BC2333年、檀君、朝鮮王として即位」と記すことが「韓同と日本で行われた歴史学界の学間的な研究成果を十分に反映した」見解ということになるのでしょうか。これでは、日本の教科書も「天孫降臨」を「歴史的事実」として記述しなければ、少なくとも韓国の歴史教科書の水準に達しない(?)ということになりそうです。

日本の教科書の中で韓国や中国の批判が集中している扶桑社版教科書でも神話はあくまで神話として取扱われており、神武天皇の東征も「古事記」や「日本書紀」に存する「伝承」であると明記しておりまして、年表には天孫降臨も神武東征も出て参りません。神話なり伝承と歴史的事実とは、はっきり区別されております。

中国の初級中学歴史教科書「世界歴史」第1冊にも檀君朝鮮に関する記述は存存せず、「朝鮮人民は古より朝鮮半島に住んでいた。紀元前後の時期、朝鮮半島の北部地域を統治していたのは高句麗奴隷制度国家である」と記述しております。中国にとって檀君朝鮮は神話に過ぎず、箕氏朝鮮は伝説でないと仮定しても漢人東遷の結果出来た国家です。歴史的事実として、就中、その滅亡の経緯が同時代の人である司馬遷の手になる「史記」に詳細に記述されている衛氏朝鮮も漢の領土内にある燕の国人衛満が東に奔って建てた国であります。

こういう立場からすると、朝鮮民族が自ら建てた最初の国家は高句麗である、ということになるのでありましょう。そもそも、神話を排し生身の人間による史実を尊ぶ「史記」の様式に可成り忠実に従った朝鮮民族最古の史書たる「三国史記」は、新羅、高句麗、百済の歴史を叙述しており、箕子は四カ所に出て来ますが、檀君は全く出て来ません。

こうなると「三国史記」の編者たる泉下の儒臣、金富軾にも「訂正」申し入れを行わなくてはなりますまい。また、韓国は中国に対しても日本に行ったと同様の修正要求をしなければならないはずですが、少なくとも外交通商相が中国の大使を呼んで公式に教科書の訂正要求をするとか、或は2001年10月15日の小泉首相の訪韓時に金大中大統領との聞で合意されました歴史専門家による共同研究の実施などは、韓国と中国の間では行われていないようです。

共同研究と申しましても、日本側は「教科書検定と直接結びつけない」(外務省幹部談)としているが、韓国側は金大中大統領は「正しい記述になることを前提に、共同研究機関の発足を」と述べたと報ぜられています(2001年10月16日付「日経新聞」朝刊)。韓国の文教部の中学校教授要目は「国史の目標」として、「優秀な民族文化を創造したわが民族の力量を理解させ、民族文化の継承と発展に努める態度を養う」として極めて国粋主義的であります。

共同研究に出て来る韓国側「専門家」がどの程度こういった教授要目から自由であるのか、韓国の社会風土からして若干疑わしいところもあって、このような共同研究が真に実を結ぶのか必ずしも楽観を許さぬものがあるようにも思われます。
歴史共同研究の限界
尚、筆者は、日本予防外交センター(現・日本紛争予防センター)所長として本年2001年2月19日〜21日に北京で行われた中国現代国際関係研究所、日本予防外交センター、広島平和研究所共催の第2回日中予防外交会議「予防外交と東アジア安全保障メカニズムの構築」に出席したが、その折に日本側の某出席者の「歴史の共同研究」を行うべしとの発言に対し筆者の述べたところは要旨下記の通り。



本日のセッションに参加して中国側の議論を聞いていると、文化大革命のときに日本人が毛沢東語録を渡されて「これを読め」といわれた情景を思い出す。なぜかといえば、本来は民間のクローズドセッションであるにもかかわらず、中国側の参加者が一人残らず歴史認識の問題を取り上げ同じような発言をしたからである。

日本の教科書は、日本の専門家が書くわけであるが、今やクレディビリティ(真実性)を失った古いマルクシズムというか唯物史観の影響を強くうけている人々が少なくない。彼らは戦争に対する反省、帝国上主義への反対、日本の体制反対などを唱える立場であるから、彼らの書く日本教科書ほど自国が惨めで間違っていると書いてあるような教科書は他国に例がない位である。

戦後50年たち、こうした見方に次第に反省が加えられている。我々の国がそれほど悪いのなら、何故、我々は、これだけ豊かで、しかも所得格差が相対的に少ないのか。よく外国の方々にいわれる「日本は共産主義的資本主義の最大の成功例である」ということに思いを至す必要がある。

現在の日本は、これまでの50年間に対する反省が次第におこっている状況であり、これについて外国政府から居丈高にあれこれ一言われると、国民の間にきわめて不愉快な感情を生ずることとなり、これは当然の結果である。

日本のジャーナリズムの多くは、政府が困るようなニュースがあれば、喜び勇む傾向がある。中国の新聞とは報道についての姿勢が大きく異なっている。かつて鈴木善幸内閣のとき(1988年)に日本の高校用の教科書検定において中国華北への「侵略」という記述を「進出」と書き換えさせられたと日本の新聞が報道し、これが大きな外交問題に発展したのであるが、なんと実際は事実無根であったことが判明した。これが日本の歴史教科書に対する外国政府介入の発端であり、日本の教科書が更に自虐色を強めるに至った契機である。

T先生のいわれた、歴史の共同研究には限界があると考える。まず、事実関係に限っては共同研究は成立し得ると思われるが、しかし、その前提はお互いの研究者に研究の自由が保証され、自国政府の主張と異なる結果となっても、研究者やその家族が社会的な損失を蒙らないことである。社会が自由で、寛容であることが前提である。他方、事実の解釈については、共同研究、少なくとも、一つの結論を出そうとする努力には馴染まないのではないか。

※『麗澤大学論叢』第13巻(2002年2月)所収「蒙古の対外膨張に対する大陸周辺諸国の対応と檀君神話」より抜粋
阿曽村邦明  あそむら くにあき
昭和10年(1935年)、秋田市生まれ。同35年、東京大学農学部農業経済学科卒業。同年、外務省入省。同37年、米国・アムハースト大学政治学科卒業。
ベトナム・チェコスロバキア・ベネズェラ大使などを歴任して、平成10年に退官。現在、日本紛争予防センター(旧称・日本予防外交センター)麗澤大学客員教授。

『史』平成14年5月号(通巻32号)より

北京で行った「逆修正要求」の顛末
中国韓国と論争できる若者の育成を!
明星大学戦後教育史研究センター
勝岡寛次
はじめに
筆者は昨年11月18日から4日間、アジア安保・防衛研修北京ツアー(団長は郷田豊日本クラウゼヴィッツ学会会長)の一員として訪中し、中国国際戦略学会・中国人民外交学会・人民解放軍国防大学の3ヶ所で、中国側との討論に参加した。

とりわけ最初に臨んだ中国国際戦略学会では、筆者が教科書問題に関する基調提起を行い、中国側がそれに対して真っ向から反論してきたので、ちょっとした論争になった。本稿ではその顛末を報告したいが、その前に初めて北京を訪れて感じた、抗日戦争関連施設の問題点についても指摘しておきたい。
小泉首相の「侵略」容認発言と、その責任
昨年8月13日に靖国神社を参拝した小泉首相の談話は、「特攻隊の遺書に感動した」と日頃公言して憚らぬこの人が、こんなことを言うかと耳を疑うような代物だった。「この大戦で、日本はわが国民を含め世界の多くの人々に対して、大きな惨禍をもたらしました。とりわけ、アジア近隣諸国に対しては、過去の一時期、誤った国策にもとづく植民地支配と侵略を行い、計り知れぬ惨害と苦痛を強いたのです。」英霊を冒涜して憚らぬこの発言に、怒りを覚えたのは筆者だけではないだろう。

しかも、事はこれだけでは済まなかった。10月8日には首相自ら北京に出向き、「お詫び行脚」よろしく盧溝橋の抗日戦争記念館を見学した後、次のように語ったのであった。

「侵略によって犠牲になった中国の人々に心からのおわびと哀悼の気持ちを持っていろいろな展示を見て、二度と戦争を起こしてはならない。それこそが戦争の惨禍に倒れた人の気持ちにこたえることだ(と思った)」(10月9日付産経新聞)

その後の報道で、一連の小泉首相の言動は中国の要求に沿ったものであったことが判明したが、それにしても何故、それほどまでにして中国の意を迎える必要があったのか。過去の村山首相談話にも勝る「侵略」容認発言をした小泉首相の責任は、極めて重大である。
抗日戦争記念館・日本軍暴行館の問題点
盧溝橋にある抗日戦争記念館を筆者が訪れたのは、小泉首相が訪問した40日前後のことであった。これは盧溝橋事件50周年に当る1987年にオープンしたものだが、5年前の1997年には、同館内に新たに「日本軍暴行館」もオープンした。

暴行館の中は10のコーナーで仕切られており、「略奪」「虐殺」「慰安所の設立」「毒ガス作戦」といったコーナー毎に、多くの”証拠写真”が中日両文の解説入りで掲げられていた。明らかに日本人に読ませるための意図的な演出であるが、思わず嗤ってしまったのは、「婦人と幼児を虐待する」のコーナーにあった1枚の写真である。そこには、次のような解説が掲げられていた。「河北省阜平県羅峪村婦人救助会主任の劉耀梅は日本軍に連行されたが、断固として屈せず、むごく殺害された。日本軍は彼女の腿から肉をえぐり取って、鮫子を作った」

日本には、残念ながら婦人の腿の肉から鮫子を作って食べるような文化は存在しない。日本人なら誰だって、日本軍がそのようなことをするわけがないと即座に断言するだろう。他にも幼児がむごたらしく殺された写真の解説に、「日本軍に目玉をぬき取られ、腹を切開された中国の嬰児たち。彼らの肝臓は日本軍に食べられた」とあったが、中国人には日本と中国の食文化の違いが全然解っていないようだ。このような解説を堂々と掲げること自体、いかにデタラメな展示であるかということを自ら告白しているようなもので、笑止であった。

しかし、嗤ってばかりはいられない。中国に修学旅行に行く高校生は毎年4万人を超えるが、北京に行けば必ず抗日戦争記念館・日本軍暴行館に案内される。暴行館にはテレビモニターが置いてあり、ふと見ると、日本軍の兵士が大きな坑の中に、中国人を生きたまま何人も放り込んでいるではないか。そしてその上から盛んに土をかぶせているのである。これは、言わずと知れた米国の反日宣伝映画「ザ・バトル・オブ・チャイナ」の一場面であるが、これを見せられる一般の中国人や日本人は、これが「やらせ映画」であるとは、無論知る由もないだろう。その時、筆者の脳裏を過ぎったのは、日本から来た何の予備知識もない高校生が、これを見てどう思うだろうかということだった。聞けば中国は、今年から日本の修学旅行生をビザなしで受け入れるそうである(昨年9月27日付西日本新聞)。その下心やいかにと考えると、暗澹たる気分に襲われた。
抗日戦争記念彫塑公園−まだ残っていた「ジヤップ」の解説板
盧溝橋では他にももう一つ、抗日戦争記念彫塑公園が一昨年(2000年)に完成したばかりである。中央に高さ15メートルの巨大な石碑があり、日本軍の兵士や戦車を石の重みで押しつぶしたデザインにしつらえてある。その周囲は、高さ5メートルの38基にも及ぶブロンズ塑像が取り囲み、その一つ一つが「南京での大虐殺」「七三一部隊の巣窟」「三光作戦」「万人坑」といった抗日戦争の主要場面を表現している。

問題は、その一基一基に付けられた解説文である。中国語の解説文では、日本を表す用語には「日寇」という蔑称が多用され、日英両文の解説板でも、当初の英訳は全て「ジャップ」(Japs)となっていた(昨年11月5日付産経新聞)。いくら何でもこれはひどいというので、日本側から抗議があり、筆者が訪ねたときには「ジャップ」の解説板は殆ど撤去されていたが、一枚だけまだ残っていたので、証拠写真としてお見せしたい(『史』30号P16写真参照)。

中国という国は、日本から毎年2000億円にも上る巨額のODA(政府開発援助)をせしめながら、やっていることと言えば、軍備拡張に非ずば、この種の反日宣伝施設の新設ばかりではないか。北京以外にも、例えば南京には「侵華日軍南京大屠殺偶難同胞紀念館」(1985年)があり、ハルビンにも「731細菌部隊罪証陳列館」(1995年)が出来たことは周知の通りである。

日本国民の税金を、湯水のように注ぎ込んだ結果は、却って国益を損ねることにしかなっていないこうした現実を、政治家は何と心得ているのか。そのような国にはびた一文ODAなどくれてやらないと、日本の政治家は何故言えないのだろう。
中国国際戦略学会での論争から
さて次に、筆者が基調提起を行った、中国国際戦略学会での論争について触れておきたい。

中国国際戦略学会(会長・熊光楷中国人民解放軍副参謀長)は、退役軍人・外交官・学者などで構成される、人民解放軍の総参謀部に属する中国のシンクタンクの一つである。筆者は、拙著(『中国・韓国「歴史教科書」を徹底批判する』小学館文庫)で先方の修正要求に対抗して「逆修正要求」を提出した経緯もあり、それを現地中国で実際に試みてみようというのが、今回の発表の目的であった。

まず、中国の修正要求に対しては、「不当な内政干渉」であるとの日本側の批判を提示したところ、先方は近隣諸国条項を楯に、「これは内政干渉ではない」と切り返してきた。「侵略について美化したり歪曲することは内政の範囲を超えている」というのであるが、中国の修正要求は「内政干渉には当らない」と、先方の主張に瓜二つの答弁をした外務省高官もいるこの国のことゆえ、既に外堀は埋められつつあるとの危機感を抱いた。

次に、アヘン戦争(イギリスの教科書は無視して教えていない)と元寇(中国の教科書は無視して教えていない)を例に取り、中国がイギリスや自国の教科書の実情を無視して、日本に対してだけ修正要求をすることの矛盾を衝いてみたが、これに対しては完全に黙殺された。察するところ、叩いても効果のないことが初めてから判っている国は叩かない、叩けば叩くほど謝るような国はどんどん叩くということなのだろう。

逆に、先方がむきになって反論してきたのは、南京事件の問題である。南京で30万人以上を虐殺したというのが、現在の中国の公式見解であるが、当時の南京の人口(最大限見積っても25万人)から見て、そんなことは有り得ないという論陣を当方は張ったが、それに対して幾つかの反論が返ってきた。

一つは、「極東国際軍事裁判で30万人以上と言っている」というもの。これは詭弁である。確かに検察側はそう主張したが、当時、南京の安全区には20万人しかいなかったという弁護側の反論があり、判決では30万人以上の数字は否定されている。

面白かったのは、そう筆者が反論すると先方が大きく頷いたことである。知っていてそう言っているのだ。日本人が反論しなければ、中国では嘘も本当になってしまうと感じた。

もう一つ、これは筆者には初耳だったが、「広田弘毅が30万人殺戮したことを認めている。その史料は米国の公文書館にあるはずだ」と反論してきた。この間題については、筆者も帰国後少し調査してみたが、当時外相だった広田は、南京からの抗議をそのまま事実として受け取り、軍(杉山陸相)に強硬に抗議した経緯がある。また、広田自身は一切弁明せずとの立場から、東京裁判では証言台に立つことはなかった。以上のような事実が、中国側に都合よく利用されているのではないか。

それから「当時、南京には安全区以外に60万人いた」ので、30万人殺されても矛盾はない、という反論もあった。、これは事実無根のこじつけで、当時、南京市民はすべて安全区に集められていたのは周知の事実である。

筆者が右のように反論すると、先方は「数はともかく『大虐殺』があったという事実は否定できない」と反論してきた。それに対する筆者の再反論は、次の2点であった。

第1に、もし南京で大虐殺があったことが事実なら、昭和13年3月に開かれた国民党の臨時大会で、この事件が報告されないはずがない。ところが何応欽参謀総長は、軍事報告の中で南京事件については一言も触れていない。第2に、昭和13年7月、蒋介石は「日本軍の大量殺戮・強姦・その他の蛮行」の例として広東空襲を取り上げながら、南京事件については何の言及もしていない。この2つの事実は、南京で「大虐殺」があったという認識が、国民党の最高幹部にも当時はなかったことを示すもので、謂われるような「大虐殺」はなかったということの証明ではないか。

最後に筆者は、中国の教科書で抗日戦争中の中国人の死傷者数・被害総額がどんどん水増しされている問題を取り上げた。現在、中国の教科書には死傷者数3500万人、被害総額5620億ドルという数字が載っているが、以前は各々2100万人、1000億ドルという数字に過ぎなかった。

これについての説明を求めたが、「調査には膨大な時間と労力が必要で、現在の数字は抗日戦争50周年に江沢民が発表した数字なので信頼できる」と、木で鼻を括ったような返事しか返ってこなかった。

ところが、驚くべきことに蒋介石が抗日戦争直後に発表した中国側の死傷者数は、438万人だったのである。この数字は、共産党が政権を握った1950年代になると2倍に水増しされて1000万人以上になった。さらに抗日戦争40周年(1985年)には2100万人に膨れ上がり、50周年(1995年)にはさらに水増しされて、現在の3500万人となったのである。このように中国は、抗日戦争の節目節目に死傷者数と被害総額を倍々ゲームで水増ししてきている。

その真意は奈辺にあるかとよくよく考えてみると、はたと思い当る節がある。「中国に対するODAは戦後賠償に代わる行為である」との、唐家セン外相の発言(平成12年5月12日記者会見)である。中国人民の被害は大きければ大きいほど、「戦後賠償に代わる行為」としてのODAも大きくなる、という計算なのだろう。
おわりに
昨年3月、中国と韓国が扶桑社の『新しい歴史教科書』に対して、検定不合格を声高に要求し始めた時、在日韓国人二世の鄭大均氏は次のように提言した。

「韓中から歴史教科書の記述で批判が来たら、日本側はその根拠をただすとともに、問われたことの何倍もの疑問や注文を投げかえせばいい。そうすれば、やがてこの種の干渉はなくなる。だが、今日の日本は韓中の意向に沿って自己規制しようとするから、彼らもこの悪い癖から抜け出さないでいるのである」(昨年3月3日付産経新聞)

筆者も右の言に倣い、先方に対して「問われたことの何倍もの疑問や注文」を投げ返した積りではあるが、如何せん、今のところ筆者だけの「蟷螂の斧」に終っているのは遺憾である。

中国の反体制活動家、魏京生氏の次の指摘も、すこぶる示唆に富む。「日本が強く出れば、中国は一歩引き下がるということです。『靖国』のことで打たれてばかりいるのではなく、なぜ、『人権』問題で中国を打たないのですか」(「正論」昨年12月号)と。

これは誠に至言であるが、正にそのような目的で「チベット問題を考える議員連盟」が発足した途端、中国に圧力をかけられ、腰砕けになる議員が続出したというのだから(昨年12月5日付産経新聞)、何をか言わんやである。

今回の訪中で筆者も痛感したことだが、「日本が強く出れば、中国は一歩引き下がる」というのは、確かに真実を衝いている。いたずらに中国を恐れるな、逆にこちらから打って出よと、日本の政治家諸氏には強く申し上げておきたい。

また、政治家を支えるのはどこまでも国民であってみれば、日本人一般にも同様のことが言える。中国・韓国と歴史問題で論争できる日本人の育成をと、強く願わずにはいられない。

『韓国・中国「歴史教科書」を徹底批判する』
−歪曲された対日関係史−

勝岡寛次/小学館文庫

『史』平成14年1月(通巻30号)より