平成16年9月号(通巻46号)より
 
リレー随想
日本に一番大切なこと
東海旅客鉄道株式会社会長 葛西敬之
 あるアメリカ人の友人とこんな会話をした。

「私は仕事で色々な土地を訪れる。中近東、インド、東南アジア諸国や中国。それぞれと折り合って仕事をしてきた。だが、心の底から安心感、安らぎを感じるのは日本にいる時だけだ。日本社会の優しさ、温和さは他の国には決して見いだせない日本の特徴だ。どうして日本社会だけが違うんだろうか」
「一つは日本が島国だからでしょう。日本は海によって守られてきた。長い日本の歴史で海外からの侵攻に依る残虐な殺戮を経験したり、国家存亡の危機を実感したのは、古くは百済滅亡後の唐帝国侵攻の脅威、中世ではクビライの命を受けた高麗・南宋兵の二度に亘る侵攻、近くは清帝国、ロシア帝国による朝鮮半島支配の脅威と、都合三回しかない。その時だけ日本人は尚武の気風を帯びる。それ以外の時は平和ぼけと言われる位のんびりして居るんですよ。万葉集でも、源氏物語でも男女平等、恋愛至上主義が日本文化の主流で、強いリーダーシップよりは優しい繊細さが男の理想型とされて来た。もう一つの原因は気候が温暖で水、食料などに恵まれ、皆が少しずつ我慢すれば平和に共存できると言う基本条件が有ったことでしょう。故にその方が賢明だと言う気風が定着した。ペリー提督が日本を訪れた時、日本には三千万人以上の人々が慎ましく暮らしていた。その時アメリカ合衆国の人口は二千万人だったことをご存知ですか。この数字も日本人の気風を象徴していると思いませんか」

  大いに納得した様子の彼にもう一つの逸話を紹介した。

 鎌倉時代、ある雪の夕べのこと。零落して極貧の生活をしているある武士の陋屋の戸を一人の旅の僧が叩き、一夜の宿を請う。余りの貧しさに何の持てなしも出来ぬと主が断るのを押して僧は宿を請う。彼はついに断り切れず請じ入れるが、出来るだけの持てなしをと考えた結果、彼にとってただ一つの宝である梅、桜、松の盆栽の木を折って、囲炉裏にくべ暖を取らせた。この僧こそが実は隠居した先の執権最明寺時頼で、その武士の真心に感動し、彼を取り立てたという「鉢の木」の物語である。これが中国の古典になると、突然訪ねてきた旧友を持てなす用意が無く困った男が、自分の妻を料理して馳走し、旧友はその友情の厚さに感激したと言う逸話になる。鉢の木の暖が人の心を揺さぶるのは日本という温和な風土と、その中で育まれた民族性故である。こんな話をしながら夜が更けてしまった。

日本人自身が自らの歴史と心の持ちようをもう少し知ることが、大陸からの様々なデマゴーグとプロパガンダに曝され、固有の領土に対する言われ無き挑発を受けている日本にとって今一番大切だと思う。

(かさい よしゆき)
昭和15年、東京生まれ。同38年、東大法学部卒業後、日本国有鉄道入社。米国ウィスコンシン大学にて経済学修士号取得。東海旅客鉄道(株)取締役総合企画本部長、代表取締役社長などを経て、平成16年、代表取締役会長に就任。主な著書に『未完の「国鉄改革」』他。