平成16年1月号(通巻42号)より
リレー随想
女性は被害者だったのか
服飾評論家 市田ひろみ

  暮。テレビは二○○三年をふりかえる事件を流していた。そんな中に例の早大レイプサークル「スーパーフリー」があった。

 餌食となった女性が届け出ることによってその組織があばかれた。二千人を集めるような大きなパーティが度々ひらかれていたという。

 私は最初、女性たちは被害者だと思っていた。しかしスーフリに参加する女性たちは、その実体を知りつつ参加している人が多いことを知った。

 参加していた女たちのコメント。

「みんな(SEXパーティであること)わかって行ってるんだよ!!」
「やりたいから行くんだよ!!」

 ヤクザやアウトローの人たちでなく、学生たちで組織されていたスーパーフリー。チケットのキックバックからレイプシーンの撮影。救出と見せかける口止め。学生たちのやりたい放題にはあきれるが、何といっても参加する女たちによって成り立っているのだ。

 女たちのコメントはつづいていた。
「スーパーフリーに参加することで明るくなれた!!」

 私が大学を卒業した昭和二十八年。女は学校を出たら嫁にゆくものだった。私はその時代から仕事をして来たから男女差別に泣いたこともあった。今は女性が仕事を持つのはあたり前だ。

 男女平等。男女共同参画社会。雇用機会均等法など女性の社会進出は大賛成だ。しかし「ジェンダーフリー」は無意味だ。ジェンダー・フリー(性差を無くす)は、一体何が目的か。

 アメリカから輸入された思想かと思ったらなんと、メイドインジャパンだそうだ。

 すでに男女混合名簿からスタートしているが、性差を無くすといったって所詮は無理。女性は子供を生み育てる性だ。

 スーフリに参加する女たちが「やりたいから行く」というのが進歩的なのか。フリーセックスが女性解放の現象というなら情けない。女性の体は生理的に受身だ。若い女たちが男を渡りあるいている間に自らを堕しめていることをいつ誰が教えるのか。

 親、教師はどんな役割を果たしたのか。
 
  学校は学校でなくなって、家庭は家庭でなくなって、やがて国は国でなくなる。