第5章 世界大戦の時代と日本>1.第一次世界大戦の時代>人物コラム
夏目漱石と森鴎外/p254

[二人の留学生活] 西洋化の風潮の中で,近代の日本人の苦悩をえがいた作家に,夏目漱石(1867〜1916)と森鴎外(1862〜1922)がいる。漱石は『吾輩は猫である』『坊っちゃん』などで人気があるが,一方で『それから』『道草』『明暗』などで日本の近代人の苦しみをえがいた。鴎外は『妄想』『かのやうに』などで知識人の内面をえがき,晩年は『阿部一族』『渋江抽斎<ちゅうさい>』のような歴史小説を書いた。
 この二人の文豪は異なった環境に生まれている。漱石はみずから江戸っ子と称する庶民の出であり,鴎外は石見(島根県)津和野藩の藩医の息子で,武士の伝統の中に育った。しかしこの二人はともに,西洋文化にどのように対するかという問題を,もっとも深く考えた日本の知識人といってよい。
 漱石は英文学者として,1900(明治33)年から2年ほどロンドンで過ごした。それはのちに「生涯もっとも陰欝な2年」とみずから述べたほどつらい留学生活だった。一方,鴎外は陸軍軍医として,1884(明治17)年から1888年までドイツに留学し衛生学を学んだが,留学生活は対照的に快適なものであったといわれる。それぞれの体験が,彼らの西洋観にも影響していた。漱石は個人どうしがおたがいを信用する日本人と,おたがいを疑う西洋人の違いに悩んでいた。鴎外の方は堂々と西洋学者を批判し,日本には科学研究をする風土がないという意見に答えて,日本人でもそれが可能だと反論してい
た。

[日本人的思考と西洋人的思考] 漱石の最初の小説『吾輩は猫である』は,猫の目から英語教師の家族を観察するという形をとっているが,単なるユーモア小説ではない。その中で,個性を殺して全体に合わせようとする日本人と,どこまでも個人を単位とする西洋人との考え方の対比を取りあげ,登場人物に議論させている。
 作者は西洋的な個人主義を支持しながら,無批判な西洋崇拝者に対しては皮肉の矢を放ち,「西洋人より昔の日本人が余程えらいと思ふ」という人物も登場させている。また漱石は,『それから』でも,西洋的な生存競争にふさわしくない日本人の姿をえがいている。
 一方,鴎外は『妄想』で,ドイツに留学した経験のある老人の回想という形で,日本人としての主人公の過去の生活を小説にしている。ベルリンで病気で死んだ日本人の留学生のことを思い出しながら,自分と西洋人の死に対する態度を比較する。「西洋人は死を恐れないのは野蛮人の性質だといっている」が,それに納得できない自分を見いだすのである。あるいは『かのやうに』では,西洋人のようにすべてのものに疑いの目を向ける自分と,家に伝わる,天皇を中心とする日本人の伝統との矛盾に悩んだ姿を書いている。
 鴎外は,明治天皇の崩御のときに殉死した乃木希典<のぎまれすけ>将軍夫妻に感動し,『興津弥五右衛門 <おきつやごえもん>の遺書』を書き上げた。そして晩年の歴史小説では,日本人の変わらぬ心の伝統に目を向けた。他方,漱石は『こゝろ』で,乃木大将の殉死を知って,急速に死に傾いていく人物の姿をえがいた。最晩年の漱石は漢詩の世界に入り,時代の新奇なものを求める人々に対する苛立ちを述べている。
 「近代」が西洋化であるとの考え方は,今日の日本人になお続いている。しかしそれでいて,なぜ日本が,これまで必ずしも西洋一辺倒にならなかったか,その理由も考えなければならない。西洋と日本の間で苦悩するこの二人の文豪の課題は,今日の日本人にとってなお重要なのである。