平成19年5月号(通巻62号)より
視点 愛国心の育成・三つの誤解を解く
 
吉永 潤  理事・神戸大学助教授

  国を愛する態度の育成を掲げた新・教育基本法 が成立した。しかし、同法の成立はもちろんゴールではない。愛国心を育む授業づくりは、ようや くその緒についたと言ってよい。
 そのために、本稿では、多くの教師に依然として見られる、愛国心の育成に対する三つの誤解や警戒感を解くことを目指したい。
 第一の誤解は、愛国心の育成が、児童・生徒の 「内心の自由」を侵すというものである。しかし、公教育の目的は、やがて次世代を形成 していく児童・生徒を、次第に共同生活・公共生活へと参加させていくことにある。そのためにはその参加に必要な知識・技能・モラルの修得とともに、共同生活・公共生活への参加それ自体を価値あるものとし、肯定する態度を修得させることが、ぜひ必要である。
 「我が国と郷土を愛する」「態度」を含む教基法第二条「教育の目標」は、公教育が次世代に修得を求める基本的な諸価値のリストと見ることがで きる。そもそも公教育とは、無制約な意味での価値白由、「内心の自由」とは決して両立しない営為なのである。もし愛国心の育成が「内心の自由」を侵すゆえに忌避されるべきであるなら、教基法第二条の規定すべてが否定されるべきであり、それはすなわち、公教育の否定であろう。
 第二の誤解は、愛国心の育成が、権力や体制に盲従し操作されやすい人間をつくってしまうというものである。
 しかし、民主国家における愛国心の実践とは何か。それは、端的に言って、よりよい公共的な選択と決定をめざした議論への参加に他ならない。したがって、そのために必要な自由と批判の精神、議論への責任と誠意ある参加態度、および議論と決定のための諸技能を育成することが、民主国家の主体的な、すなわち愛国的な担い手を形成する何より重要な教育課程である。
 このことは、注入主義的な教育のみによっては、結局、民主国家の愛国的担い手を育成することは
できないことをも示している。
 第三の誤解は、愛国心の育成が、視野が狭く排他的な自国中心主義を形成するというものである。
  しかし、そのような狭隘な自国中心主義とは、実は、他国・他文化に対する劣等感に発した代償心理的な優越意識に過ぎない。だからこそ、自国の歴史と文化についての、公正な学問研究に基づいた深い良質な理解を育成する教科書づくりと授業づくりが必要なのである。
日本の歴史と文化の考察は、必ずや、それらが他国との関係の中で営まれ育まれたものであることの理解へと導かれる。このような自国への理解の深まりは、自国への愛情とともに、他国・他文化への理解と敬意を育むのである。