井沢
元彦
いざわ・もとひこ |
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| 昭和29年(1954年)、愛知生まれ。早稲田大学法学部卒。TBS報道記者を経て作家活動に入る。同55年、『猿丸幻視考』で第26回江戸川乱歩賞を受賞。歴史ミステリー、SF、評論などの分野で活躍。著書に『「言霊の国」解体新書』『逆説の日本史』(シリーズ)『虚報の構造・オオカミ少年の系譜』『朝日新聞の「正義」』(小林よしのりと共著)などがある。 |
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出張先で読んだ「朝日新聞」に、次のような「面白い」記事が載っていた。「戦後日本の前提となってきた内外の環境が大きく変わってきています。それに対応して憲法を変える。変えることをタブー視すべきではないし、(中略)護憲を民主主義と同義語だと考えるのは大きな間違いで、護憲でないものは非民主的だという考えほど非民主的なものはありません」「聞く2000年11月3日付朝刊、発言者は村田晃嗣・同志社大学法学部助教授、太字は引用者」
「面白い」と言ったが、氏の発言は至極当然のことで、特に太字部は民主主義の根本原則である。「憲法」とは、民主主義や国家の安全および国民の幸福を実現する為の一つの手段に過ぎず、絶対のものではない。憲法自体が多数決によって変更できるのが、その何よりの証拠で、多数決で変更できるものに「絶対」のものは無い。こんなことは遅くとも中学生ぐらいまでには身につけているべき国民の常識でもある。
ところが、誰もが知っているように、この常識は決して「常識」ではなかった。私自身もついこの間、青森県に講演に行ったところ、現地の一部教育者から「井沢元彦は改憲論者だから講演させるな」という圧力がかかった。幸いにもこの圧力は「成功」しなかったが(その節は、この会の会員の方々に色々とご支援頂いた。この場を借りて感謝したい)、そののち彼等は「自分たちのしたことは言論弾圧ではない」と地元紙に投稿までしてきた。その時、私も反論を送ったがそこに書いたことは、今と同じ「国民の常識」であった。
本来、誰もが議論の大前提として持っているべきものが、なぜ無いのか。
それは自ら「民主主義者」と称していながら、民主主義のイロハすらわ
かっていない教育者、マスコミ、法曹関係者、官僚、政治家といった連中が、「護憲=民主主義」という最も非民主的な考え−いわば「護憲ファシズム」−で国民を洗脳してきたからだ。初めに「面白い記事」といったのは、そういう洗脳勢力の一番手が朝日新聞であり、いかにインタビュー(つまり一個人がこう主張している)という形であれ、この種の記事はこれまでの朝日には、まったく載らないタイプのものだったからだ。
見ててごらん、こういう記事をとっかかりにして、彼等はカメレオンのように変節していくから。なぜわかるかって?ソ連礼賛も文革革命礼賛もポル・ポト礼賛も、彼等はこのように「消して」しまったのだから。もちろん、その時にかつての「ウソ」について責任を取る人間など一人もいないだろう。 |
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