平成17年1月号(通巻48号)より
シッポを追う犬に似て
理事・明治大学教授・福田 逸
 大学で教えるようになって既に三十年余りになるが、この十年程、年を経るに従って痛感するようになったことが一つ。よく言われることかもしれないが、学生とのコミ ュニケーションが色々な意味で困難になって来ている。それはお前が歳を取って学生との距離が離れてしまったのだとも言われかねないが、必ずしもそうとは言い切れない。今は未だ自分の子供の世代を教えているようなもので、それなりに会話の手管は分かっているつもりである。

  問題は、間違いなく学生にある。いや、学生たちが受けてきた高校までの教育にある。私の授業は殆どが語学ではあるが、事あるごとにものの考え方やら、思考力やら、筋道立てて考える訓練をしてやろうと、しばしば教科書そっちのけで時事問題や歴史教育などに脱線し、論理的思考をあの手この手で教え込もうと試みる。

  そして、「君たちの受けてきた教育は、歪んでいるんだよ、誤った教育を受けてきたんだよ」、「国家が教育を放棄し、その付けは君たちに降り掛かって来ているわけで、すべての教育の基礎たる国語教育からして、お粗末極まりないものなんだよ」などと、その都度、例を挙げて話してはみるものの、語彙は貧弱、論理的思考は苦手、という学生にそのことを易しく説いて聞かせ、納得させるのは甚だ難しい。

  そもそも、歪んだ教育を受け、それに洗脳された学生達に、自分たちの受けた教育が歪んでいたことを、どうやれば理解させられるというのか。これは殆ど至難のわざと言ってもよい。まるで仔犬に自分のシッポを追わせるような感覚に囚われる事すらある。だからこそ、まともな教科書を作り、教育そのものを立て直さねばならないのだが、既にそれで育ってしまった学生達、あるいはそのまま親になってしまった人々を再教育する手段をも、私達は考えなくてはなるまい。