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雑誌『正論』八月号誌上での兵頭二十八氏と別宮暖朗氏の対談を読んで思い出したので、歴史家で元駐日大使のライシャワーが遺した著書『ライシャワーの日本史』を読み直してみた。ライシャワーは、第二次世界大戦はドイツのポーランド侵攻(一九三九年九月)によって始まったのではなく、昭和十二年(一九三七年)八月十三日の中国軍による上海における日本海軍(上海特別陸戦隊)への全面攻撃の開始によって始まったとしている。
そこには、すぐれた歴史家の二つの視点が明確に示されていて参考となる。一つは、日本とあの戦争の関わりとして、満州事変と日中戦争(当時の呼称としては支那事変)とは明確に別の戦争として把え、いわゆる「十五年戦争」論と一線を画している点である。もう一つは、盧溝橋事件など北支における一連の「小ぜり合い」は、いわば中国大陸において何十年とくり返されてきた日常的局地紛争であって、これらと日中全面戦争の開始に至った経緯との間には、より明確な一線が引かれるべきだ、という視点である。前者においては日中間で実質的な講和(一九三三年塘沽停戦協定)が成立しているし、後者については、そもそも全面戦争とは、少くとも当事国のいずれか一方に明確な国家意思をもって大規模な近代戦を仕掛ける決定がなくてはならない。中国側には西安事件(一九三六年)以来、抗日全面戦争への意志が明確だった。他方、日本側が一貫して不拡大方針を堅持していたことはよく知られている。それゆえ、条約上の権利の下に駐留していた僅か二千五百人の上海の日本軍に十二万以上の兵力で中国軍の全面攻撃が開始された八月十三日が第二次世界大戦の始まりだった、とライシャワーは言うのである。けだし正鵠を射ている。
またそもそも盧溝橋などの「小ぜり合い」自体も、今日では中国共産党の謀略によって始められたことが明白となっている。国際関係はそれ特有の論理と枠組みで語られるべきであり、また誤った贖罪の感情や「○○主義」という抽象語で歴史を語るべきではないのだ。
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