安倍晋三首相が最重要課題の一つとして力を入れている教育再生の問題について、連日、新聞にテレビに関連の報道がなされている。その中で毎度のことではあるが、政府の方針や方策に対して疑問を投げかける世論の形をとった誘導的な報道が目につく今日この頃である。
読売新聞「思潮」欄(五月三十日付)は「教師、先生と呼ばれる人々の権威失墜が叫ばれる近年、一般的なバッシングの論理に通底している視点がある。かつて聖職者は社会から尊敬され、それゆえノーブレス・オブリージュ(高貴なる者の責務)に身をささげていた。仮にいま彼らが自らの責務を忘れているとしても、それは社会の側の敬意が失われたことと裏腹ではないのか、というのである」と書いて先生を擁護しているが、なぜ社会の側の敬意が失われるに至ったかについてはまったく触れられていない。
日教組がその方針として、教師は労働者であるとの立場をとってきた結果、生徒は先生を尊敬せず、友達扱いをすることとなり、尊敬の心が失われると共に学級崩壊が始まり、教師への暴行やいじめの現象が激しくなってきたのではないのか。
私は三十数年前に次のようなことを経験したことで、今日の世相を予感したことであった。それはある会合に出席した時、講師として来た小学校の教頭が日教組の強力なメンバーであるということを聞いていたので、子供の躾について家庭でするのは勿論であるが、学校でも先生方が協力してくださったらより成果があがるのではないか、と言うと、その教頭は「学校では一切致しません。全部家庭でしてもらうのです」という答えが返ってきた。
私はこの言葉を聞いて〃これはえらいことだ、学校の教育に育はないのだな"と思い、将来の日本の教育は大変なことになると予感した。
そして、日教組の主張する下に合わせる教育方針が現実となって学力の低下となり、「ゆとり教育」という口あたりのよい言葉につられて、来るところまで来て、やっと教育再生の機運が膨沸として湧き起こったことはよろこばしい限りだ。
しかし、産経新聞(六月二日付)に「子育て提言めぐり混乱」との見出しの下、教育再生会議は当初、親が子育てを学ぶ「親学」の観点から、子育てに関する緊急アピールを打ち出す方針だったが、検討段階で「子守歌や母乳による育児の推奨」といった原案の内容が一部マスコミに報じられ「国が家庭内のことにまで介入するのか」と批判されるとこの方針を撤回した。だが、フジテレビの番組「報道2001」の世論調査(五月十日実施)では「政府の子育て提言の方針を支持する」との回答は五八・八%に上っていた、とある。
偏向報道にはくれぐれもご注意を、である。