第4回つくる会シンポジウム
新しい歴史教科書の展望
〜私たちの仕事はどこまできたか〜
開催日: 平成9年6月7日
司会兼パネリスト: 西尾幹二
パネリスト: 伊藤隆・濤川栄太
小林よしのり・佐藤光
藤岡信勝
総合司会: 大月隆寛
日本は独立した一文明
西尾幹二
 私のような 一外国文学者が通史を書くというのは、ドン・キホーテ的な暴挙ともいえようが、しかし、歴史家でないからこそあえて大胆にできる仕事だともいえる。新しい歴史教科書の「パイロット版」となる通史『国民の歴史』の目次がまとまったので、ごらんいただきたい。第一章には『神話と科学』を据える。神話も科学(考古学)も歴史ではないが、歴史にとって不可欠である。ことに文献の少ない古代を知るには、神話は古代人の心を、考古学は物的証拠を与えてくれる手がかりである。だが、神話と科学は認識の仕方を異にする。神話を知るということは、古代人の心になって考えてみるということである。科学は対象認識だが、神話は人がいかにして神とひとつになるかを要求している。ところが、現代人は神の世界を、現代の知性をもって、さかしらに解釈しようとしている。人類学者のレヴィ・ストロースは「神話と歴史の間には断絶が存在するが、歴史を神話の延長として研究することで、それは次第に打ち破られていくだろう」と言った。そういう観点から、日本の神話の美しさを、世界との比較のうえで語っていく。

 また、パイロット版では日本を東洋の一国と位置付ける従来の歴史観から脱却し、ユーラシア文明から独立し、対時する一文明であるとする。日本は、中国からもっぱら文字を通して文明を学びながら、しかも日本語を維持した。訓読みの成功による。こんな国はほかにはない。古代中国は一〇世紀に崩壊し、大陸は破局を重ねるが、日本は独立を続け、営々と上昇を続けている文明であるということを強調したい。日本は受身の小文明だが、西欧中心史観にも中国中心史観にも当てはまらない。
日本の美点掘り起こせ
濤川栄太
 国にも歴史にも百年、千年の単位でみる「長期持続」というスタンスが重要だ。日本が二千年培ってきたものが崩壊していることに危機を感じている。

 日本は中国の文化を100%受容するのではなく、取捨選択できる独立性をもっていた。宦官制や科挙、皇帝の絶対権力などは取り入れず、「天皇」と呼称したことで「文化は吸収するが、政治的には独立している国だ」とはっきり示した。

 明治以後、絶対君主制を取り、戦争をしたことが批判を浴びるが、三百年近く全く戦争がなかった江戸時代は何だったのか。第二次世界大戦は、人種戦争であり、石油戦争だった。ABCD包囲網など、日本を戦争にひきずり出した要素も考えなければならない。

 昭和二十年八月十五日−私はこれを戦闘状態が停止した日と考えている。本当に戦争が終わったのは、昭和二十七年四月二十八日、サンフランシスコ講和条約で日本が独立し、国家主権が回復した日。その間、アメリカは目本の精神・文化遺産を否定・破壊した。

 この国の歴史観が壊された結果、外国から侵略された時にこの国を守るという青年はほとんどいなくなった。自分は社会や国家に関係ない、というエゴイズムの国になった。

 反省も必要だが、日本の美点や良き文化、利点を掘り起こすことで、創造的でかっ達な青少年をつくらなければならない。
憲法の出自銘記すべき
伊藤隆
 東大入試の記述式部分の採点をしていて、解答者にマルクス主義者が多いと感じていた。高校や予備校の先生がそういう風に教えているからで、学生が左翼というわけではないが、常識という形で浸透していることに危機を感じる。

 教科書には、大日本帝国憲法が成立したことの意義が書かれていない。憲法をもつことは日本の独立を内外に表明することで、欧米的近代国家であることの表明だ。日本が当時としては標準的な憲法をもったのに、教科書では上から与えられた欽定憲法と、おとしめられている。自由民権運動家が大変喜んだことも、説明されていない。

 大日本帝国憲法のもとにきちんとした法体系ができあがり、すべてが憲法中心に運営された。これは世界史の中でも大事なこと。

 一九四五年に敗戦し、アメリカ占領軍が起草した日本国憲法が制定される。国民がつくったという建前になってるが、アメリカ製の憲法であることは今日明らかで欽定憲法と変わらない。

 もうひとつ大事なのは、サンフランシスコ講和条約が発効した昭和二十七年の独立以前には、憲法の上に憲法に拘束されぬ占領軍の権力があり、講和独立後の安全保障のため、日米安保条約が締結され、憲法とセットとして機能しているのが現実である。
自由を愛する大切さ
佐藤光
 公民の教科書づくりに参加させてもらっているが、歴史教科書のおかしさは周知されていても公民のおかしさは知られていない。中学の公民の教科書は歴史以上にひどい内容で読むと非常に疲れる。「個人の尊重」や「あらゆる差別をなくそう」「地球市民として平和な世の中をつくろう」ととにかく人権の一点ばり。

 差別をやめよう、一人ひとりを大事にというすばらしい内容だが、ふとわれに返ると隣の友人とも簡単にはうまくいかないという現実がある。学歴差別もある。日常生活で子供たちが直面している現実に対する配慮がない。もっと日常にかえった内容の方がいい。

 中学校の指導書の方を読んでみると、これが意外にまとも。自由、権利と責任、義務という関係を広い視野から認識させるというバランス感覚があり、自国を愛する心の大切さについても書かれている。

 とにかく、愛国心が出てこず、義務についてほとんど書かれていない教科書は、バランスを欠いているとして不合格にすべき。

 憲法の理念、デモクラシーはどこから来たか、ということもきちんと教えなければならない。公民には明治憲法があったことは書かれているが、言論弾圧とつなげるばかり。デモクラシーを人類普遍の理念としながら、日本に昔からあったデモクラシーの根を書かず、観念的な人権論だけが書かれている。
「南京事件」は現代国際政治の問題
藤岡信勝
 中国系米国人、アイリス・チャンの「レイプ・オブ・南京」がアメリカでベストセラーになっている。「南京事件」での日本軍の蛮行を描いた著作だが、内容は今までに書かれたありとあらゆるデマの集大成といっていい。

 たとえば、文中に挿入されている「揚子江岸にうち捨てられた南京市民」という写真は、市民でなく兵士であったということが、当時の作戦に参加した元日本軍兵士の証言などから明らかになっている。「引き立てられる中国人女性たち。彼女らの多くは従軍慰安婦にされた」と説明されている写真は、当時の日本の雑誌に掲載されたもので、日本軍が「宣撫工作」の一環として中国農村で農作業帰りの女性たちを警備する光景を撮影したものだ。「南京を焼き尽くした日本軍の戦車」という写真に写っている戦車は、南京陥落以後に生産が開始された型式で、虚偽であることは明らか。

 「南京事件」は本来、歴史教育のテーマではなく、現代国際政治の問題。歴史とすれば、全体の中で特別取り上げるほどのできごとではない。なぜ取り上げられるのかといえば、世界遺産に広島の原爆ドームが登録されたことに対する反応ではないか。登録に対し、アメリカは反対した。結局登録はされたが、それに対する「埋め合わせ」的な反応が深層に存在し、「レイプ・オブ・南京」がアメリカでベストセラーになるような社会現象が生まれてきているのではないか。
個人主義の意味考えよ
小林よしのり
今度書き下ろした『戦争論』で「個と公」、つまり個人と公共性の間の緊張関係をどうとらえるかをテーマにすえた。

 戦後に教育をうけた人は、だいたい個人主義。左翼は衰退しているが、七割ぐらいはリベラルな立場にいるんじゃないか。

 「戦争を起こしたのは国家で、国家はおそろしい。だから、できるだけ国家から離れて個人で生きなければならない」。これがマスコミの論調だし、教科書もそういうニュアンス。でも、男たちが戦争で死んでいったのは、故郷に残してきた女、子供のためで、国のためじゃなかった。

 日本で、個人の中に倫理というものが宿るのか、わしは疑問をもっている。西洋では個人の中に神や国家、歴史があって、価値判断をする基盤になっているが、日本人にはそれがない。共同体の中の道徳もゆらぎ、地域も崩壊している。

 日本人の「個人主義」と世界の「個人主義」とは全然違う。だから、「個人主義」って日本で言う場合、「自分が一番大切」ってことにしかならない。

 日本人の場合、「公共性」の最大の範囲は国なんじゃないか。国のことを考えなきゃ、公共性についても考えられないんじゃないか。「個人の自由」っていうけど、個人にとって一番幸福な自由を望めば、公共性、つまり「国のために」ということを考えていくしかない。
 

『史』平成10年7月通巻第8号より

このシンポジウムの模様は『新しい歴史教科書を「つくる会」という運動がある』に収録されています