平成16年5月号(通巻44号)より
検定に合格した小学校社会科教科書の中身 来年も続く「歴史」に名を借りた「言葉の児童虐待」
皇學館大学助教授 松浦光修

 いまの小学校では、6年生の社会科で、日本史の勉強をすることになっているが、その授業で、来春(平成17年4月)から使用される教科書検定の結果が、本年3月30日に発表された。教科書会社は、東京書籍(東書)、大阪書籍(大書)、教育出版(教出)、光村図書(光村)、日本文教出版(日文)の5社である。

 中学、高校の歴史教科書の惨状は、すでに周知のとおりである。それでは、小学校の歴史教科書は、どうなのか。

 結論を先に言えば、これも同様である。すでに「産経新聞」は「依然目立つ『自虐史観」」(3月31日・東京版)、「いぜん反日、自虐史観」(同・大阪版)と報じている。

 “ またか…”という嘆息が聞こえてきそうであるが、どれも基本は「反日自虐史観」であるにせよ、その中では「比較的、どれがマシで、どれがヒドイのか?」ということくらいは認識しておきたいものである。よって、これから少し、検討してみたい。

■古代から近世まで 
まず前近代の記述のなかから、4点に絞って検討する。
(1) 『記紀』・『万葉』― 光村の高い自虐度
どの教科書も、日本「神話・伝承」を扱ったコラム欄を一つもうけている。その見出しと、そのおよその文字数は次のとおりである(神話の説明文は除く)。
東書「神話の中のヤマトタケル」(約210字)
大書「ヤマトタケルノミコト」(約150字)
教出「ヤマトタケルの話」(約190字)
光村「神話『ヤマトタケルノミコト』の物語」(約140字)
日文「国土統一の物語」(約170字)
 
 なぜか、そろってヤマトタケルの命である。全社“申しわけ程度”という分量しかない点は同じであるが、ここでは光村の文字数の少なさに注目しておきたい。

 『万葉集』に関するコラム欄には、出版社による違いが、少し見られる。「貧窮問答歌」を扱ったコラムを掲げているのは、意外にも東書光村の2社にすぎない。ただし、大書は、現行の「貧窮問答歌」のコラム欄「農民のくらし」から、兵士の悲しみを訴えたコラム欄「さきもりの歌」へと変わり、教出は、同じく兵士の悲しみを扱った現行の「兵士のうた」をほぼそのまま掲げているので“自虐度”に大差はない。なお、日文には、どちらもない。

 注目すべきは、「貧窮問答歌」のコラムの隣で、イラストの少年が「人々がきびしい生活を続ける中で、天皇中心の政治は、どうなっていったのだろう」と問いかける光村である。旧態依然たる“自虐度の高さ”といえよう。

(2)蒙古襲来 ― 突出する光村の自虐度
 各社の表現は、東書教出が、元が日本に「せめてきました」、日文が「襲ってきました」などで、これは、マシな表現である。大書は「時宗」が「要求をはねつけ」たため、「元軍は、2度にわたって九州北部におしよせてきました」となっている。これでは、まるで日本側の判断ミスにより、自分から招いた災いのようである。

 さらにヒドイのは光村で、「モンゴルは中国を征服すると、国の名を元と改め、日本もしたがうようにと使いを送ってきました。幕府の執権北条時宗は返事を出さず、九州の守りを固めさせました。元軍は、1274年と1281年の2度にわたって大軍をもって日本をおそいました」とある。

 こうなると、まるで「返事を出さず、さらに敵対行為をとった日本が悪い」かのような書きぶりで、ここでも光村の“自虐度の高さ”は突出している。

(3)建武中興 ― 全社に記述なし
 驚くべきことに、建武中興(建武の新政)に関する記事は、全社にわたって一切見られない。「14世紀の中ごろに鎌倉幕府がたおれると、やがて足利氏が京都の室町に幕府を開きました」(東書)といったぐあいである。

 南北朝の動乱をえがいた『太平記』が、後世(とくに明治維新)に与えた大きな影響を考えるだけでも、この時代を抹消した日本史など、日本史の名に値しない。もっとも、これほど足並がそろっている点からして、これは『学習指導要領』自体の不備といえる。

(4)文禄・慶長の役 ― 日本の民衆の被害記述なし
 蒙古襲来の記事のそっけなさに比べて、文禄・慶長の役については、各社とも力が入っている。それぞれの記述を紹介してみたい。

東書「この侵略で、朝鮮の国土は破かいされ、多くの人々が殺害されたり日本へ連れ去られたりしました」(「日本と朝鮮の関係を知る歴史博物館」という約240字のコラムの中の一文)[57頁]
大書「秀吉が朝鮮に兵を送った結果、朝鮮の国土が荒れ、多くの朝鮮の人々がぎせいになりました」 [50頁]
教出「この侵略によって、朝鮮の国土は荒れ、多くの人々が殺されたり、日本に連れてこられたりしました」(別に「朝鮮から伝えられた焼き物」という約140字のコラムあり)[47頁]
光村「朝鮮の人々ははげしくていこうし、水軍の活やくと明のえん軍により、秀吉の軍を退けました。しかし、多くの人人が殺され、学者や焼き物の技術者が日本に連れ去られるなど、朝鮮の人々は大きな被害を受けました」[63頁]
日文「この侵略で、朝鮮の国土は荒らされ、多くの人が殺されたり、日本に連れてこられたりしました。日本軍は、朝鮮の人々や明軍のはげしい抵抗にあって苦戦し、秀吉が病気でなくなると、引きあげました」(別に「朝鮮から伝えられた焼き物」という約100字のコラムあり)[51頁]

 日本が攻め込まれた蒙古襲来では「おしよせてきました」などで、「侵略」という言葉は一切ない。一方、日本が攻め込んだ文禄・慶長の役では、「侵略」という言葉が三社に見え、民衆の被害については、全社が詳細に触れている。
 
 しかし、蒙古襲来時の、日本の民衆の被害(壱岐・対馬)については、全社が一切触れていないことからしても、ここには露骨、かつ明白な偏向がある。

■明治から昭和まで
 どの教科書も近代史は“反日自虐史観”一色と言ってよいが、その中でも、あえて濃淡を見出してみたい。明治から昭和までの記述から、4点に絞って検討する。

(1)日露戦争 ― 自虐度の高さ目立つ光村
 『学習指導要領』に「次に掲げる人物を取り上げる」として、明記されている東郷平八郎の名であるが、東書は図版の説明文の中で出しているにとどまり、他社は全て本文で記している。しかし、その東書と大書には、次のように評価すべき記述が見られる。
東書「日本の勝利は、欧米の支配に苦しむアジアの国々を勇気づけました」[95頁]
大書「アジアの国の日本がロシアに勝利したことは、欧米諸国の進出に苦しむアジア諸国の人々に、独立への自覚と希望をあたえました」[87頁]


 全社のプラス・マイナスを勘案すれば、ここでは意外なことに大書の“自虐度の低さ”が目立つ。それでは、逆に“自虐度の高さ”が目立つものは?といえば、やはり光村である。光村には、次のようにある。

「戦いは日本軍が優勢でした。しかし、日本は多くの死傷者を出し、戦費もかさみ、戦争を続けるのがむずかしくなりました。ロシアも国内で革命が起き、戦争どころではなくなりました。そこで、両国は、アメリカの仲立ちで講和条約を結びました」[99頁]

 これで学んだ子どもに、「それで……勝ったのはどっち?」と聞いても、答えられる子どもはいまい。

(2)「南京事件」― 日文の高い自虐度
 全社が記述している。ただし、それにも表記の上では微妙な差異がある。
東書「武器をすてた兵士や、女性や子どもをふくむ多くの中国人が殺害された」[103頁]
大書「日本軍は占領したナンキンで、ほりょにした兵士など、多くの人々の生命をうばいました」[97頁]
教出「ナンキンでは、日本軍は、ほりょにした兵士や、多くの住民の命をうばい、世界各国から非難を受けました」[100頁]
光村「戦場を拡大した日本軍は、首都のナンキン(南京)をせめ、多くの中国人の命をうばいました」[106頁]
日文「日本軍は、首都のナンキン(南京)を占領したとき、武器をすてた兵士や、女性や子どもをふくむ数多くの市民を殺害しました。この事実は、諸外国から非難をあびましたが、日本の国民には知らされませんでした」[97頁]

 「女性や子ども」の殺害まで明記しているのは東書日文で、また外国からの「非難」を明記しているのは教出日文である。日文の“自虐度の高さ”が目立っている。

(3)「強制連行」 ― 教出と大書が連行人数を削除
 現行本の表記と、今回の検定本の表記を比べてみよう。
東書「多数の朝鮮人や中国人を強制的に連れてきて」
→「(同文)」[105頁]
大書「約70万人の朝鮮の人々や、約4万人の中国の人人を強制的に日本に連れてきました」
→「多くの朝鮮の人々や中国の人々を、日本各地の鉱山や工場などで働かせました」[99頁]
教出「多くの朝鮮人や中国人を強制的に日本に連行し、各地の鉱山などで厳しい労働にあたらせました」
→「朝鮮や中国から多くの人々を日本に連れてきて、各地の鉱山などで厳しい労働にあたらせました」[101頁]
光村「多くの朝鮮の人々や占領地の中国の人々を強制的に日本に連れてきて、労働力が不足していた鉱山や工場などで、ひどい条件のもとで働かせました(強制連行)」
→「多くの朝鮮や中国の人々を強制的に日本に連れてきて、各地の鉱山などで、きびしい条件のもとで働かせました」[109頁]
日文「多数の朝鮮人や中国人を日本に連れてきて、土木工事や鉱山などで、きびしい労働を強いました。このため、多くの人たちがなくなりました」
→「多数の朝鮮人や中国人を強制的に連れてきて、工場や鉱山などで、きびしい労働をさせました」[99頁]


 要するに、以前と変わらず「強制」という言葉が見えるのは東書光村、それが消えたのが大書教出である。実は検定申請の段階で、教出一社が根拠の薄い数字を明記していたが、自社の“突出ぶり”を自覚したのか、何と見本本では自主訂正して数字を削除し、他社並みになった。

 なお、日文には、新たに「強制」が登場しているが、ここは、もともと「強いました」と書いていたので、実質は「以前と変わらず」の方に入れるべきであろう。なぜか、ここでも大書の“自虐度の低さ”が見える。

(4)玉音放送 ― 天皇無視の東書・光村・日文
 昭和天皇の玉音放送がなければ、大東亜戦争のすみやかな終結もなかったわけであるが、そのことを記している教科書は少ない。

 東書には「政府や軍の指導者は、戦争をやめる決断ができませんでした」とあるものの、玉音放送の記述はない。
 光村も「これ以上戦えないと考えた日本は、8月15日、アメリカやイギリスなどの連合国が降伏をすすめたポツダム宣言を受け入れました」とあり、日文も「日本は、8月15日、連合国のすすめるポツダム宣言を受け入れて降伏しました」と記すのみである。

 一方、大書には「8月15日に、昭和天皇が、ラジオを通して降伏を国民に伝えました」とあり、教出にも「8月15日、昭和天皇がラジオで日本のこうふくを伝え、15年にわたる戦争はようやく終わりました」とある。

 ことさらに天皇を無視するかのような東書光村日文に比すると、大書教出の記述は評価できる。

■「まとめ」の部分 東書の突出ぶりは異様
 私は、教科書を見るさいには、その本のシメの部分に注目している。そこに図らずも「思想」が露出していることが多いからである。

 その点からすれば東書は、もっとも露骨である。「人権」「子どもの権利」「女性の人権」「差別をなくす」「アイヌ民族、在日韓国・朝鮮人、外国人へのへん見や差別」「戦争と平和」などの言葉が列記され、イラストの少年が拳を振りかざして、「このような大きな課題を解決するには、政治の力が必要ではないのかな」と叫んでいる。

 他社も、大書「地球市民」、教出「アジアの人々に大きな被害をあたえた」、日文「人種や民族の差別、人権の侵害」など、いずれも“日教組くさい”シメ方ではあるものの、この点、東書の突出ぶりは、異様である。

■合格とすべき教科書はない
 以上、検討してきて感じたところを、私なりに総括しておこう。
 今回の小学校の歴史教科書の“自虐度の高さ”では、やはり光村東書を両横綱とする。大書は、他と比較すれば“マシ”であるが、昨年の尾鷲市の教科書汚職事件に鑑み、今回は「評価外」としておく。したがって、残るのは教出日文となるが、二つとも、とくに近代史は、あいも変わらぬ“日教組くさい”ものである。つまり、『学習指導要領』に照らして“合格”とすべき教科書は一つもない。

 今の日本の子どもたちに、こんな教科書しか提供できないのは、私ども、今の大人の責任である。残念ながら、「歴史」に名を借りた“言葉の児童虐待”が、来年も全国でつづく。

 今春、文部科学省の検定を合格し、来年から使われる小学校教科書の「見本本」は、各都道府県の教科書センターで実物を見ることができます。ここで松浦光修氏に偏向の実態を検討していただいた「社会科」だけでなく、「保健」の酷さも新聞等で指摘されています。
 実際に手に取ってみると、記述内容もさることながら、本の薄さ、イラストや写真が多いのに驚かされます。まるでパンフレットのようです。ぜひ、都道府県に設置されている教科書センターへ足を運び、直接確かめてみることをお奨めします(見本本の展示会は6月16日から14日間を原則として開催)。
 各教科書センター所在地は、文科省のホームページ「都道府県が設置する教科書センター一覧」で検索できます。[http://www.mext.go.jp
 また、各都道府県教育委員会事務局へお問い合わせください。