平成18年3月号(通巻55号)より
まだまだおかしい歴史教科書
なぜ勝敗さえ記述しない日露戦争記述が出てくるのか
愛媛県中学校教諭 大津寄 章三
日露戦争を比喩的に語れば

  私の住む松山市では現在、司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』を生かしたまちづくりが進められている。「二十一世紀に残したい小説・第一位」に輝くこの作品ほど日本人に誇りと勇気を与えたものはなく、NHKがスペシャル大河として制作を進めている平成二十年の放映を待ち望む人びとは多い。

  司馬氏個人の体験が色濃い昭和の大戦についての視点には違和感をもつ向きも少なくないが、この小説の背景である日露戦争に関しては、その基本軸において国民的な支持と合意が形成されていると言っていい。

  日露戦争の原因となった幕末・明治史を比喩的に語ればこうである。

  一族が住む古い広壮な屋敷(アジア)に武装した屈強な一団(欧米列強)が押し入った。彼らは母屋を占拠し、家人に乱暴狼藉をはたらいた上、家財を略奪し始めた(帝国主義)。

  中庭(日本海)を隔てた離れに暮らす末の息子(日本)のみは、仰天しつつもただちに家族をたたき起こし、機敏に守りを固め武器を用意した(富国強兵)。
 
  庭を越えられてしまえば防ぎようもないため、最寄りの棟に住む兄(朝鮮)に使いをとばしたが(征韓論)、気弱な上、宵からの酒に泥酔しており頼りにならない。肝心の当主(清国)も、身動きかなわぬほど縛り上げられている。むろん村には駐在(国連軍)などいようはずもない。

  いくらかは腕に覚えのある末息子は健気にも単身で立ち向かう覚悟を定めると、たすきを掛け、ありったけの武器を身につけ中庭に躍り出た。

  よき敵かな、と悠然と応じたのは野盗団きっての怪力をもつ巨漢(ロシア)である。自分の縄張りに野心をもっているらしいこの部下に警戒心を抱いていた頭目(イギリス)は、むしろ決死の態の末息子に頼もしさを覚え、堂々と戦え、とその差 料を彼に与えた(日英同盟)。

  両者は母屋内(中国大陸)で死闘を繰り広げた。ややもすると圧倒的な体格差に力負けしそうになる息子は、しかし巧みな戦術と軽 捷な動きで窮地を脱すると(奉天会戦)、ついに庭の池に巨漢を押し沈め、全力をふりしぼってその猪首を締め上げた(日本海海戦)。

  勝負あり、とみた副頭目(アメリカ)は両者の間に割って入り、息子の勝ちを宣した(ポーツマス条約)。末息子は満身創痍であったが、以後、野盗にすら一目おかれる存在となり(不平等条約の改正)、一族からは次期当主に、との声もあがるようになった。

日露戦争は人類史の曲り角

  扶桑社の教科書はこの戦いを「日露戦争は、日本の生き残りをかけた戦争だった。日本はこれに勝利して、自国の安全保障を確立した」と総括し、一丸となって国難にあたった乃木、東郷、秋山、小村らを紹介している。とりわけ日本海海戦には一ページをあて、国家の存亡を賭けた戦いぶりを活写するとともに、勝利を呼び込んだ原因についても単に士気旺盛といった精神論に帰すことなく、下瀬火薬などの科学技術に支えられていたことを指摘している。

  また、インドやエジプトといった「野盗に蹂躙された村人たち」の声を載せ、日本の勝利が世界史の転換点となる有色民族の覚醒に直結したことも明記している。

  日露戦争を国内的視点だけで語ることはできない。それは、いわば「コロンブス以来」半永久的に続くかと思われた西風の東進という世界史の潮流が、日本という極東の徳俵で押し返されたことを意味している。もし人類史に大きな曲り角というものがあるとすれば、第二次大戦という角の、もうひとつ前の曲り角が日露戦争だったのである。

  ところが、この壮大で緊迫感に満ちた民族の叙事詩が、他社本にかかるとなんとも平板で底意地の悪ささえ覚える記述となってしまうのはなぜであろう。極上の食材で料理しながら味がわるく、ろくな滋養にもならないというのは不可思議としか言いようがない。

  まず戦いの動機について、日本書籍新社は「日本は朝鮮の支配をめざしていたので、ロシアとの対立がはげしくなった」、清水書院は「日本は朝鮮(韓国)もロシアにうばわれるのではないかと心配しはじめた」として、当初から日本もまた帝国主義的列強の一員として領土拡張の野望をたくましくしていたかのような書き方となっている。

  戦いをめぐる世論についても、扶桑社をのぞく全社が与謝野晶子を、五社が内村鑑三を、三社が幸徳秋水を取り上げている。日本文教出版は大塚楠緒子などというマニアックな人物に反戦を語らせ、日本書籍新社にいたっては「日露戦争をめぐるさまざまな意見」としてまるまる二ページを充てている。

  これは一応賛否両論になっているが、大半は反対意見(「君死にたまふことなかれ」の全文紹介など)であり、開戦を主張する実業家・田口卯吉には「この不景気を立て直すには、満州を日本がにぎることである」と語らせ、いかにも国内矛盾解決が戦争目的であったかのようなミス・リードを試みている。帝国書院は側注で「日露戦争を、多くの人が支持した理由と、戦争を支持しなかった人の反対した理由を、できるだけあげてみよう」、大阪書籍は「ロシアと戦うことに反対した人びとの主張も調べてみよう」と、国内の圧倒的世論と少数意見を同列に並べ相対化させる問いを投げかけている。

  そもそも座して死を待つか打って出て活路を開くかという切所にあって「あなた危ないまねはやめて」「お父さん行っちゃいやだ」と裾にすがりつく妻子しか描写しないような戦争記述などがあるものだろうか。その妻子を守るため果敢に打って出た代表的な軍人・東郷平八郎の名を記したのは、扶桑社をのぞけば帝国書院の図版のみである。英米でも西アジアでも武勲を知られ、フィンランドでは彼のラベルを貼ったビールさえ売られているアドミラル・トーゴーを知らないのは日本の子どもだけ、という笑えない話は真実味を帯びている。

  戦争描写についてもひどいものである。東京書籍と帝国書院は「増税に苦しむ国民のようす」として、まるで戦争が国民の声を無視して行われたかのようなイメージを着色している。また、東京書籍は占領後の旅順港を見下ろす日本兵の大きな写真の横に「写っているのはどこの国の人たちかな」という不自然な吹き出しをはさみ、教育出版は「この戦争の戦場はおもにどこだったのかな」といった吹き出しを図版に添えるなどして、あたかも日本が他国の迷惑も顧みず戦闘を繰り広げている、と言わんばかりである。

  日本書籍新社はもっと露骨であり、挿絵に「戦場となった満州の民衆はみじめであった」との説明を入れている。ここで日本が敗退した場合、満州の民には更なる塗炭の苦しみが待ち受けていたであろうことなど同社にとっては配慮の外であり、日教組御用達出版社の面目躍如たるものがある。

  戦後の結果について、清水書院は「日露戦争は、日本の韓国支配を確保させ、中国・ロシアからも領土をうばった」と記す。しかし講和条約で割譲された土地に「うばった」はないであろう。また、先の日本書籍新社は信じられないことに、この戦争はどちらが勝ったのか記述していないのである。確かに講和条約の内容として日本が獲得したものは列挙してある。しかし、すべての基本は日本の勝利という一点であり、これが押さえられていなければ、日露戦争が有色民族のみならず欧米列強に与えた衝撃の深さを生徒に理解させることはできないであろう。

他社が日露戦争を過小評価したがる理由

  ここまでして各社が日露戦争を過小評価しているのはなぜであろう。私は、それがまっすぐに大東亜戦争の評価につながるからだと思う。この二つの戦争には多くの共通点がある。帝国主義時代という水圧下の戦いであったこと、人種間戦争であったこと、それがアジア解放につながるものであったこと、安全保障がその主因であったこと等である。二十世紀初頭、わが国を取り巻いていたこれらの要素は基本的に昭和まで続いていたのである。

  つまり、近代日本のあゆみをマスターする上で大東亜戦争を応用問題とするならば、日露戦争は練習問題と言っていい。したがって「日本は一貫してアジアへの邪悪な加害者でありつづけた」と叫ぶ勢力にとっては、日露戦争を肯定的にとらえる司馬史観など断じて許容できるものではない。松山の反対派が「平和に反する」「近隣諸国への配慮がない」等の理屈をこね回し『坂の上の雲』のまちづくりに抵抗したり、記念館から戦争色を一掃しようと躍起になっている理由はここにある。

  他社本の最大の問題点は、すべての結果を知った現代の眼から過去を断罪しようとする視点が濃すぎること、および自国の歴史を他者の眼で描こうとする傾向が強すぎることである。そのため本来誇りを持って語り継ぐべき父祖の歩みすら、恥ずべき所業として過度にデフォルメされてしまっているのである。多くの資料を駆使し、可能な限り当時の価値観に寄り添おうとする扶桑社版の筆致と、自国に対する冷ややかで時に憎々しい他社本の記述の、どちらが子どもたちの心に響くかはおのずと明らかであろう。