平成16年3月号(通巻43号)より
リレー随想
南洋に残る美しい日本の心
ノンフィクション作家 工藤美代子
 東京から南方へ約3千キロほど下ったあたりに、かつて日本の南洋庁所轄だったトラック島という小さな群島がある。

 戦前は、それぞれの島に春島、夏島、竹島などと、日本の名がつけられていた。

 昭和18年4月にブーゲンビル上空で米軍機の待ち伏せに会い戦死した山本五十六は、その死の少し前まで、トラックに投錨していた戦艦「武蔵」に座乗していた。

 平成15年の2月、私は山本五十六の最後の日々を知りたくてトラックを訪ねた。

 今はデュブロン島と呼ばれている昔の夏島には、若い頃、海軍の手伝いをしていたヌーカスさんという老人がいた。

 もう75歳になるヌーカスさんは、威風堂々とした山本五十六の姿を鮮明に記憶していた。しかし、それよりも私が驚いたのは、彼が60年以上も前に覚えた日本語を未だに忘れずにいることだった。

 いや、そればかりか、挨拶の仕方、丁寧語の使い方、お辞儀の角度といった、今では多くの日本の子供たちが教えられないまま棄て去られようとしている文化を、しっかりと彼の肉体に残していたのである。

  明治時代の美しい日本を文学作品として記したのはラフカディオ・ハーンだが、私はそれと同じように、ヌーカスさんのちょっとした仕草や微笑みの中に、戦前や戦中の美しい日本が息づいているように思えてならなかった。

 島の小学校をヌーカスさんが卒業したのかどうかも不明だが、後日、彼からカタカナで綴った手紙が届いた。

 「ホントニイロイロオセハデキナカッタコトゴメンナサイ。マタキテクタサイネ。イツマデモアリガタクオモイマス。マチガッタトコロガオオイケドユルシテネ」

 素朴な文面には、かつての日本の国語教育における心の豊かさが詰まっていると私は思った。

 ヌーカスさんが、私に語った言葉の中でも、とりわけ印象的だったのは「山本五十六がこの島にいた時代が、あの時代が子供たちにとって一番良かったのです」という感慨だった。

 それは日本の国語教育の建直しが急務だと、私が強く感じた瞬間でもあった。