平成13年7月号(通巻27号)より
歴史は科学ではない
駒澤大学名誉教授 三木太郎
つくる会の意義
 人は、現在を閉塞の時代というが、昔よりはるかに衣食住に恵まれた自由な時代が、なぜ閉塞の時代として意識されるのか。おそらくその理由は時の流れとともにあるはずの個人の自由で主体的な多様な思想、信条、理性、言論、価値観が、憲法と現代史の探求・改正をタブーとする戦後意識に縛られ、自由に飛翔できないまま、世界史の流れと乖離してきたことによる。
 
  近年はかなり様子が変わってきたが、長い間、歴史学の議義においてさえ、現代史に批判的な態度をとることは、タブーであった。事実、疑問があると言っただけで、多くの学生(女子学生が圧倒的)は顔をしかめ、二度と出席せずに、経験的に思考すべきテーマや研究の成果に背を向けた例は多々ある。古代史の分野で「邪馬台国は畿内大和が妥当」と言ったさいも同様であり、憲法問題においてもしかりである。

 ちなみに邪馬台国畿内説が忌避された理由は、『日本書紀』の悪しき遺産としてマルクス史家やいわゆる進歩派に誤認されていたからだが、今日ではかなり誤解も解けて、むしろ畿内説が有力になってきたのは、資料の発見と科学的検証技術の進歩に負うところが多い。が、それでもマルクス史家や市民派史家は、受け入れないのが、実態だ。

 このように、戦後、偏った現代史理解によって植え付けられた過度な原罪意識、そして憲法9条に対する信仰的平和主義、このタブーから学問や意識が開放されないかぎり、日本人の主体性の確立はありえない。あきらかに訳のわからない心のモヤモヤは、ここに原因しているといえる。

 したがって、もしここから脱却しえたなら、その時こそ、自由でかっ達な成熟した民主国家の確立、といえるのであろう。

「新しい歴史教科書をつくる会」の試みは、細部に問題があるとしても(古代史の分野では、かなり私見と異なる)、こうした閉塞状況に風穴を開けようとする一里塚として評価されるべきものであろう。

 −−こんなことを考えているとき、たまたま北海道新聞の江尻論説委員が同紙のコラム「オピニオン」で「つくる会」の主張にかかわらせながら、「歴史は確かに自然科学とは違う。しかし、歴史は科学ではないのか」という、歴史学に対する率直で根源的な問いかけをされている一文が目についた。

 大切な問題提起なので、実証史学の立場に立つ歴史家としての私見と、付障する問題点を述べさせて戴くことにした。
歴史は科学ではない
 江尻氏は、「つくる会」の教科書原本に「歴史は科学ではない」とあった点を重視し、検定の結果削除されたとはいえ「言葉は消えてもその考えは貫かれている」から、この教科書はやはり問題なのではないか、という観点から、上記の問を一般に投げかけられたようだが、私見では、削除した検定側にむしろ、歴史認識の誤りがあると思われる。

 ただ、中学校の教科書という対象を考慮するとき、削除の理由は認識論的な理由というより、発達段階の点で、こうした認識の問題は早すぎるとの観点からなされたと解すれぱ、それは検定側の一つの定見ともいえる。また、教科分類では、人文科学、社会科学のように、すべてが科学で括られているので、そうした概念との整合性を配慮したともとれる。

 削除の理由を知らないので、その是非を論じることは控えるが、いずれにしても、当該教科書の記述に偏りがあるという結論にはならないものであろう。

 科学とは元来、自然科学のことであり、法則性と反復性を要素とするが、歴史事象は、この二つの要素をともに欠いている。

 つまり歴史には科学に類似する要素が全くないのだから、どのようにひいき目に見ても、科学たりえないのである。
 
 この非科学的牲質の歴史が、ではなぜ科学とされたのか。それはマルクス史観が、歴史の本質を「階級闘争の歴史」と規定し、そこに自然科学と同様、法則性・反復性を見いだしたからにほかならない。

 しかし、これが法則性というなら、経験論的に言って、歴史は「戦争の歴史」という定義もできるし、歴史は「侵略の歴史」と定義することもできる。角度を変えれぱ、「男女の愛の歴史」「男女の相克の歴史」「悪意の歴史」「善意の歴史」「裏切りの歴史」「神と人の融合の歴史」「神と人の相克の歴史」などと括ることもできる。

 それらは、歴史を貫流する抜き難い一面の現象ではあっても、それを歴史の本質・法則性だといいきれる訳のものではない。反復性にしても、それは類似性にしか過ぎず、事象は一回性、経過性で、自然科学のように実験出来るものではない。

 マルクス史観は、唯物論の史的展開を絶対とみるからそうなるので、法則性の原動力として「生産と生産閲係の矛盾」を構図としても、それ自体が、実は観念論であることは言うまでもない。

 したがって、歴史は科学ではないと認識するのが、歴史事象に対する、正しい対応であろう。
重い戦後史家の責任
 政治家もマスコミも口を開けぱ民意・世論の尊重というが、ヒトラーを支持したのも、大東亜戦争(戦後、連合軍によって太平洋戦争と規定された)を支持したのも、当時の民意・世論にほかならない。

 民意・世論は、多くのばあい国策、教育、マスメディアによって基礎づけられ、運動体の介在でダイナミズムを生みだす。

 したがって、すくなくとも、成熟した民主社会にあっては、民意の尊重の前提に個々の自立性や主体性のほかに、確かな知性の覚醒が問われなければならないはずだ。

 ところが、歴史認識については、まったくマルクス史観によってマインド・コントロール(思考制御)されたままの学者・教師・マスメディアの影響下から十分に脱却できていないのだから、実際には戦争を知らない人々に民意を問えば、答えは明らかである。

 マルクス史学は、冷静に見れば、明らかに手法が転倒しているにもかかわらず、そうした本質的矛盾が問われないままかえって近代史学の手法こそ意味のない趣味的探求とされたのは、学界の主流がマルクス史家に占められたからであるが、メディアもまた、こうした学界の潮流と無縁ではなかった。

 戦後を通じて、学界・教育・情報が三位一体となって日本を侵略国家に仕立ててきたのだから、それが民意になるのも当然である。

 こうした民意を背景に、国会で「つくる会」の教科書が標的にされているのに、擁護者がどこからも現れないのは、近代史学に対する無理解によるものであるが、三者の力学が生んだ時勢に棹をさす、気概のないオポチュニストが増え過ぎたせいでもあろう。事実、「つくる
会」に対して「ねじまげ」発言をした田中真紀子外相は、メディアによる論調に従っただけと述べている。

 戦後現代史の誤りは、歴史の反省の名のもとに、罪悪感の強調に主眼がおかれてきたことである。そこでの実証の営みは、罪悪感の証明になりうる事例に集約され、他のさまざまな事象は排除されてきた。

 これでは科学かどうかを論ずる以前の問題で、まったく歴史学のあるべき姿とは隔たっている。罪悪感の問題は、すぐれて倫理・道徳の範疇に属するもので、歴史学の当面の主題ではない。歴史学が目指すものは、なぜ、この戦争が起こったのか。この戦争の実態はどうであったのか。この戦争は前代とどのように係わり、その影響は、関係国や世界にどう及ぼしたか、などを究明することを第一義とする。それをなおざりにし、倫理・道徳と混同させてきた戦後史家の責任は、重いであろう。
[みき たろう]
昭和8年(1933年)、東京都に生まれる。昭和30年(1955年)駒澤大学文学部歴史学科卒業。駒澤大学教授を経て、現在駒澤大学名誉教授。