第2回 平成16年3月11日(木) 講 師
  「大仏開眼」 田中英道
     
大仏開眼─日本文化最大のページェント
 連続講座「歴史教科書10の争点」の第2回講座(講師:田中英道 東北大学大学院教授)は、去る3月11日夕、東京・文京区の文京シビック小ホールで開催されました。田中英道会長は、「大仏開眼─日本文化最大のページェント」をテーマに、我が国は金、銀、銅などの資源に恵まれた実に豊かな国であったこと、大仏の造立・開眼により天皇と国民の一体感が生れたことなどを強調し、大仏にまつわるスライド写真を映写しながら具体的に説明しました。後半の藤岡信勝コーディネーターとの対論では、「扶桑社以外の教科書は、全体を読んでも日本がどんな文化を持っていたかほとんど認識できないだろう」と指摘しました。講演概要、対論概要は次のとおりです。

【講演概要(第1部)】
 「大仏開眼」は、扶桑社の教科書がいかに文化を重視しているかという方針の中で選ばれた題です。戦後の日本は、世界第2位の経済大国になっても軍事大国になってはいけないと近隣諸国から言われて、しどろもどろになっていますが、それはおかしいことです。日本は歴史的にもっとどっしりした国であって、それだけの文明を持っている国であるということを忘れてしまっています。私たちの教科書改善運動はそれを回復する運動でもあると思っています。

 日本の文化に自信を持てない、日本の歴史をちゃんと主張できない、どういう価値があるのかもよくわからないというのは、日本とは巨大な文明であるというところを見ないだけのことです。

 日本は実に豊かな国でありました。金・銀・銅などの資源に恵まれた国であったということを日本人はもう少し認識しなければなりません。大仏が銅で作られたということから、銅が多いということはわかるし、銅銭といってお金も銅が多い。749年に天平を天平勝宝と改元したのは、金が発見されたからです。それ以後、日本の貨幣が金で成り立ち始めました。日本に資源が豊かにあるということが認識されて、マルコポーロは日本を「金の国だ」と間違えたのです。ところが日本人は、日本は貧しくて何もないのだ、と戦後特にそう思わされてきたわけです。

 ところが実際には資源が豊かな国であり、そういう意味では恵まれていました。宇治の平等院の阿弥陀仏が金色なのを、あれは無理して作ったのだろうと思っている方も多いかもしれませんが、実は楽々と作っているのです。金箔というものが当たり前だった。薬師寺にもブロンズの像がありますし、最初に法隆寺という素晴らしいものを作っています。その前に前方後円墳のような巨大なものができています。鏡も日本で作られたものが非常に多いのです。また、豊かな資源を持っていたからこそ日本人は謙虚であり、余裕のある人々がでてきたわけです。世界で日本人ほど謙虚な民族はないということは、私の海外体験でもわかります。そのあたりも日本の文化の良さであり、強さであり、ベースである、と私は考えています。

 「大仏開眼」の時に聖武天皇は、「朕は徳の薄い身でありながら…」と、天皇自ら「自分は徳の薄い身だ」ということを言い、「三宝を敬いながら人々全てが幸せになることを願う」という詔を発しています。このように国民と一体になっている天皇のお姿があります。あの有名な大伴家持の「海ゆかば」の歌を含んだ長歌が作られたのもこの時代です。国民は天皇がお造りになるものを一緒に造っていく。造っている時に金が出てきて、なんと天皇は徳のある方だろう、そしてこの天皇と共に死んでもいいと思っている心を歌っているのです。素晴らしい時代だということがわかると思います。それがわかると、この時代を古代奴隷制、王権農奴制、いわゆる圧政の専制国家というように見るのとは全く違う見方が出てきます。

 (ここからスライド写真を映写しながら、それぞれの作品の芸術的価値、表現力の深さと作者の精神的な豊かさ、力量などに触れた。スライドは大仏殿、16世紀に出来た大仏の絵巻物、大仏殿の原型模型の写真、鎌倉時代の東大寺の建物、良弁、四天王像など)

 大仏によって、当時の日本人が、大きさ、緻密さの両面を兼ね備えた素晴らしい表現力を持っていたということがわかります。私は、みなさんが変わっていく、自信を持っていくということによって初めて日本の文化力、文明力がついていくのだろうと思っています。古代、中世、近世、近代という区分けは古い時代は遅れていた、劣っていたという固定観念をもたらす発達史観なのです。これは取るべきではないと考えています。

【対論概要(第2部)】
藤岡:扶桑社以外の教科書はどうかというと、カラーはとても綺麗ですが、つくづくお粗末だなぁと感じますが。では、どういう視点から教科書を比較し評価すればいいのか、その視点を出して頂けますか。

田中:他社の教科書は、文化史は書いてあっても、鎌倉以前は大陸の真似で権力者の文化、桃山文化は成り上がりの文化だというようなことを言い、あるいは、松尾芭蕉の俳諧は地方の豪農の文化だったかのような書き方をしています。つまり、権力者の文化と庶民の文化をあえて対照的に強調し、権力者の文化の方を、否定的にしか見ませんから、それぞれの文化にどのくらいの価値があるのかというのがほとんどわかりません。マルクス主義史観の欠点が出ています。ここ50年、文化とは何かということを歴史家の方々が議論したことがないというのが他社の教科書からわかります。だからいろいろな記述がガタガタになっていて、子供たちは全体を読んでも日本がどんな文化を持っていたかということをほとんど認識できないだろうと思います。

藤岡:私が中学生の頃、大仏開眼は「かいげん」と読むのだということを覚えて、何か知恵がついたような気になったことを明瞭に記憶しています。巨大シェアを持っている教科書のどこを開いてみても、今日のテーマの大仏開眼は出てきません。大仏開眼の代わりに、奈良時代の貴族の食事と農民の食事を出す教科書や、当時の貴族の年収を今に換算するといくらで、農民とこんなに違うというような教科書など、まさに戦後の左翼運動華やかなりし頃の発想ですね。非文化的なさもしい心情をアジテーションする教科書に成り果てていることを深刻な問題として受け止めなければいけないと思っています。
【来場者アンケートより】
◆日本の伝統芸術作品の素晴らしさを改めて教えて頂きました。我々日本人自身の認識が薄いということが、外国人の評価・注目の低さの最大原因とのこと。目を覚ます必要を感じました。(60代・男性)
◆ 国民の願いで作られた仏像のレベルの高さ、国が豊かであったこと等、現役の中学生をはじめ、多くの方々に知って欲しいと思います。文化に対する捉え方、歴史の見方が大きく変わると思います。(30代・男性)
◆今まで自分がいかに文化作品に対して無関心であったかがわかりました。その時代の社会通念を意識しながら、文化・芸術を見てみようという意欲が出てきました。 (20代・男性)