平成19年3月号(通巻61号)より
視点 教育基本法改正と歴史の潮流
 
石井昌浩 理事・拓殖大学客員教授

 改正教育基本法が施行された平成十八年十二月二十二日は、戦後教育が自立再生へ向けて出発した日として後世に記憶されることだろう。敗戦から数えて六十年、日本独自の文明と文化に根ざした教育の基盤を確立した記念すべき日である。
 旧教育基本法は、昭和二十二年三月三十一日、国会審議を経て成立した日本の法律である。しかし、戦後教育の枠組みは前もって決められていた。基本法成立一年前のことだ。昭和二十一年三月三十一日、GHQ最高司令官マッカーサー元帥あて提出された「アメリカ教育使節団報告書」こそ、日本の戦後教育のルーツである。講談社学術文庫に収録されている報告書中、実現しなかったのは唯一、国語廃止(漢字・仮名の全廃、ローマ字の採用)の提案のみである。
 この頃、世の中どこかおかしくなり、箍が緩んできている。小学生による対教師暴力の急増、小学一年生の学級崩壊、いじめ自殺事件等、教育危機は収まりそうにない。子供が子供なら大人も大人である。給食費滞納が全国で十万人に及び、滞納額が二十二億円を超すという。家計に余裕があるのに未納の親が六割以上と報じられている。
 箍の緩みは今に始まったことではない。意図的に緩められていたのである。仕掛け人は教育基本法だった。教育基本法は、教育の理念を定める法律である。そこに込められた理念は何だったのか。
旧法の主役は、ジョン・デューイ仕込みの「子供中心主義」であり、主役を支える芸達者な脇役が「マルクス主義」だった。ちなみに、三十年続く「ゆとり教育」は、子供中心主義の現代版に他ならない。
 よく、冗談めかしに「共産党員が教科書を作り、社会党員がそれを教え、自民党政府がお金を出す」と言われる。この話が冗談ではなく、限りなく事実に近いところに戦後教育の悲劇とゆがみが象徴されているのだ。共産党も社会党も往時の勢いを失ってはいるが、マルクス主義は、教育界で依然として隠然たる勢力を維持し続けている。
 旧法第十条「不当な支配」の文言は、日教組等の勢力により、まるで縁日のアメ細工のように都合よく使われてきた。国や自治体の役割は「教育委員会は、教室の窓ガラスが壊れた時に修理をお願いする役所」などと意識的に綾小化された。そして教育は現場教員の専管事項であり、教育行政が教育内容に関与すれば、たちまち「不当な支配」との攻撃にさらされたのである。
 新法第十六条の規定「この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり」により、恣意的解釈に歯止めが掛けられた。新法第二条は、徳目を列挙することにより、戦後民主主義の核心である「子供中心主義」の行き過ぎ是正を意図している。歴史の潮流が変わった。教育基本法改正は、明治初年の学制、敗戦直後の諸改革に次ぐ、近代教育史上第三の改革である。