沖縄学の父といわれる伊波普猷(いはふゆう)の学識について異を唱える人はいないだろう。ただ、彼の、「家畜のように支配者によって搾取されてきた琉球人にとって廃藩置県は奴隷解放のようなものであった」との見解には、強い反感を持つ向きが少なくない。
琉球の歴史に誇りを持ち、明、清との関係を重視し、日本との関わり合いに反発する沖縄の人は少なくない。これらの人々にとって伊波のこの部分についての意見は許し難いのだろう。復帰前の沖縄で私が親しくしていた評論家、画家の山里永吉は自著の『沖縄歴史物語』の中で、一三七二年以降続けてきた中国への進貢、同九六年以降の冊封を廃藩置県を機にやめろと命じてきた日本は無礼千万だったと憤り、その明治政府の方針を認める伊波は何を考えているのかとけなしている。
自分たちの祖国を中国と思っていた人々にとつて廃藩置県は許しがたい暴挙であり、「日琉同祖」を学問的に証明した伊波に代表される「親日派」とは正面から衝突する。この争いはいまでも残っていると考えられるが、日本の一県となったあとの歴史は「親日派」をもときには「反日派」にしてしまう。
明治以降の沖縄にとって最大の悩みは経済格差だったのではないか。明治以前に豊かであった島が急に貧しくなったのならヤマトンチュー(大和人)による富の収奪と形容しても仕方がない。
が、以前の生活水準がどのようなものであったかにはいっさい言及せずに、「われわれは『蘇鉄地獄』と称されるようなひどい目に遭った」と「日本批判」を口にする。実際に県知事をはじめ、国の出先機関にはぞろぞろヤマトンチューが主要なポストを占めてしまった。
剣道範士で戦後の沖縄経済復興につくした松川久仁男氏から直接聴いた話がある。剣道の強い国士舘専門学校(いまの国士舘大学)に入学して練習に励んだが、最初に経験した部の納会で部員の自己紹介が始まったとき、沖縄出身の先輩が出身地を言わなかったという。他の部員に促されて、ようやく「南の方です」と述べ、さらに督促されてついに、「沖縄です」と語ったそうだ。松川氏は「差別」という表現は使わなかったが、そのような時代もあったのだと思う。
先の大戦の被害も「ヤマトンチューの始めた戦いの犠牲になった」と恨む。沖縄がことを荒立てるたびに本土政府はあらゆる角度から落しどころを探ろうとする。この繰り返しを心ある沖縄の知識人は苦々しく思っている。にもかかわらず沖縄の雰囲気は本音の表現を許さない。日本が「普通の国」を志向するように沖縄も「普通の県」になってほしい。伊波が生きていればそう言うに違いない、と私は信じている。