平成17年1月号(通巻48号)より
 
リレー随想
イタリアと日本の教育
政治評論家 屋山太郎
 中学校一年生の時、「歴史」の時間に「足利尊氏は逆賊である」と教わった。ところが占領後、学制改革があって二年生の時「足利尊氏は立派な武士であった」というのだ。その理由は「朝廷に反抗した」からだという。価値が大逆転する様を目の当たりに見て、私は教師を軽蔑し、全く信用しなくなった。日本史は見るのもいやになった。

  その後、高校や大学の入試に「日本史」があったから一応、勉強はしたはずだが、それは義理で年表を暗記したにすぎない。一方で世界史はドラマに満ちて滅法面白かった。就職も海外に行けるチャンスのある所を選んだ。

  通信社の記者になって一九六○年代にローマに赴任した。その時、イタリアの国営TVで最も人気のあった番組は「ノン・トロッポ・マイ・タルディ」(今からでも決して遅くはない)というイタリア語講座だった。当時、イタリアに文盲が四割もいたのには仰天した。たった二十六文字を覚えられない人がいるなどとは考えられなかった。TVのない人達が多く、彼らは村の集会場に集まって講座をきいた。日本の夏休みのラジオ体操のように、講座が終わると出席の印のスタンプを貰って、約一カ月で講座は繰り返しになる。この文盲解消の運動は四年ほど続いた。

  記者クラブで「日本では新聞を読むのに最低千八百字は必要で、文盲は知的障害のある人達二〜三%だけだ」と断言した時には、イタリア人記者達が揃って喚声をあげた。彼等には信じられなかったのだ。「どうしてその様に教育が進んだのか」に答えるのに、私は明治維新の話をしたのだが、それに先立つ三百年の寺子屋の歴史や誰が寺子屋の先生だったか。庶民のモラルが高い理由も語る必要があった。

  オヤジに歴史本を大量に送って貰って、三十何歳にして日本史を学んだ。しかし日本史の世界ほど認識によって白と黒が入れ替わるオセロゲームのような世界は珍しい。教科書問題はまさにオセロゲームの世界を引き摺っているのだ。

  ローマで気付いたのは本屋に「戦後○○」という類いの本が一切ないことだった。日本人の間違いは終戦を機に、これまでの歴史の巻を閉じ、新しい歴史の書物を書こうとしたことだ。そういうことをするから「結果の平等主義」とか「絶対平和主義」「ジェンダーフリー」といった架空の価値をつくり出したのだ。今年は戦後六十年。 還暦である。日本の良き伝統と文化の上に歴史の続きを書こうではないか。

(ややま たろう)
昭和7年、福岡県生まれ。東北大学卒業。時事通信社のローマ特派員、首相官邸キャップ、ジュネーブ特派員、編集委員兼解説委員を歴任し、62年退社。選挙制度審議会委員や行政改革審議会、臨時教育審議会の専門委員等をつとめる。著書として『官僚亡国論』など多数。 平成14年、第17回正論大賞受賞。