投稿者:おやじの感想 投稿日:2003/10/13(Mon)
「つくる会」のホームページを見たら、ちょうどタイミングよく「ボイスリレー」で西尾先生が「日録」についての感想と抱負を記載されていました。
日録の書物化を一度やったがあまり成功しなかった。もう一度やって駄目だったらもうやめたい。ということのようです。読んで、先生の思いがよく伝わってきました。
ネット上の無料読み物が読者を堕落させ、作者の地位も低下させるということを危惧されているようです。読者の開拓にも悲観的なようです。出版文化を生活の基盤とする書き手を代表するような立場で書かれていたので言葉に重みがありました。将来性のないことに労力をかけたくないというのはもっともなことだと思います。
この企画が長谷川さん(「年上の長谷川」さん?)という方の熱意とご尽力により実現したということは素晴らしいことですが、いくら気配りの達人のような長谷川さんでも、こういった事情は如何ともしがたいのではないかと思いました。
けれども(部外者がいろいろ意見するのも気が引けますが)、書物になりにくい内容を掲載していくという先生ご自身の発想以外にも、いろいろと手はあるのではないかと感じました。例えば、今はあまりにハイペースなので、週や月に1回程度の掲載でも(打ち切りになるよりは)いいのではないかと思いましたし、いっそ先生の気が向いたときだけ書いて頂くという方法もあるような気がしました。著名な思想家と読者との交流などはそう滅多に拝見できるものではありません。
それはさておき、先生のインターネットに対するじれったさというか、持て余し気味の感覚はよくわかります。私の友人のなかにも、インターネットなんか見向きもしないという人が何人かいますが、彼らが劣った人間とは全く思えません。相性の合わない道具と無理につきあう必要はないでしょう。
個人的には、ネットは仕事に欠かせないので、まず自分にとって仕事用のツールですが、それ以外に趣味として見た場合でも、あまり特別なものだとは思っていません。ネットでは多種多様の掲示板にしても、昔でいえば、例えば江戸時代に全国各地から集まった庶民が宿場なんかで(お互いにあまり素性を知らない者どうしが)気軽に世間話をし、世相なんかについて批評し合ったに違いない、そういった現象と同じことだと思いますし、ネット上で「俺はすごいことを考えているんだ」と吹聴して、大真面目にマイホームページを掲げている奴なんぞも、江戸時代でいえば、「これはすごく効きめのある薬ですよ」と言いながら、牛のしょんべんを売りつける詐欺師とおんなじみたいなもの
だと思っております。人間そうそう変わりっこありません。
本の置き所に困るという話題がありました。電子ブックなんて今はほとんど見向きされませんが、数十年後には(「北の狼」さんのご指摘のように)書物は電子化されていくでしょう。狭い居住空間を大量の本が占拠してしまうことは、特殊な
コレクターでないかぎり、なくなるような気がします。まず誰でもA4,B4などサイズごとの媒体をもちます。それに本の内容をネットからダウンロードします。この媒体は現在の本のように自由に折り曲げてもよく重量も軽いもので寝転がって読めるようなものになるでしょう。その本のところどころに広告用ページがあって、それは無線でネットにつながっていて、今日はトヨタ車の広告、明日はホンダの広告というように変幻自在に変わるものになるかもしれません。作者の著作権は暗号化技術などで守られます。図書館などは、同じ本を同時に何人にも借り出せないので、先の人が読み終わるまで待たなければならないですが、それもなくなると思います。でも同時に100人もの人に借りだすと本が売れなくなるので、同時には10冊しか貸せなくするという措置をとるかもしれません。新技術がいろいろでてきて、既成事実が積み上げられて、それを追いかけるように法的整備がなされていくと思います。
これでよいことは本の値段が劇的に下がることです。本の印刷装丁や梱包、運搬など附属的な間接費用が大きく削減されます。(でもそれで商売している人にとっては死活問題でしょうが。)本が安価になり置き所に困らなくなればぐんと消費がのびるような気がしますが
、そこは同じ人間、読める時間に限りがあるので、ネットと読書で時間をわけあうでしょうが、仕事時間がますます減るので読書時間は増えるのではないかと思います。
でもこういった技術的なことはさほど重要な問題とは思っていません。本質的な問題だと自分が考えるのは、西尾氏のような思想家が、今後の出版文化において何人も生まれていくということがありうるのだろうか、という疑問です。全然違う分野で恐縮ですが、芸能界やスポーツ界などにおいても人気の移り変りが激しく、今後は美空ひばりや長島茂雄のような巨人は生れないと言われます。
時代のテンポが速くなり過ぎたのでしょうか、それとも人間の興味が分散しすぎたのでしょうか。
こういうこと書くのは誠に失礼かもしれませんが、西尾先生の真剣な読者は西尾氏により啓蒙され育てられたと思いますが、先生ご自身も読者によって成長を助けられたという面があるように思います。こういったように長い年月をかけて著者と読者が互いを育てあうというようなことが思想や知識人の世界では(今後は)ますます難しくなるような気がしました。(漫画などの世界ではあり得るかもしれませんが)
※日録ではなく、ボイスリレーを読んで(空想を交えての)感想でした。