平成16年9月号(通巻46号)より
日本人のための領土問題
問われているのは外交姿勢だけではなく国民の歴史教育だ
拓殖大学教授 下條 正男
歴史的根拠と国際法的根拠
 戦後、日本は新たに領土問題を抱えることになった。北方領土問題、沖縄問題、竹島問題は戦後の混乱期に発生し、尖閣諸島問題は一九七〇年代になってにわかに浮上した。

 このうち、終戦直前の昭和二十年(一九四五年)四月に米軍が上陸して以降、米軍に占領されていた沖縄は、一九七二年に日本に返還されたが、依然として米軍基地問題が存続し、沖縄島民の戦後は二一世紀の今日も終わっていない。

 歯舞諸島、色丹島、国後島、択捉 島の四島からなる北方領土、島根県隠岐郡五箇村に属する竹島、そして尖閣諸島は、いずれも戦前から日本の領土であった。

 北方領土問題は、安政元年(一八五五年)以来、日本の領土であった四島が、終戦直後の昭和二十年八月二十二日から九月二日にかけ、「日ソ中立条約」を締結していたソ連に侵攻されて起こった問題である。島民の多くは樺太に抑留され、島を守っていた日本軍はシベリアに送られて、強制労働に従事させられた。その日本固有の領土がソ連(現、ロシア)に奪われて、すでに五十九年の歳月が流れている。

 また、日本と韓国の間でその帰属が争われている竹島問題は、一九五二年(昭和二十七年)一月十八日、韓国政府が一方的に「李承 晩ライン」を宣言し、竹島をその中に含めたことを発端としている。一九五四年九月には、韓国政府が竹島の武力占拠を決めて以来今日まで、韓国の海岸警備隊によって武力占拠されており、今年で五十年目を迎えた。

 さらに尖閣諸島問題は、明治二十八年(一八九五年)、明治政府によって日本領に編入された尖閣諸島だったが、一九六九年、国連のアジア極東経済委員会が付近の海底に石油資源が埋蔵されている可能性を指摘してから、台湾と中国が互いに領有権を主張することで浮上してきた問題である。

 では、日本は領土問題に対してどのように接近していったらよいのであろうか。

 それは、その領土が歴史的にどちらの国に属すのかを示す歴史的権原と、その領土を自国に編入した時の手続きが国際法的な観点から妥当かどうかを明確にすることである。歴史的根拠と国際法的根拠。この二つの視角から見た時、日本の領土問題はどのような状況に置かれているのかを検証してみたい。

北方領土問題
 先に述べたように、北方領土が日本の領土となったのは安政元年、ロシアと江戸幕府との間で締結された「日露和親条約」で択捉島とウルップ島との間に境界が定められてからである。以来、幾多の変遷はあったが、択捉島、国後島、色丹島、歯舞諸島の四島は常に日本に帰属していた。

 従って、「日ソ中立条約」を一方的に破棄し、四島に侵攻したソ連には、北方領土に対する歴史的権限はなく、国際法的にも領有権を主張する資格はないのである。

 だが現実には、北方領土はロシアが占拠したままである。それは、引き続いて起こった東西の冷戦構造の下では、領土問題の話し合いが進展しなかったからでもある。変化が見えたのはゴルバチョフ大統領時代の一九九一年、「日ソ共同宣言」で北方領土の帰属が挙論され、島民との交流を拡大するための「ビザなし交流」が企画されてからである。

 続くエリツィン大統領時代、一九九一年の「ロシア国民への手紙」や一九九三年の「東京宣言」で、日ロ間の平和条約締結のためには戦後処理と国境の策定が必要とされ、北方四島の返還が確認されている。その準備としての「ビザなし交流」は、一九九二年から始まっている。

 だが領土問題の難しさは、政府間の合意だけで解決できない点にある。ロシア国民には北方領土問題の実態が伝えられていないという現実がある。プーチン政権となり、ロシア政府は、国民世論を口実に北方四島の返還には消極的である。

 一方、日本国民は北方領土問題の存在を知ってはいても、それとどう関わったらよいのか、表現の術を知らないかのようである。領土問題は、歴史的権原や国際法だけの問題ではなく、理不尽に奪われた領土に対する国民一人ひとりの関心と、相手側の状況を把握し、返還を促進する外交努力を持続させる政治的関心が欠かせない。

 この種の政治的関心は、地方分権的な社会体質に育った日本人には、最も不得手な領域である。しかし、領土問題の解決には、日本の意識改革が欠かせないのである。

竹島問題
 竹島問題が浮上したのは一九五二年一月十八日、日韓の国交正常化交渉の本会議が始まる直前である。韓国政府は公海上に「李承晩ライン」を引いて竹島をその中に含め、竹島の領有権を主張することになる。

 李承晩ラインと竹島問題は、その後の国交正常化交渉で韓国側の外交カードとなり、韓国側は竹島の領有権を主張する日本側に対して、侵略主義の復活と非難し、李承晩ラインを口実に日本漁船を拿捕しては、解放を求める日本政府に譲歩を迫った。一九五四年九月には韓国政府が竹島の武力占拠を決め、問題は今日も未解決のままである。

 しかし、日本政府が明治三十八年(一九〇五年)二月、「国際法上占拠の事実あるものと認め、之を本邦所属として」以来、竹島が日本の領土であることに変わりはない。

 にもかかわらず、竹島問題が解決しないのは、韓国政府が竹島を武力占拠した直後、日本政府が国際司法裁判所への提訴を韓国政府に求めたにもかかわらず、「領土問題は存在しない」と拒否したことで、両国の話し合いが途絶えているからである。その後、韓国側は竹島の実効支配を確実にするため灯台の建設や切手の発行、あるいは接岸施設を設置しては、そのたびに日韓関係を緊張させてきた。日韓の国交正常化は昭和四十年(一九六五年)、「日韓基本条約」の締結で果たされたが、竹島問題は今も日韓の障害となっているのである。

 戦後、日韓関係が「近くて遠い国」となった元凶は、竹島問題にある。だが日本政府には、竹島問題を担当する部署がない。これが日本の現状である。

 韓国側では「歴史的にも国際法上も独島(竹島)は韓国固有の領土」と嘯くが、その歴史理解は正しくない。それについては、拙著『日韓・歴史克服への道』(展転社)と『竹島は日韓どちらのものか』(文春新書)で実証済みである。関心のある方はご一読を。

尖閣諸島問題
 尖閣諸島が閣議決定で日本領に編入されたのは、明治二十八年(一八九五年)のことである。今年の八月、中国で開催されたサッカーのアジアカップで、中国側サポーターが「釣魚台」のプラカードを掲げ、日本側に抗議の姿勢を示していたが、「釣魚台」は尖閣諸島中の魚釣島の中国側の呼び名である。中国では尖閣諸島は釣魚島列島と呼称する。

 この尖閣諸島問題は、北方領土問題や竹島問題とは違い、歴史的権原や国際法の観点では対応できない側面がある。事実、釣魚台の呼称は明代から使われ、琉球(現、沖縄)の属島にされたり、中国と琉球を結ぶ航海上の目印とされてきた歴史がある。

 一方、尖閣諸島と名付けられたのは明治二十八年、政府の閣議決定に基づくが、釣魚台と呼ばれていた時代よりもはるか後世のことである。しかし、ここに尖閣諸島の存在を知っていても、それを永続的に実効支配する国家意思が問題にされることになるのである。

 その際に重要なのは、尖閣諸島が日本に編入され、以来、日本が実効支配してきた歴史的事実にある。尖閣諸島が日本領に編入されるきっかけは明治二十八年、実業家の古賀辰四郎が尖閣諸島でアホウドリの羽毛の採取や鰹節製造のため、沖縄県に借地契約を願い出てからである。そこで明治政府は日本領に編入した翌年、古賀辰四郎に三十年間の無償貸与を許可し、以後、息子の古賀善次郎に引き継がれた。その間、八十年近く中国側からは一度たりとも抗議を受けていない。

 戦後、沖縄が日本側に返還された際、尖閣諸島の施政権も日本に返還され、同諸島が沖縄県石垣市に属しているのは、過去に実効支配の事実があったからである。

 それがにわかに係争の地となったのは一九七一年(昭和四十六年)、中国や台湾が領有権を主張してからである。しかし一九七八年、日中平和友好条約の批准書交換のために訪日した小平副首相は、「こういう問題は一時棚上げにしてもかまわない。次の世代はわれわれより、もっと知恵があるだろう。みんなが受け入れられるいい解決方法を見出せるだろう」と発言し、尖閣諸島問題は外交の表面に出てこなかった。ところが近年、中国側では海底調査を強行し、緊張が高まっている。

 そればかりか日中間では靖国神社問題や南京事件、歴史教科書問題がくすぶり、領土問題が更なる歴史問題を増殖させ、中国では「反日感情」に火が点いた。今日、中韓間には高句麗史をめぐる歴史問題が浮上し、日中、日韓の間にもそれぞれ歴史問題を抱え、東アジアは錯綜とした時代を迎えている。

領土問題、失われた五十九年
 では、歴史問題を含め、領土問題を解決する鍵は存在するのだろうか。

 いずれの問題も民族感情に走りやすく、極端な行動に出て、かえって相手側の民族感情を刺激しては、問題をこじらせることが多い。その時、最小限必要なのは、対象となる領土問題に対しての客観的な歴史理解と、民族感情に走ることのない成熟した社会の構築である。それには政府の外交姿勢だけが問われるのでなく、国民一人ひとりの自覚をどう促していくかが問題にされねばならない。そしてそれを実現するのは、領土問題が発生することになった歴史的背景を理解し、彼我の現状を認識することのできる歴史の教育である。

 だが、これまで日本の歴史教科書は、領土問題に正面から取り組んできたと言えるだろうか。領土問題は領土の帰属だけを争うものではない。領土問題は政府間の合意だけでは解決せず、国民の民族感情が解決を妨げることもあるからだ。

 少なくともその弊害をなくすには、相手国との相互理解と、その溝を埋めていくことのできる知見が必要になる。国民が領土問題の現状を知らず、政府が積極的に外交課題に取り組まなければ、領土問題は膠着したままである。近隣諸国との間に領土問題を残し、中国、韓国、北朝鮮からは過去の歴史を問題にされ続けるのはその証である。

 言わばそれは「失われた五十九年」とも言える。今は同じ歳月をかけ、現状を回復する試みを始めてもよいのではなかろうか。近隣諸国との間にわだかまる領土問題の解決は、日本の改革にもつながっている。