田中英道/著
新しい歴史教科書をつくる会/編
定価:1800円(税込み)
平成14年10月28日発売・扶桑社
 
【対談】田中英道氏・芳賀徹氏  『国民の芸術』を語る (平成14年12月19日・産経新聞掲載)
 〜重層文化が奏でる美 作品を通じて歴史探訪〜
 十月に扶果社から『国民の芸術』が発売された。「新しい歴史教科書をつくる会」会長、日本を代表する東北大学大学院教授で美術史家・文明史家の田中英道氏が風土論、宗教論、国家論などを包含した形で著した芸術論である。しかも、縄文の昔から現代まで日本人の心の中に、脈々と息づく芸術の国、日本の精神・思想を振り返ることを提唱。日本に残された素晴らしい美術、音楽、文学などさまざまな芸術の傑作を紹介しながら、独自の視点で真の日本の在り方を提示する。同書は発売以来、好評を博してきたが、著者の田中英道氏と比較文化史の第一人者で京都造形芸術大学長の芳賀徹氏に『国民の芸術』出版の意義などについて対淡していただいた。
芳賀徹 (はが・とおる) 京都造形芸術大学長
昭和6年、山形市生まれ。28年東京大学教養学部卒、35年東大大学院人文科学研究科修了。30ー32年フランス政府給費留学生としてパリ大学留学。38年東大教養学部講師、40年助教授、50年教授。40ー42年米プリンストン大客員研究員。平成3年国際日本文化研究センター教授。11年に京都造形芸術大学長に就任。昭和56年にサントリー学芸賞、59年に大仏次郎賞、平成9年には紫綬褒章を受章。専門分野は18ー19世紀の日本の比較文化史。主な著書は『大君の使節』『明治維新と日本人』『平賀源内』『絵画の領分』『詩歌の森へ』など。

田中英道 (たなか・ひでみち) 東北大学大学院教授
昭和17年、東京生まれ。39年に東京大学文学部仏文・美術史学科卒、44年、フランス・ストラスブール大大学院を修了。45年、国立西洋美術館学芸員、48年、東北大学大学院教授。ヨーロッパ美術史研究の第一人者として活躍しており、60年ー平成2年にはバチカンのシスティナ礼拝堂の調査やレオナルド・ダビンチの「スフォルツァ騎馬像」修復などで中心的な役割を果たす。主著は『ル・ネサンス像の転換』『レオナルド・ダ・ヴィンチの芸術と生涯』『若き日のミケランジェロ』『光は東方よりー西洋美術に与えた中国・日本の影響』など。昭和55年にイタリア政府文化勲章を受章。
司会 国民の芸術』をお書きになろうと思われた動機からお聞かせください
田中 「新しい歴史教科書をつくる会」の運動の中で生まれてきたといってもいいと思います。歴史というのは書かれるもの、作られるものであって、ただ存在するものではないのです。歴史の中で何を祖先たちが作ってきたかを基本にして、特に視覚的なものでこれだけ優れたものがあるので、それを中心に紹介していこうというわけです
司会 なるほど
田中 これまでは日本がなんとなく西欧の補完的なものというか、西洋が普遍的で人間的なもの、日本の方が受け身的な、あるいは特殊なものとして考えられてきたのですが、日本もまた優れた普遍的なものや人間的なものを持っていたということを書いてみたかったというのが動機ですね
司会 芳賀さんは一読されていかがでしたか
芳賀 視覚的な芸術作品を通して、一貫して日本の歴史を探ってみようというのは非常にいい試みだと思いますね。いままで、こういう試みをした人はなかったのではないですか
司会 日本の芸術は文字が入る以前の縄文の昔からあるわけですね
田中 日本の芸術はすごいものを持っています。書かれたものがなかったから評価がなかったというわけではないのです。つまりロ承で伝えられてきたことなんです。縄文時代から現代までの批評史は、意外にロでは語ってきたが書いていない部分が多いと思うんですよ。書くということはやはり中国、西欧から来て、大事だということを日本は学んだのですが、いまだに不得手なんですね。直感的なものの書い方をするというのは日本人がいまだに変わらない特質のような気がしますね
芳賀 人間の思想や感情はすべて文字に表現できるものではなくて、文字にはどうしても表せない五感に即した世界像というのがある。それを表すのが造形美術で、庭園であったり、彫刻や絵画であったりする。日本の場合は殊に文字が後から入ってきたということもあって造形表現による思想、感情の表現というものが豊かなものになった。それをくみ取らない限り、日本の文化史は見えてこないのです
田中 私はイタリアに長くいたことも役に立っていますね。イタリアにはたくさんのモニュメントがありますよね。あれと同じことを日本がやっているんです。日本の偉大さというのは、十万基以上もある前方後円墳とか三百以上の近世の城郭建築とか、巨大な造大な造形的な記念創造物を作っていくという感覚はずっと続いているんだと思いますね
司会 なぜ日本はそんなに大きなものをつくったのでしょう
田中 それが日本人の心の大きさというのでしょうか。宇宙観というのを大きさで表現する、つまり理論や言葉で表現するよりも、そういう一つの形で表現する術というものを日本人が一貫して持っている
芳賀 そう考えただけでも芸術というのは、いかに人間の精神の営みの深いところに根ざしているかということが分かります。芸術表現には宗教的な感情が一緒になっていることが多い
田中 日本の神道のようにある種の画一的な宗教観ではなくてあらゆるものを信仰の対象にしたり、例えぱ小さなものでさえも神になってしまうようなところがありますね
芳賀 石ころ一つでも、木一本でもね、石や木に寄せる人間の親しみとか畏敬の念とか、お前はどうしてこんな格好をしているんだというようないぶかりの念もある。そのようなものを言葉で表そうとしたって、表しきれない。やっぱり石や木を飾るか、石を運んで石の庭をつくってしまうとかというような表現の仕方しかないですよね
司会 感性が鋭くなったというのは、やはり文字がなかったということですか
田中 俳句がなぜ短いかというと、あれは覚えられるからですよね。口承が基本だから短いんです。さらに口で語ってないことが形で表現されている。そういうことがね、見て取れないと日本文化は分からないということなんですよね。今までほとんど中国のまねとか、中国に元があるのを変えただけとか、そういう考え方で来たわけですけれど、日本のモニュメントやこういう形を見るとまったく違うものだということが分かるんですね。例えば前方後円墳なんかは中国には一切ないです。それを十万基もつくってしまうという日本の美意職はまったく違うと思いますね。それから秦の始皇帝のお墓から兵馬俑がたくさん出てきましたが、日本の古墳からは埴輪が出てきます。いったい埴輪というのは素朴でつまらないように見えるけれどもそうではない。あそこに別の美意識があって、病者、弱者、子供たちに対する非常に優しい感情があると思いますね。要するにデフォルメされているわけですね。その単純化は現代美術と似ているところがあります
司会 明治維新までの日本の美術に対する考え方というのは中国との対比というような気がします。明治
維新以降はむしろ西洋との対比のように思いますが
芳賀 古代、中世以来、日本人は中国と対比して日本はどう違うか、日本の面白さはどこにあるかということを考えてきた。あの当時は常に昔から比較文化的にものを考えていたわけです。中国は「中華」の国で独善的に考えている。一方、日本人は常に大陸文明とどうかかわっていくか、どう違うかということを考えながら日本の文化を考えてきた。明治以降はそれに加えて西洋文明と対決しながら日本の文化のアイデンティティーを探そうとしてきた。日本列島の住民は初めから国際的な視野を持って、日本の歴史を考えてきたはずです。
田中 ところが、日本人の発言というのは謙虚過ぎるんですよ。自己を言語化するときにいつも謙虚さが先立っているんですね
芳賀 よく言えぱ謙虚、悪く言えぱコンプレックスですね(笑い)
司会 日本の芸術の皆景について語っていただけないでしょうか
田中 日本人は口承の世界だと思うんですよ。レヴィーストロースも言っているんですが、文字を必要とするのは契約の社会、命令の社会です。われわれ日本人というのは共同体で非常に平等な社会で、口で約束する信頼関係の社会ですね。ですから書くということよりも、口で思想的に語ってきたし、その多くは形で表現してきた。たとえば前方後円墳の時代にまったく文字の情報は書かれていないんですが、なぜ同じ形のものが数多くできたのか。なぜ共同作業でできたのかは、口で伝えることができたからでしょうね。口で約東して口でお互いにそれぞれの仕事を分担し合った。ですから、いまだに日本はあまり契約をしない、 そういう信頼社会が日本人にはあったということなのです
芳賀 もう一つ、日本列島は大陸からわたってきた文化の吹きだまりといわれるように文化が蓄積されているわけですね。古いものに新しいものを重ねていっても前のものが壊されたりするわけではなく、積み重なっていくわけです。それがずっと今日まで続いてきている。能のような洗練を極めた衣装と舞いをやっていながら謡には古今の歌、中国の古典も引いている。神話や伝説もたくさん盛られている。しかもその背後では縄文の音かと思うアニミスティックな鼓と笛の野性の音が響く。あれはまさに日本文化の重層性を舞台の上に載せたものですね
田中 いまだにそうですよね。近代になったからといって、全部が近代化しているのではなく、前近代的なものが脈々として残っている。やはり天皇もそうですしね 芳賀 天皇というのは文化の連続性そのものですからね
田中 その連続性というものの中に日本人の思想があると思うんですよ。近代化だから教会を壊し、王政を壊すという西欧がやったようなことはしないですね。いいものを残していくという精神がありますね
芳賀 王政復古というのはうまいことを書いましたね。しかも維新なんです
司会 変なもんですね。あんな矛盾した話はないですよね
芳賀 でもまさに復古の革命だったわけです
司会 なんとなくそれでみんな納得しているわけですね
芳賀 ですからそれが正しかったわけです。復古があったから、あの西洋文明に対抗し得たわけで、日本人のアイデンティティーをあそこで失うことはなかった。しかも維新だからありとあらゆる西洋のものをいっぺんに取り入れた。復古にして維新というのは、見事な離れ業です。日本人がこれから世界に発信すべき知恵の体系の一つは、実は明治維新の歴史そのものでしょう。しかも血を流すことはほとんどなく近代化した。血が流れたのは、せいぜい戊辰戦争ぐらい。中国の文化大革命やフランス革命、ロシア革命とはまったく違う。あれは革命であり、復古なんですね
田中 この前、リトアニア人の学者と一緒に関西を歩いたんですが、東大寺や法隆寺の素晴らしい仏像がある。一方、伊勢神宮のように偶像は何もないが、森だけがある。そうしたら伊勢神宮で本当に感動し、同時に仏像の美しさに非常に見入っていました。やっぱりそういう多様性を日本人の中に、一国家の中にみんな持っている
芳賀 この狭い列島の中で積み重ねてちゃんと何十世代もの文化を持っている
田中 形で残していること自体が思想なんです。それは人間の多様性です
芳賀 フランスのポール・クローデルは大正十年に日本にやってきて昭和二年まで五年余り、駐日大使をやったんですが、彼は二十世紀フランス最大の詩人です。この人が日本人の精神生活をうまく表現しています。アニミズムの世界であり、森の中に入っていくと風が吹いて木立が鳴る、奥の方で水が鳴る。ある神聖なるものがそこに在ることを感じる。日本人はそれを感じとったとき自我を小さくして、自分を超えるものに崇敬の念をささげる。また例えば枝の伸びた松の老木に添え木がしてある。それに驚くわけです。木を人みたいに扱っているとね
田中 フランスの最高の知識人たちが日本の美を見てやはりこれはすごいという。アンドレ・マルローやレヴィーストロロースも、日本に初めて来て文明の高さがあるということを感じているんです
司会 いまの日本における芸術の役割をどう考えればいいでしょう
芳賀 芸術こそ日本人の魂を救い、開放し、誇りを与えてくれる。そのためにも芸術を通して日本人のより深い精神・思想の営みを探求する研究をこれからもっと進めていくこと、そしてそれに基づいて若い人たちに芸術の日本についての教育を徹底してやっていく。それがこれから必要なことだと思います
田中 戦後五十七年がたったわけですが、いままで経済で走りすぎてきたわけですよ。物質的な復興というものが基本的な日本人の態度だったのですが、これからは芸術で意識を取り戻すことが大事ですよ
司会 それを学ぶにはどうしたらいいんですか
芳賀 日本と世界を歩きまわり、見てまわることですよ。そして、ものをよく見る目を養うことですね
田中 そういう議論をもっと大事にすること。お互いに大事にしようとすることですね。戦後アメリカニズムの中でそれを軽蔑してきた面があるのですね。アメリカは新しい国ですからそういう影響が強すぎた。やはり長い歴史がわれわれの血の中にある。自分の中で忘れている部分を改めて持つことなんですよ。決して何でも学ぶ必要はないんです。自己のあり方をもう一回思い出すことであると思うんです
芳貿 芸術を通した日本史をもう一回教えなきゃ
田中 やはり過去を発見し創造するといった感じですよ。伝統と文化を見直すことが日本人のアイデンティティーにつながるんですね。回帰が必要なんですよ。前に前に進んでいましたが、今はそういうことを回帰する時期なんですね
芳賀 回帰、要するに復古。復古にして維新なんですよ
司会 どうもありがとうございました