| 二つの全体主義「ファシズムと共産主義」を描かない教科書 |
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世界の常識を記す扶桑社版
去る九月九日、東京・牛込箪笥区民ホールにおいて、拓殖大学客員教授で本会副会長の遠藤浩一氏を講師として、「二つの全体主義」をテーマに第八回「歴史教科書10の争点」を開催した。
遠藤氏は多才な人である。専門は現代政治論や近現代政治史だが、演劇や音楽にも造詣が深い。最近、某紙で「第一級の日本人論」と高評された『小澤征爾―日本人と西洋音楽』を著している。
すでに本誌読者には周知のように、中学校の歴史教科書で、ドイツのファシズムとソ連の共産主義の二つの政治観念をともに「全体主義」として記述しているのは扶桑社版だけである。
他社は「ドイツやイタリアのように大衆と結びついて成立し、反民主主義、反自由主義を掲げ、権力で支配する独裁政治をファシズムと言います」(大阪書籍)とか「このように反民主主義、反自由主義を掲げる全体主義の政治をファシズムと言い」(東京書籍)と、ファシズムのみを全体主義と記述し、共産主義を取り上げていない。
過去の出来事ではない全体主義
遠藤氏は全体主義の問題点、その定義などについて詳しく解説し、現実の日本の政治状況や当時のドイツの状況、あるいは得意の音楽の分野まで話がおよび、聞く者を飽きさせることなく、またたくまに予定の時間は過ぎていった。
全体主義について遠藤氏は「全体主義は、六十年前のヒットラーの自殺や五十年前のスターリンの死をもって終わった過去の出来事ではない。今日の私たちの気がつかないすぐ傍でトグロを巻いている問題であり、今日もっとも脅威として感じ取らなければならない問題」と、要点を先に示してから本論に入った。
ハンナ・アーレントなど先駆者の研究を紹介しつつ、「全体主義は民主主義から発生したもので、決して民主主義と対立するものではない。民主主義が最も醜悪な形で行き着いた先が全体主義」「統治者が勝手に国家を動かすのではなく、その国家を勝手に動かすために法治という枠組みを予め設ける。これが独裁とか専制といったものと決定的に違うところで、全体的な枠組みを決定するにあたって選挙という民主主義的な手続きを踏む」と指摘し、全体主義にはファシズムと共産主義の二つの典型があるとするのが世界の常識だと強調した。
(「史」平成16年11月[通巻47号]より) |
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【来場者アンケートより】
◆全体主義の定義が良くのみこめました。「全体主義は決して我々から遠い所(無縁な所)にあるのではない。」このことは現代日本の左翼主義に強く感じております。個人、個性、人権を主張する日教組なども実は全くのタネ社会で、一切の批判、反対は許されないファシズム的組織ですが、中にいる先生達はそれに気付かないのは愚かといおいうか、笑止といえます。今、日本中で男女共同参画条例が作られ、大衆を巻き込んだ運動のようになっていますが、これも正に左翼ファシスト達の展開する全体主義運動の広がりではないかと思います。今日のお話しで彼らのやり方が納得できました。(50代・女性)
◆教科書の記述も扶桑社を除いて共産主義というファシズムについて明確に書いていない。戦前の日本は最も鋭く「共産主義=全体主義」の脅威を認識し、戦った。それ故、日本の左翼にとって、戦前の日本を全否定せざるを得ないのだということがよくわかりました。(60代・男性)
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