西尾幹二/著
新しい歴史教科書をつくる会/編
定価:2000円(税込み)
平成11年10月28日発売・扶桑社
歴史は、こんなに面白くてわかりやすいのか。
多くの日本人が抱く疑問に著者が率直かつ果敢にぶつかっているからだ。
日本人は日本の歴史にもっと関心を持つべきだ。そう考えて、西尾幹二氏が、持てる力の限りを尽くして描き出したのが『国民の歴史』です。
 戦後を支配した自虐史観の闇や道徳主義的歴史把握に、著者は敢然と立ち向かいます。常に世界史との関わりの中で日本を位置づけながら、日本文明の独自性を誇り高く叙述する氏の怜悧な分析力と行間からほとばしる情熱に、読者は圧倒されることでしょう。旧来の歴史書をあらゆる意味で凌駕する真の“日本史”がここに誕生したのです。すべての日本国民に“日本人の誇りとは何か”を問いかける奇蹟の一冊。
目次
1 一文明圏としての日本列島 18 鎖国は本当にあったのか
2 時代区分について 19 優越していた東アジアとアヘン戦争
3 世界最古の縄文土器文明 20 トルデシリャス条約、万国公法、国際連盟、ニュルンベルク裁判
4 稲作文化を担ったのは弥生人ではない 21 西洋の革命より革命的であった明治維新
5 日本語確立への苦闘 22 教育立国の背景
6 神話と歴史 23 朝鮮はなぜ眠りつづけたのか
7 魏志倭人伝は歴史資料に値しない 24 アメリカが先に日本を仮想敵国にした(1)
8 王権の根拠−日本の天皇と中国の皇帝 25 アメリカが先に日本を仮想敵国にした(2)
9 漢の時代におこっていた明治維新 26 日本の戦争の孤独さ
10 奈良の都は長安に似ていなかった 27 終戦の日
11 平安京の落日と中世ヨーロッパ 28 日本が敗れたのは「戦争の戦争」である
12 中国から離れるタイミングのよさ−遣唐使廃止 29 大正教養主義と戦後進歩主義
13 縄文火焔土器、運慶、葛飾北斎 30 冷戦の推移におどらされた自民党政治
14 「世界史」はモンゴル帝国から始まった 31 現代日本における学問の危機
15 西欧の野望・地球分割計画 32 私はいま日韓問題をどう考えているか
16 秀吉はなぜ朝鮮に出兵したのか 33 ホロコーストと戦争犯罪
17 GODを「神」と訳した間違い 34 人は自由に耐えられるか
【インタビュー】
『国民の歴史』の誕生
〜西尾幹二氏に聞く
−−待望の大著刊国民の歴史」がついに刊行されました。書店の売れ行きも大変好調です。執筆を終えられたところで、西尾会長から会員の皆さまにメッセージをお願いしたいと思います。
西尾 このたび『国民の歴史』は会員の皆さまの絶大な支持で、大きな反響を呼ぶことができて大変有り難く思っております。最近、講演などで地方の会員の皆さまに接する機会が次第に多くなるにつれてわかってきたことがあります。それは、全国でこの会を支持して下さる方々は、戦後の早くからの教科書問題に協賛して下さった方々であるということです。家永教科書裁判以来、林健太郎先生や福田恆存先生などが陣頭に立って発言されていた時代の空気をよく覚えていて、それを支持して下さった方々がこの「新しい歴史教科書をつくる会」にずっとつながっている。そういうことをしみじみ感じます。この会は私も含め、現理事の特定の人の素志や意志で展開しているものではなく、物故された人たちも含むそういう人々の長年の期待と祈りが込められ、その声に支えられて今日に至っているのだということを痛切に感じていることを、皆さまにご報告しておきたい。
 会が始まった当初、元大阪国際大学副学長の市村真一先生がすぐにご自身の教科書闘争の記録であるお手製の教科書『日本史』をお送り下さって「後事を託す」という一文を下さいました。それが一例であるように、賛同者の知識人の方々は皆、ご高齢で、過去の支持者の衣鉢を継いでいる精神運動との評価で支えて下さってきていると思いますので、私だけでなく他の本会の理事たちはこれを私物のように考えたり、みだりに自尊の気持ちで動いたりするようなことは厳に慎まねばならない、そのように考えております。
−−それは私たちもまた肝に銘じておかねばならないことだと思います。
―ここで1つの区切りがつきましたが、これからの会の活動についてお聞かせ下さい。
西尾 現在は、『国民の歴史』が刊行され、次の重大な課題である歴史教科書本体の刊行をめざして、関係理事が総出で努力しているさなかであります。それも明年1、2月にはすべて完了するであろうと思われます。そして、採択のための戦いがそのあと追いかけてきて、来年の春から夏にかける頃には大勢が決するといわれております。それで、イベントの時代は終わりつつあるということも、ご了解いただきたい。私個人は、地方の政治の中枢、例えば知事や副知事、教育界の中枢、例えば教育長や県庁の義務教育課などに支部の方々の協力を得て、働きかけをしていくため、能率的に数県をまわって重点地域に対策を張り巡らすという時期が来ていると思っています。イベントの時代は終わって、私は講演やシンポジウムに行くのではなくて、もっと効果的な広報活動をするために行く。その時期が正月から以降、怒濤のごとく来ると考えておりますので、皆さまの各地域においても、ピント外れのない、時間を勘案した戦いが始まっていることを理解していただきたい。私のみならず、他の理事に対する期待も、1年前と様変わりしているということをよく理解していただきたいと思います。
―次の段階にさしかかり、それにふさわしい対応をしていかなければならないわけですね。
西尾 それと『国民の歴史』についてどうしても申し上げておきたいことがあります。『国民の歴史』は皆さまのお手もとにようやく届けることができましたが、当初お約束していたような、目次まで公開していた通史にはならず、不十分な帰結をみましたことをお詫びしなくてはなりません。「正論」12月号で私が証言したように、時間と分量の制限が厳しくて思うにまかせない状況の中で現にあるスタイルのものに終わらざるを得ませんでした。なぜそうした無理をしてまでこの本を出さねばならないのかということについては、通例は教科書の内容では分量や内容の制約があって自分たちの歴史観を十分に展開できないので、他のフリーな形式をとって思想を告知するのだという第一の理由があげられていました。これは一部はそうでありますがそれが全てではありません。それから採択に勝つためには「つくる会」の運動に国民的な協賛や関心が高まることがよいので、ベストセラーにしてムード作戦により、採択を有利に運ぼうというのがもっぱらこの本を書く目的だといったことを各講演で他の理事からお聞きになった方も多いのではないかと忠います。が、それも事実に相違します。
 そのことを著者として会員の皆様にはっきり申し上げておく義務を感じております。残念ながらそのような2つの理由だけで、ひとりのもの書きが人生の最後の歳月に生命を削るような仕事をするはずがありません。
 実は、『国民の歴史』を書かざるを得なかったのは、検定教科書「歴史」並びに「公民」を出すに当たって、出版社は場合によっては大幅な赤字を抱える可能性も否定できず、ある程度まとまった資金を会として保証する必要があった。この本を多数売ることによって得た収益を踏まえて、教科書の編集や販売がなされる。私たちの会は最初からそういう条件に制約されておりました。
 そして、そのことを私は会や版元を非難して申し上げているのではないのです。そういう経済条件が課せられているのはこの時代にして当然のことで、避けることのできないバリアとして私が責任をとったということであります。
 おかげさまで、この本がベストセラーリストに載ったので、私は教科書の版元に対して、最低の義務は果たしたということを会員の皆さまに、誇らしげに告知させていただきます。
―いまのお話を伺って私は、先生がお書きになった福田恆存の追悼文「私に踏み絵をさせる気か」を思い出しました。林房雄が『大東亜戦争肯定論』を書いたときに中央公論の編集長が、福田さんは林さんとは違うという評論をお書きになったら如何かと。そうしたところ福田さんは烈火のごとく怒った。「私に踏み絵をさせる気か。私と林房雄が違うか否かは読者が決めることだ」
 そして福田氏の真意は編集者は思想の商人になってはならないということだ、とお書きになっています。ちょっと文脈からはずれるかもしれませんが、先生が今回書かざるを得なかったというのは過酷な「踏み絵」だったのでしょうか。
西尾 福田先生のおっしゃった「踏み絵」は意味が違います。簡単にいうと、林房雄の『大東亜戦争肯定論』と福田氏の常々の見解が一般の読者に似たものに見えるので、福田先生、あなたは損ですよ、だから白分は違う意見だと言明する文章を書いたら如何ですか、と粕谷一希さんが言った。それに対して福田先生は誰かの思想と違うかどうか決めるのは読者だ、それをどう理解するかは後世であると。だから、分かる者には分かる。分からない者に自己弁解的に自分が誰かと違うと言って、自分はもう少しリベラルだと言って自分を守る。そのような下品な行動を私にさせるのか、と言って怒った。それを「踏み絵」と言ったわけですね。
 つまりその「踏み絵」はいまのマスコミでも絶えず行われておりまして、大江健三郎がノーベル賞をとると一斉にワーッとなるし、江藤淳が亡くなると悪口を言っちゃいけないという意識が働いて一斉に賛辞になる。それはみんな「踏み絵」を踏まされてるんですよ。それが「踏み絵」なんですよ。マスコミに対してそういうことを言って、真実から距離をとって少しでも私はリベラルですよ、と言ってみんな「踏み絵」を踏んでるんです。それで通過して行く。私が『国民の歴史』を書いたと言うことは「踏み絵」を踏まなかったということですよ。つまり『国民の歴史』を書くことが、マスコミやリベラルの勢力からみると敵視されることになるわけですが、それもそれ。しかし私はまたリベラルなマスコミの中の一員でもありこれもこれ。で、私はちゃんと、両方で生き抜いてみせますから、別段「踏み絵」を恐れていない。「新しい歴史教科書をつくる会」の賛同者になるのを拒んだり、賛同者にはなるが会員にはならないなどと言い逃れをする人がずいぶんいましたが、彼らこそが「踏み絵」を踏んで、身の安全を守っているんです。
―なるほど。それに関連してもう一つお聞きしたいことがあります。本来、西尾先生はもの書きに徹して会や運動の代表などなさらない方だと、先生の著作や講演を通して思っていました。それで先生が「つくる会」の会長になったと聞いたときは少々驚きました。私も都下で採択活動をしていますが、会員の中でも、会長が西尾先生だから、運動なんか好きではないけれども「つくる会」に入ったという人が多くいます。それで西尾先生が会長に就任された経緯をお聞かせ願いたいのですが。
注:現在、西尾先生は新しい歴史教科書をつくる会の名誉会長です。
西尾 あのとき家内は離婚すると言いましたから(笑)。それは冗談でしょうが、もとより仰せの通りで、当初は非難攻撃もありました。私は家永三郎の教科書批判の運動に参加したことは一度もないのです。が、その批判活動を横目で見て、その先生方の批判の著作を読んだり書評を書いていた最後の世代に所属します。その私が見て、今日の教科書が家永三郎の教科書よりもっとひどいと思った(笑)。それは「従軍」慰安婦のことだけでは必ずしもないんですよ。
―家永三郎が見てもびっくりするでしょうね。
西尾 そうなんですよ。だから非常な危機感を持った。そして何か会をつくろうという話がもち上がったときは何とかしなくてはいけないという焦りがありました。それで、会長は知名度の高い象徴的な人をすえて、実際に我々が動けばいいと考えていました。いま思えばそれではうまくいかなかったでしょうけれど。そのときは女性を含め数名の方に打診をしてるんですよ。でも皆さんに断られたわけです。その頃、小林よしのりさんもすでに入っておられて文部大臣に面会に行ったりしているんですが、あのときも会長はまだ決まっていなかったと思います。
 結局、年長者であるということで押しつけられたというのが実態です。
 それで、最初からそういう集団行動を非難する声がマスコミ人、福田和也さんら若手評論家からあがりました。ところが、古い知識人の方々、つまり家永裁判を記憶している世代の方々のご支援をいただいたのは、ひとえに個人主義者としての西尾の活動を見守ってきて下さった方々ばかりであって、例えば、佐伯彰一先生とか遠山一行先生とか草柳大蔵先生とか作家の古山高麗雄さん、桶谷秀昭さん、例をあげますと他にも多数おられますがこういう方々は皆、私に対する期待と心をゆるす気持でご参加下さったことを知っており厚く感謝しております。
 そのおかげでこの会は、今日まで所謂集団イデオロギーに陥る危険を何度も経験しながら、それを振り払って振り払ってここまできました。とりわけ小林よしのりさんのパワーでそうした集団教に陥る危険を何度も乗り越えてきました。そのおかげで、『国民の歴史』で初めてこれが個人の著作であって、同時に会のシンボルでもあるというニ重性を証明したと信じております。1頁から最後までこれは誰が書いたのでもない、私の本であります。しかもマスコミも読書界もそう受けとめてくれているようです。
―予約運動があり、一定の成果があった訳ですが、店頭で見て買う人が多いようです。
西尾 この会はすべての活動をオープンにするし、個人よりも運動が大切だと考える発想を排除しますから。それで皆の心がひとつになっております。
 私はいつも言うのですが、この会で苦労している方々は、理事も事務局も会員の方々もこの何年間かの運動で、精神的な意味で幸せにならなければいけない。誰かが大きな損をするというようなことだけはしてはいけない。
―いいお言葉です。おっしゃる通りだと思います。
西尾 それと目的が非常に単純なんですよ。いい教科書をつくってできるだけ多くの子どもの手に渡す、そこに終点目的があるんです。それでこの本来の運動に反する枝葉の運動が膨れあがるようなことがあれば「ノー」と誰かが言い出す自浄作用が必ず働きますので、その点稀にみる非団体的な団体になっている(笑)。
―本当に不思議な団体ですね(笑)。
西尾 そこを多分信頼して頂いているんじゃないかな。それがなかったらこれだけの数の方が参加してくれるってことはないですよ。こんな不景気の時代に6,000円出して下さっていることはかなりのことです。それはこちらが皆、無私の感情でやっているからでしょう。それといまの国民的危機感です。日本がおかしくなっているという。
―そうですね。10数年前、「日本を守る国民会議」の小堀桂一郎先生、村松剛先生…。
西尾 黛(敏郎)さん。『新編日本史』ですね。
―。あの時は「朝日新聞」が非公開のはずだった白表紙本が文部省に提出された直後から”復古調”だといって相当叩きましたね。それで多くの国民には右寄りの人たちが、皇国史観の教科書を出したという風にしか受けとめられなかった。あの時代に比べると国民の意識はかなり変わってきていると思います。
西尾 あれからソ連が崩壊したにもかかわらず教科書だけ悪くなっていくのはどういうことか。
―におかしなことになっています。
西尾 この本のあとがきにも書きましたように私は、私より15才くらい年下の考占学から日本史、東洋史の新しい研究家の著作に注目しましてそれをたくさん引用紹介しつつ論を展開しているのですが、従来の枠から云えば左翼に属する出版社や学会サイドの中からそういう優れたものが出てきている。私はそういういいものにはオープンであり、私の側には柵の意識がない。旧弊の大江健三郎や加藤周一などには断固柵を設けて批評しますけれど(笑)。そうでないものに対しては私に全く柵の意識がないのです。そのことはいまおっしゃった10数年前の『新編日本史』をつくった人々の守りの姿勢とはまるきり違うと思う。そして若い層や、多様なマスコミの中に我々と一緒にやれるような勢力が出てきつつある。そういう変化が感じとられるんですよ。それはまた10数年前と違う研究者などの意識の変化だと思っています。そういう意味で私たちも全然捉われてないんですよね。私は自分の目で見ていいと思ったものだけを選んでおります。だから、『国民の歴史』も全然排他的なものではないんですよ。これを危険な本としてどうやって見ようと思っても見ることができないでしょう。
―全くできませんね。これを危険な書だなどという人は相当レベルが低い。
西尾 だからこれをやっつけようと思っている勢力がこれからどのように出てくるか、非常に興味があるところです。あげ足取りだったら相手にしませんが、ちゃんと読んで四つに構えた批判だったら歓迎しますね。
――そういう批判が出てくるのは期待したいのですが、がっぷり四つに組んでくるかどうか。
西尾 果たしてどうか。私の側は反対勢力を措定している意識がないんですけれど。
―『国民の歴史』執筆中は大変苦しい孤独な戦いだったとお察ししますが、その間、息抜きにどんなことをされましたか。
西尾 これはねえ、苦しかったのは只々時間が限定されていたということですよ。こんな無茶苦茶なことはない。その圧力に私は只々疲れてつらかった。で、どういう生活をしたかというと誰にも会わない。編集者も近づけませんでしたから。電話とファックスとバイク便だけ。長い編集期間の中で担当者と直接会ったのは3回位でしょう。
 それで私は夜になると真夏ですから、作業が終わったところで散歩するんですよ。いまはやめてますけど毎日6キロ位歩いたんですよ。
―6キロというとかなりありますね。
西尾 ええ、あります。そして帰ってくるとドボンとお風呂に入ってね。それで担当者が近くに住んでいるものですから、夜中の1時頃に散歩の途中で落ち合って直接原稿を渡したこともありました。で、私は夏は非常に快適で暑ければ暑い程うれしいんです。寒くなってこれからがつらいんですが。
 今年の長い夏はね、私に幸いした。私の校了が10月5日ですからね。今年はそれまで急に気温が下がらずほとんど真夏みたいだったでしよう(笑)。
―天も会長に味方した(笑)。ところで『国民の歴史』を書くにあたって膨大な資料や文献を収集されたと聞いていますが、だいたいどれ位ですか、冊数で。
西尾 うーん、よく憶えていないけど、500万円位。
―えっ500万円?何冊位になりますか。
西尾 それは分からない。古書を含めて、だいたい専門書は高いんですよ。トータルで500万円位。扶桑社にも買ってもらいましたが、私の買ったのも含めて。現実にはまだ1割位しか内容を消化していないな(笑)。だからまだ勉強しなければいけません。ただ消化する時間がね。
―時間との戦いですね。
西尾 だから今度の本はとにかく上っ面で終わったという風に思ってますよ。それで本の集め方はね、滅茶苦茶買いした方がいいんですよ。5冊買って4冊捨てるんです。1冊いいのがあるんですよ。けちけち買っているとその1冊にあたらないんです。あとの4冊は捨てる訳ではないんだけどもまた使えるかもしれない。で、どうやって本を選ぶかというと、本屋へ行っている時間がないので扶桑社の人に題名をコンピュータでダーッと打ち出して貰うんですよ。著者名やテーマ別で。それで適当に拾っちゃうんです。そして本を読んでいるとまた参考文献が書いてあるじゃないですか。それでまた注文してねずみ算式に増えていく。全く素人のアトランダムなんですが結構いい水脈にはつき当たってますよ。
 
―それではもう次のものを書きたくてうずうずしているんじゃないですか。
西尾 いや、それはない。また勉強し直さないと。消化すべき材料をたくさん抱えていて。私は学生時代から明治文学全集とか日本思想大系、日本古典文学全集といった基礎文献は心掛けて買ってたんで、だいたい全部あるんですよ。ところがそれをあまり見なかったんですよね。最近やっとそういうものを読める目度がついたというか、少し近づけそうになっていると。つまり、今まで外国に顔を向けていた人間は、一生日本の古典や歴史をやっていた人とは太刀打ちできないはずなんですよ。だから、せめて外国文学や外国思想をやっていた者の利点を生かしてでないと太刀打ちできないでしょ。その思いは少し今度の本の中にもあると思う。だからヤスパースで始まってハイデッガーで終わっているんですよ。
―それでは、これからまた読書の日々ですね。
西尾 ええ。研究しないと何も書けませんから。
―そうすると次に私たちが期待しているのは、『日本文明史』です。
西尾 これは約束しているんでね。ただ私の示したい視点は、もっと広く外と日本の関係を展開したいと。それからもっと日本の中を書きたい。十分に書いておりませんのでね。桶狭間の戦いも出てこないし(笑)。ただ文明史と名をうつ以上、そういう風に戦国の動乱をいちいち詳しく書いたって仕様がない。それをヨーロッパの戦争の形式なんかと比較して書けば意味がありますけど。そういう風になっていかないと駄目なんじゃないですか、これからの日本史は。
 それから一つだけ大事なことは、私も結局歴史学者に巻き込まれざるを得なかったんですが、所謂歴史学者、或いは歴史学というものは歴史に対して固定観念があってね。すぐ土地制度史みたいなところに行くんですよ。唯物論ですよ、結局は。
―公地公民が崩れて荘園ができてというような。
西尾 荘園の移り変わりとかそれがどう運営されていったかとか。これは私の勘ですが、古代史をそんなことで説明したって説明がつかない。古代史は信仰心と法意識というものをきちんと見ていかねばならないのにどういう訳か土地制度へ行ってしまう。
 これから先はこの本に書いていないのですが、日本は和歌、歌が基本にあって日本語は結局五・七・五・七・七の音である。音だということは普通の歌でもあるし和歌でもある訳です。それは国の始まりが音楽であり音であり、そしてそれが言語であったと。言語が音であり歌だった。これは『万葉集』や古代歌謡もそうなんですが、そういうことを考えてみたい。特に象徴的で印象的なのは『土佐日記』です。四国の役人が一族を連れて京都に戻る長い危険な船旅で、その暇にまかせて老いも子どもも皆和歌を書いてそれを興じている。その中でね、船頭がいよいよ食事ですよ、というような合図をする言葉、それが歌になってるっていうんですよ。ちゃんとそれを紀貫之が書いている。つまり船頭の会話までが歌だ。それはおそらくそうだったと思うんですよ。つまり日本の言語がそういう歌だった。そうしますとね、言語は国の基本であり、民族の基本である。その根底にあるのは歌である。歌から生まれた国家ですよ。
―歌から生まれた国家、ですか。これはおもしろい。
西尾 歌から生まれた神話でもいいんですけどもね。
―そうですよね。五・七・五・七・七は黄金律だと言われてますけど、まさにその通りで。
西尾 しかも他の民族の言語にはないリズムですからね。
―前衛短歌というのが流行って塚本邦雄などが定型を破ったりした。しかしあれは定型があるからこそで、俳句でも自由律、山頭火がブームになりましたが我々は山頭火の句にどうしても五・七・五を意識してしまって定型とのずれを楽しんでいる。
西尾 定型があるから破格があるんですね。それで、つまりそういうものが日本の古代国家を作り出しているんじゃないかなあと。歴史学者はみんな目に見える世界だけを信じる。でも、歴史の展開はもう唯物論とか土地問題とかでは説明できない話じゃないですか。
―そうですね。お話を伺っていて会長の次回作がますます楽しみになってきました。本日はお忙しい中どうも有り難うございました。

『史』平成11年11月号(通巻17号)より