| |
リレー随想 |
| 今こそ歴史の「正名運動」を |
| 拓殖大学日本文化研究所所長・教授 井尻 千男 |
 |
 |
小学校を卒業するとき、担任の先生から答辞を読むようにと命じられた私は、「大東亜戦争のさなかに入学し、B29の空襲を受け、終戦後の混乱期に……」というような草稿を書いたのだが、式の直前に先生はただならぬ表情で「大東亜戦争ということばをつかってはいけないのです、太平洋戦争と書きかえなさい」と命じた。
昭和二十六年春の出来事である。この年の秋九月八日にサンフランシスコのオペラ座で対日講和条約の調印式があり、翌年の四月二十八日にわが国は晴れて主権国家に復したのであるから、私の体験したことは「被占領期」の出来事だった。
ささやかな体験ではあるが、少年の私はGHQ(連合国軍総司令部)の禁止語というタブーに触れていたのである。そして書きかえを命じた教師は決して左翼系の活動家ではなかったと私はいまも信じている。GHQの指令を忠実に守った日本人の一人にすぎないのだと。
GHQの指令は講和条約の発効とともに消滅したはずであるから、その後のことはすべて日本人自身の問題となる。歴史の「正名運動」はそのときから始めなければならなかったのである。だが残念ながら、そのような運動が起らなかったばかりか、「日中十五年戦争」などという呼称が大手を振って登場するようになった。われわれの父祖の世代が戦ったのは「満州事変」であり「シナ事変」であり、「事変」と「戦争」は根本的に異なる概念のはずである。
私は大学で「昭和精神史」を講じているが、大事な言葉はすべてその当時のままの文脈でつかうようにしている。人間というものが、言葉の宿すイデーのために命をかけて戦ったという歴史を語るためには、そうする以外に方法はないのである。生きるも言葉、死するも言葉。人間が「ホモ・ログエンス」であるという一般論をおさえつつ、なおそのうえで、日本人がいかに高邁に生きかつ死したかを語るためには、その時代の言語空間というものを可能な限り復元しなければならないのである。
逆にいえば、その高邁な精神をおとしめるためには、大事な言葉を奪ってしまうか、別の言葉に置き換えてしまえばいいのである。GHQの禁止語と言いかえ操作がまさにそれだった。遅きに失したとはいえ、「正名運動」を徹底する以外に、歪められた歴史を正すことは不可能なのである。
(いじり かずお)
昭和13年、山梨県生まれ。立教大学文学部卒業。日本経済新聞社入社、文化部に勤務し、読書面コラム「とじ糸」の名コラムニストとして活躍。編集委員を経て平成9年に退社し、同年より現職。日本文化チャンネル桜にもレギュラー出演。著書に『劇的なる精神
福田恒存』『自画像としての都市』『日本あやうし』など。 |