平成16年1月号(通巻42号)より
敗北に“引きこもる”なかれ!―幕末の“一枚の写真”をめぐって
皇學館大学助教授 松浦光修
「負けてよかった」と言う大人

 私が子どものころ、大人たちは、よくこんなことを言っていたものである。「日本は戦争に負けてよかったんだよ、こんなに豊かで自由な世の中になったんだから…」それは暗に、「もし勝っていたら、こんな豊かさも自由もなかったんだぞ」という“脅し”も含んでいた。(ひゃー、コワー)とは思ったものの、なぜか私には、その言葉が、どことなく?情けない?ものに感じられた。

 (だったら、戦争で死んだ人たちは、負けるために死んだってワケ? ならば、はじめからアメリカの言いなりになってればよかった…ってこと?)。そんな反感にも近い感情を、私は大人たちに感じていた。しかし、その一方で、自分自身が、その「豊かで自由な世の中」を享受して生きていることも事実であった。そんな複雑な気分をかかえながら、心のどこかで私は、ずっとその「負けてよかった」という言葉について考えつづけてきたような気がする。

 その言葉の背後にある、基本的な思考パターンを整理すると、こうなる。「日本は意地を張って“進んだ国”と戦う→負ける→日本は“遅れた国”であると反省し、かつての敵を賛美する→繁栄する『負けてよかった』と感じる」。

 私の見るころ、サヨクはいうまでもなく、ホシュを自認する人にも、「ああ、この人も、そういう思考パターンの枠内にあるな」と感じさせる人が少なくない。もしかしたら戦後の日本人のなかで、このような思考パターンから本当に解放されている人など、ほとんどいないのではないか、と思うことさえある。

負けてよかった史観ーー大東亜戦争の場合

 いまの歴史教科書の「昭和史」が、そのような、いわば「負けてよかった史観」で叙述されていることは、周知のとおりである。現行の中学社会・歴史分野の教科書を見てみよう。

 大阪書箱の教科書では、「近現代の日本と世界」の扉の一頁全面に、青空教室の写真がかかげられているが、その右下で少女のイラストが、こう質問している。「敗戦直後なのに、どうして子どもたちの表情は明るいのだろう」。同様の写真は、教育出版や日本書籍の教科書にもかかげられており、日本書箱には、女性教師と子どもたちのイラストが描かれ、両者の会括が記されている。そして、その会話は子どもたちの、こんなセリフで終わっている。「それにしても、みんな明るくて元気いっぱいだ。どうしてだろう」。

 ちなみに、日本書籍の教科書のその五頁前には、沖縄戦でボロボロの姿になった「目のうつろな」子どもの写真がかかげられている。有無を言わせず、それを見る者に「負けてよかった」と思わせるための「シカケ」であろう。

 しかし、この「負けてよかった史観」は、じつは大東亜戦争の歴史叙述にのみ見られるものではない。その史観は不思議なことに、近代日本の出発点である幕末の叙述にも、まったく同様のパターンであらわれるのである。

負けてよかった史観ーー幕末の場合

 「尊王攘夷運動」は幕末史上のキーワードである。現行の中学社会科の歴史教科書でも、すべてにおいてそれについて記した章や節がある。ところが、それらを通観すると、先の青空教室の写真ではないが、多くの教科書の該当する箇所で、一枚の同種の写真が使用されていることに気づく。日本文教出版以外の七社すべてに、欧米の軍隊が下関砲台を占拠したときの写真が掲載されているのである。

 その写真に付されたキャプションは、こうである。「4国連合艦隊による下関砲台の占領」(日本書籍)、「下関砲台の占領」(東京書籍)、「長州藩の砲台を占領した連合艦隊の兵士たち」(大阪書籍)、「長州藩の砲台を占領した連合艦隊」(教育出版)、「下関の砲台を占領する4か国の兵士」(清水書院)、「占領された長州藩の下関砲台」(帝国書院)、「四国連合艦隊の下関攻撃」(扶桑社)

 かくして、「大きな損害」(大阪書籍)を受けた「攘夷を唱える人々は、その力をみて、開国がさけられないことを自覚」(教育出版)し、やがて「攘夷論から開国論へと変わってゆきました」(帝国書院)ということになる。その後の日本の欧米化(文明開化)という歴史の流れからすれば、ふつうの現代人は、「攘夷を唱える人々」が欧米と戦ったことは、間違いなく「愚かな戦い」であったと結論づけてしまうであろう。

 しかし、ここで一歩引いて、冷静に考えてもらいたい。なぜ下関や鹿児島湾で、欧米に「大きな損害」を受けた長州藩や薩摩藩が、のちに明治維新や日本近代化の主役となりえたのか、逆にいえば、なぜ「大きな損害」を受けなかった他の藩は、明治維新や日本近代化の主役となりえなかったのか、という点についてである。

 長州藩や薩摩藩は、四か国連合艦隊との交戦や薩英戦争という攘夷戦争を、「戦ったがゆえに」歴史の主役となりえた、と考えるのが自然であろう。換言すれば、それらの戦いがなければ近代日本は成立しなかった、ともいえる。

 とすれば、この戦争の場合、「負けてよかった」という教訓を導き出すべきではない。「戦ってよかった」というべきである。「愚かな戦い」でもない。「意義ある戦い」であったと評価すべきである。

戦ってよかった史観ーー攘夷と独立

 かつて葦津珍彦氏は、こう記している。「近ごろの人には、日本の攘夷思想を未開野蛮な頑迷なものだったように思って軽蔑する人が多いが、それは誤っている。…日本民族が国際交通を始める前に、まず攘夷の精神によって独立と抵抗の決意を鍛練したことは決して無意昧だったのではない。この精神的準備の前提なくしては、おそらく明治の日本は、国の独立を守りぬくことができなかったであろうし、植民地化せざるをえなかっただろう」 (『大アジア主義と頭山満』)。

 じつは幕末に生きた人で、このような歴史のパラドックスを、じつに鋭く、かつ正しく把握していた人物がいる。中岡慎太郎である。中岡は慶応二年、二十九歳の十月、こう記している。「薩を興すものは生麦なり。長を強くするものは、度々長の敗軍失策の功、又無きにあらず」(「窃に知己に示す論」)。「敗軍失策の功」という一語は、さすがに一流の志士らしい卓見である。「敗軍」も「失策」もない藩とは、要するに、“戦えない藩”にすぎない。

 以上のような点からして、「下関砲台の占領」の写真を、七社もの教科書会社が使用しているというのは、私には解しかねる話である。幕末の一瞬、ごく僅かな土地が占拠された場面を、なぜわざわざ子どもたちに見せる必要があろう。「日本は昔から欧米に対して、?愚かな戦い?をしていたんですよ」という偏向教師の声が、どこからか聞こえてきそうではないか。…というわけで、私はこの一枚の写真にも、「負けてよかった史観」の影を感じているのである。

 そんな写真よりも(これはあくまでも私の趣味であるが)、鹿児島の「尚古集成館」にある薩英戦争の絵を掲載したらどうか(すでに清水書院の教科書には掲載されている)。激しい風雨のなか、強大な大英帝国を相手に、果敢に戦う目本の姿がよく描かれていて、しかも美しい。

 巨視的に歴史を考えれば、攘夷戦争も大東亜戦争も、戦ったからこそ?次?があったのである。それこそ「敗軍失策の功」であるが、その言葉に秘められているような、深い知恵を欠いている人が、現代にはあまりにも多いように思われる。

 我国は、二千年の長い歴史をもつ国である。戦って勝つこともあれば、一敗地にまみれることもあろう。堂々と全力で戦い、その結果、敗北することは、悲しいことではあっても、恥ずかしいことではない。恥ずかしいのは、敗北に懲りて「引きこもり」になり、一室に安住し、延々と「負けてよかった」などと繰り言をつづける退嬰的な精神である。

 むろん、何も好んで戦う必要はない。「匹夫の勇」という言葉を、私たちは忘れてはなるまい。しかし、戦後の日本人は、どうやら「敗北を愛する」という“病”にかかっている。その象徴が、たとえば、青空教室の写真であり、また「下関砲台の占領」の写真なのかもしれない。

 「負けてよかった」などと言っているうちは、日本人の「心の占領体制」は終るまい。悲しみの涙が乾くことはないにせよ、人々が「それでも、戦ってよかった」と、誇りをもって父祖たちの戦いを想起できるようになった時、日本は戦後はじめて、真の独立国家として、世界に堂々たる一歩を踏み出せるのではあるまいか。