真夏の日差しの照りつける7月6日、第4回「歴史・文化塾」が開催されました。今回は都合により、田中会長の「世界に誇る日本文化の歴史(4)」を先に、芳賀徹・京都造形芸術大学学長の「徳川日本」が後半に行われました。
田中会長は冒頭、最近の国語ブームは”アイデンティティを取り戻そう”という日本人の欲求の表れと指摘、古代・中世は抑圧されていたという史観を払拭する常識史観の樹立が「つくる会」運動でもあると語られました。
今回は「聖徳太子と仏像」というテーマで、聖徳太子の十七条憲法に表れている思想は、第一条は儒教的な道徳観、第二条は仏教、第三条は神道というように宗教の融合が見られる、といういつもながらの斬新な見解を述べられました。
また、スライドで、聖徳太子ではないかと言われている仏像から始まり、止利仏師が造った法隆寺界隈の仏像や百済観音などを紹介、日本の仏像は単に美術品としてだけではなく、仏教と人間観の総合である、と喝破されました。
後半、芳賀先生は次のような要旨で「徳川日本」について語られました。「徳川日本」と定義することにより、江戸時代が日本の中の江戸ではなく、世界の中のTokugawa
Japanとして位置付けられる。それまでは"夜明け前"の日本として、徳川暗黒史観で捉えられてきたが、1960年代アメリカの日本研究により日本近代化論ということが言われ始め、その時に近代日本の再評価が行われた。丁度プリンストン大学に留学している時で、錚々たる日本研究者と身近に接することにより、諸外国の文化と比較したり、柑互交流の歴史を比較するという比較文学の比較文化を研究することになった。
その後、このような研究を本格的に始めるようになったのは、留学から帰国した折に、明治初期の岩倉使節団の『米欧回覧実記』(明治11年発行)をたまたま目にしたことがきっかけだった。これは、明治政府の要職にあった岩倉具視を筆頭にした要人たちが、1年10ヶ月にわたって、アメリカ、ヨーロッパと巡り、果てはアフリカからアジア諸国まで、実に良く見聞したことがわかる調査報告書だった。近代化の達成のためにはどういう思想があり、キリスト教はどういう作用をしたのかなど、闊達な文章でまとめられており、明治の文明開化、富国強兵の勢いがそのまま乗り移ったような、その後現在に至るまでの文学に勝るとも劣らない素晴らしいものだった。この『米欧回覧実記』を研究することにより、改めて明治の母体となった「徳川日本」に思いを馳せることとなった。
講座後の懇親会では、芳賀先生がまるで講座の延長のように示唆に富むお話を縷々語って下さり、得難い貴重な時間となりました。( 『史』平成14年9月号(通巻34号)より) |