平成16年3月号(通巻43号)より
イスラエルで開かれた日露開戦100周年記念事業
日本を高く評価する「日露戦争と20世紀」学会に出席して
副会長 種子島 経
はじめに

 去る2月8日から13日にかけて、イスラエルの、ヘブライ、ハイファ両大学で開催された学会に出席した。
 
 「20世紀初頭、1904年2月から翌05年8月にかけて戦われた日露戦争は、当事国だった日本、ロシアだけでなく、20世紀の世界全体に大きな影響を与えた。今、100周年に当たって、その影響を各方面から検証しよう」という趣旨で開かれたこの学会では、地元イスラエルから20名、その他9国から18名、計38名の研究者が発表に当たった。アメリカ5名、イギリス4名、日本、ドイツ各2名の他、フランス、オーストリア、インド、トルコ、韓国から1名ずつの参加があった。ロシア、中国からは各1名が出席を表明していたのだが、直前にキャンセルとなった。
 
  なお、この国ごと参加者数は、国籍ではなく現住所、つまり現在働いている国による。もともとロシア人だがオーストラリア国籍を持ち、広島市立大学で教鞭をとる女性は「日本」として、また在日韓国人でテルアビブ大学教授の女性は「イスラエル」としてカウントされている。だから、日本に住んでいる日本人、としては私1人だけだった。一般聴衆は常時30名内外を数えた。

 発表者はほぼ全員が大学教授で博士なのに、オートバイや自動車を売ることで40年近くを過ごし、今や引退の身の私が招かれたのはなぜか。2年近く前に出版した『くたばれ!リストラ―日露戦争に学ぶ人生・経営」(ミルトス社)が、主催者たるヘブライ大学のシロニー教授の目にとまったのが発端である。

 それにしても、日本から私だけ、とはさびしい限りだ。

  これが、「イスラエルは危ない」と盲信する外務省や文部科学省の「行政指導」の結果でなければ幸いである。

 開会式では、日本人留学生諸君が「水師営の会見」をキチンと9番まで合唱して好評だった。続いてロシア人留学生がその日露戦争歌を、最後にユダヤ人青年がイディッシュ語(*)でユダヤ人従軍兵の悲しみを唄った。会議はパネル形式で進められ、各パネルの題目は次の通りだ。

1、世界的視野から
2 、アジアへの影響(その1)
3 、日本帝国主義の勃興
4 、軍事面の影響
5 、ロシアへの影響
6 、欧州、アメリカへの影響
7 、戦争とユダヤ人問題
8 、アジアへの影響(その2)
9 、メディアと戦争
10 、文化面、社会面から見た戦争

なぜイスラエルか

 それは、日本とロシアが、現在の中国、韓国、北朝鮮を舞台にした戦だった。有色人種が白色人種を破った久しぶりのもので、だから、インドをはじめアジア中近東諸国の反植民地、独立運動に大きな影響を与えた。「日英同盟」のイギリスは最大限に肩入れしてくれたし、アメリカは「ポーツマス講和条約」締結に尽力した。また帝政ロシアの重圧下にあった周辺諸国はその敗北を喜び、トルコでは「トーゴー」「ノギ」など日本の将軍の名前を子供につけることが流行ったし、フィンランドでは「トーゴー・ビール」が売り出された。

  それにしても、なぜイスラエルでこんな学会が開かれたのだろう。イスラエルと日露戦争、一体どこでどうつながるのだろうか。

 この謎を解くには、パネル「7、戦争とユダヤ人」におけるシロニー教授の「日本、敵か友人か。日露戦争へのユダヤ人の反応」によるのがよかろう。

 開戦当時、ロシアには全ユダヤ人の半分に当たる約500万人が住んでいた。これはロシア総人口の4%に当たる。ニコライ2世は、大津事件で顔を傷つけられたため、日本人を憎悪すること激しく、公開の席上でも「猿」と呼んだが、それと同じ位にユダヤ人を憎み、また革命運動の拡がりから国民の目をそらすためにも、反ユダヤ運動を奨励した。とりわけ、1903年、つまり開戦前年、キシネフの暴動ではユダヤ人49名が殺害され、世界中のユダヤ人がロシア帝国を敵視することになったのだった。

 日露戦争に動員されたユダヤ人は3万3千人で、これは満州におけるロシア軍の約6・6%、このうち約3千人が戦死している。かくて、それはユダヤ人にとって、決して他人事ではないのだ。

 一方で、欧米のユダヤ人たちは、かような「悪の帝国」に挑戦した日本に拍手喝采した。ジョージア州アトランタ在住の人々は、300万ドルを拠金して、同胞虐殺の町名にちなんだ戦艦「キシネフ」を日本に寄付しようとした。この努力は実らなかったが、アメリカの銀行家ヤコブ・シフの働きは『坂の上の雲』で改めて有名になっている。

 なけなしの金で戦争を始めた日本は、欧米で国債を売るべく、日本銀行副総裁・高橋是清を派遣したのだが、日本必敗を信ずる欧州で誰も相手にしない中、シフは、もちろん銀行家としての計算もあったのだろうが、ロシアを倒して同胞を救うため、あえて日本国債の引き受けに応じ、これがきっかけとなって起債が進み始めて、日本は戦費を調達することができたのだった。

 かように、ユダヤ人の国イスラエルは、日露戦争と深くかかわっており、だからこそ、この度の開催となったのである。また、1948年の建国以来、周辺のアラブ諸国に攻められて、絶望的な戦いを4度も勝ち抜いているだけに、計算上は勝てるはずのなかった日露戦争に勝った日本への共感もあるのだろう。日本でもロシアでもないニュートラル・コーナーとして人を集めやすい、ということもあるのかもしれない。

 シロニー教授は、今もユダヤ人が日本人に親しみを持ち続けていることを強調された。それに対して、私は、1972年、テルアビブのロッド空港における事件(**)を想起し、これに関するユダヤ人の反応を尋ねてみた。教授は「ユダヤ人は、これはアラブ・ゲリラのテロの一つと見ており、日本人の行為とは考えていない」と明快に答えられた。「目には目を」と、ホロコーストの責任者アイヒマンをアルゼンチンから連れ戻して裁判にかけ、テロには必ず報復しているイスラエルが、日本に対しては何もしていないことからも、教授の言葉はそのまま受け取っていいのだろう。

討論の中から――なぜ日本はロシアに勝ったのか

 発表も討議も、いずれも極めて興味深いものだった。紙面の関係で、ここでは、パネル「6、欧州、アメリカへの影響」から、ジョーン・フィッシャー大学グリフィン教授(アメリカ)の、「ドイツ軍首脳はロシアをどう見たか」を紹介しておこう。

 ドイツ参謀本部は、日露両軍に大勢の観戦武官を派遣し、その報告書は今も保管されている。彼は、その主としてロシアに関する部分を詳細に分析しているのである。

 要するに、トップは決定を避け、常に遅れがちの決定はいつも誤っており、組織は硬直化し、命令伝達はいつも遅れ、かくて、トップから兵士たちまで、きわめてモラール(士気)が低かったこと、を敗因としている。対する日本は、すべての面でそれと対照的で、モラールが高かった、とする。確かに、体力差は圧倒的なのに、白兵戦でも日本兵が勝ったのは、モラールの差としか思えない。

  私は、ロシア軍のモラールが低かった原因として2つを追加した。第一に、ロシア兵は、遠く本国から離れてアジアの地で戦う理由がわからなかったこと、第二に、帝政ロシア用兵の第一順位は、常に、ドイツと国境を接する欧州戦線で、精鋭部隊はそこに留めおいて、満州には弱兵しか送らなかったこと、である。

 彼は、第一には賛成し、第二については、それを判断する資料なし、としたが、イギリスの碩学ニッシュ教授は、第二についても私を正しい、とされたのだった。

 議論は終始一貫日本に好意的で「東西の戦いとされたが、西・西洋だったのは実は近代化を果たしていた日本で、ロシアこそ東側だった」とされ、当時のアメリカの新聞が、日本を、イギリス、フランス、ドイツ、アメリカ、イタリー、オーストリアと同じ山高帽に燕尾服で、ロシアだけを中世の鎧甲姿で描いている漫画も示された。このところ、国際会議では非難されることのみ多い日本だが、先人たちのおかげで「ジャパン」が常に高く評価され、非常に居心地のいい6日間だったことを報告して結びたい。

  なお、この驚くべき小国イスラエルについての感想を、当会ホームページ、「ボイスリレー09」に記す。

注*イディッシュ語…中世以来、欧州のユダヤ人が話した言葉。ドイツ語を基礎とし、後にスラブ語の要素が加わった混合言語。ヘブライ文字を使用。
注**事件…日本赤軍三名が自動小銃を乱射し、手榴弾を投げてユダヤ人多数を殺傷した事件。