オラがまちの教育自慢1 福島県白河市

市教委が『白河藩主松平定信公物語』を

作成して全小中学校に配布

郷土の偉人として社会科や朝の読書に活用

                    白河市議会議員 高橋光雄

目盛りをずらす

松平定信公が築造した南湖公園は、十一月も中下旬になると赤松の古木が群生する鏡山の裾を嵐山楓が真紅に染めます。小春日には湖面が鏡と化し、色とりどりの紅葉を映すと共に光の変奏曲を奏でます。

平成十二年春、南湖に魅せられて白河移住を決めたといっておられる写真家椎名亮介氏が、写真集「南湖--日本最古の自然公園」を上梓し、今年十一月上旬には二冊目の写真集『南湖』を発刊しました。

湖畔や鏡山の紅葉も、白河で生まれ南湖を遊び場として育った私には、巡りゆく季節の退屈な、一断面でしかありませんでした。

氏の写真集はまさに「目から鱗」で、自覚もなく漫然と眺めていた風景 --正確にいえば見ていなかった、従って存在もしなかった-- が、私の眼前に起立し実存するようになりました。芸術による発明であり発見でありましょう。

物の見方や考え方、現在のありよう等を相対化して捉えること、座標軸や目盛りをずらして見ることは、新たな発見と感動を呼び起こし、自由の地平を拡大します。芸術体験もその一つですが、空間的には異文化・異文明を体験することです。

時間軸に沿っては、なんといっても、歴史を学習するに尽きます。幸い白河には、南北朝時代の結城宗広公父子、徳川時代後期に幕府老中として「寛政の改革」を推し進め、名君として慕われた藩主の「楽翁公」こと松平定信公がいます。

 

白河教委が「松平定信公物語」を発刊

市政五十周年記念事業の一環として、平成十三年三月、白河市教育委員会は「白河藩松平定信公物語」を発行しました。

二四五頁のハードカバー本で、企ての漢字に振り仮名がふられています。

本書は、著者の遠藤勝先生が「あとがき」で述べているように、深谷健著「親と子で読む松平定信伝」(平成十一年、志塾叢書第三号)を底木とし、編集委員の多人な協力があって実規したものです。

深谷先生は、この叢書で「白河地方をふるさととする者にとって、松平定信公と聞くと特別の親しさを感じます。この親しさは、那須の山なみ、阿武隈川などに代表される自然の山川草木に感ずるしみじみとしたなつかしさと同じくひとりでに湧いてくる感情です」と記し、また「尊敬と親しみの念をもって『わが楽翁公』と呼べることは、自河地方に住むわれわれの特権でないでしょうか」と述べておられますが、自河市民共通の偽らざる思いです。

子供たちが、あたたかい血が流れる定信公を学習し、ご先祖さまとの繋がりを体感できるようにすることが発刊の眼目です。そこで市は、小・中学校に二千二百五十冊を配布し、各教室、図書室、PTA室などに配備しました。

小学校では、四年生の総合的な学習の時間に郷土の偉人として、六年生は社会の時間で歴史の学習に活用しています。中学校では、二年生の社会科歴史の時間に資料として活用したり、朝の読書の時間に活用しています。また、昨年十一月の市村合併に伴い、旧村部の小・中学校にも配本して学習に活用しています。

子供たちに「ふるさとの偉人」のことを語り伝えることは、その心にほのかな灯をともすことになるでしょう。

教育委員会にはさまざまな任務がありますが、その地でしかできないこのような顕彰事業を、全国の教育委員会が行ったとしたら、何百、何千もの偉人伝ができあがるに違いありません。

ところで、白河市の東、結城公の居城であった搦目(からめ)の白川城跡下の小高い山の北側に、日本一大きな磨崖碑の「感忠銘」があります。この碑は搦目の大庄屋、内山重濃(しげたね)が、忘れられようとしている結城宗広公親子の働きを多くの人に知ってもらおうと、藩校立教館教授の広瀬典に撰文を依頼し、私財を投じて作ったものです。このことに喜ばれた定信公は、自ら題字として「感忠銘」の三大文字を書きました。

この碑文の終わりの八文字は「莫民自棄、国能生賢」(民自ラ棄ツルコトナクンバ、国能ク賢ヲ生ゼン)となっています。

これは、白河地方に住む人々が自分の思い通りにならないからといって自暴白棄におちいるようなことがなければ、結城公父子のように優れた偉人を生んだこの地方から、将来必ず立派な人物が生まれるに違いない、という願いと心が込められた言葉です。この志は、白河市民の誇りであると共に「ふるさとの魂」でもあります。

 

戦後の価値観を克服する

私たち一人ひとりの現実的な在りようは、親兄弟をはじめ多くの人々との関係を横軸に、先祖から子孫へと繋がる時間を縦軸にした結節点としての存在です。

敗戦による戦後の体制は、この上下左右の網の目を断ち切り、抽象的個人を基として組み立てられ、日本人の精神を支えてきた倫理意識を破壊することから始まっています。公教育も知的偏重に流れ、精神面の教育を疎かにしてきました。奪われたものは奪回し、失われたものは回復しなければなりません。

教育行政とは別に、平成元年、ふるさと振興は人づくりにあるとの思いから、「まちづくりは人づくり、人づくりはわれづくり」をモットーとする在野の社会教育団体「立教志塾」が白河市に結成されました。白河藩校「立教館」の教育精神「人倫を明らかにし、風俗を正しくし、人材を長育する」に立脚し、その志を継承し学習練磨の道場として平成三年に財団となり、現在に至っています。

数ある塾事業の一つとして、学校教育を補い支援する目的から、子供を対象に論語素読、詩ごころ教室、夏の三〇キロ徒歩、冬場の合宿訓練などを行い、また、伝記を中心とした図書の収集に努め、子供向けの偉人伝、マンガ本の伝記なども準備して、閲覧、貸し出しをしています。

このように私たちのまち白河市では、官民一体となって『わが楽翁公』を思い起こし、ふるさとに根差した規範意識の再生に努めています。

 

 

▼『白河藩主 松平定信公物語』は下記で取り扱っています。

南湖神社 電話〇二四八(二三)三〇一五