Vol.02 高森明勅氏
西尾 幹二 (にしお かんじ)
新しい歴史教科書をつくる会 名誉会長

昭和10年(1935年)東京生れ。東京大学文学部独文科卒業。同大学大学院文学修士。文学博士。評論家。

著書に『ヨーロッパの個人主義』『ニーチェとの対話』(講談社現代新書)『人生の価値について』『教育と自由』『わたしの昭和史』1〜2(新潮選書)『異なる悲劇 日本とドイツ』(文藝春秋)『歴史を裁く愚かさ』(PHP研究所)などがある。
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西尾幹二のインターネット日録
http://nitiroku-nishio.jp/blog/
Vol.01 インターネットの良いこととイヤなこと
(一)
 私は携帯電話を長いあいだ使わなかったが、やっと所有するようになった。勿論、電話として使うだけで、それ以外の使用法は考えていない。それでもなぜ所有するようになったかと問われれば、公衆電話が近頃激減したからである。街角にグリーン電話を見ることが少なく、新宿駅ですら探してやっと2台あるところに行き着く始末だ。

 小堀桂一郎君は私などより器械嫌いははるかに徹底していて、生涯、テレビを観ない。それでも最近自宅にテレビ受像器を置いたと彼がいうから吃驚していたら、ビデオを見る必要に迫られるかららしい。しかしアンテナをつけていないので、彼の家のテレビ受像器で普通の番組はやはり見られない。 

 私はいくら何でもそこまで徹底していない。テレビは東京オリンピックの頃からずっと見ているが、最近は見るべき番組がたしかにほとんどなくなったことに気づく。タレントが横並びに出てくるトークショウめいた番組が余りに多く、これはいっさい見ないことにしている。

 昔は楽しいホームドラマもあったし、はらはらさせる犯罪者追跡の刑事ものもあった。いったい最近のテレビはどうなっているのだろう。私は今はニュースと、野球中継と、歌謡番組(それも今は週一回になった)しか見ない。

 新しいタレントの名前を覚えることが出来なくなったのに、ふと思い当たる。そうなれば人生お仕舞いに近いのだと誰かが言っていた。広末涼子と深田恭子が私の覚えた最後の名前である(あとほかに少し知っているかもしれないが、嫌いな女の子はどうでもいい)。

 そういう私だから、インターネットなんて柄ではないのである。複雑な器械を操ることは人生で最も苦手である。

(二)
 私は電気通信大学に長く勤務した。ここはコンピュータの専門大学である。非常に早い時期に学内通信がことごとくネット化し、教授会開催の通知は勿論早くからメイルが採用されていた。私はメイルアドレスを持たなかったし、そもそも器械に電源を入れなかったので、私だけに通知案内がない。

 私は庶務課に文句を言った。教授会に何度も欠席する羽目に陥ったからだ。まあ、欠席してもさして大事はないのだが、庶務課は仕方なく私にだけ、しかも私の自宅にわざわざFAX通信で知らせてくれるようになった。ひとりに対する特別サービスだったから、今頃手数が省けてホッとしているだろう。

 見るに見かねて、親切な先生が停年を2ヶ月後に控えた私を、平成13年2月に、新宿のサクラヤだったかヨドバシカメラだったかに無理に連れて行って、Sotecの器械一式とプリンターを買わせ(総額20万を越えた)、初歩から教えてくれようとした。

 私も一生懸命にやったが、ほとんどものにならないうちに停年を迎えた。器械は自宅の片隅に埃をかぶったまま一年半が過ぎた。プリンターの器械は買ってきたときのダンボール詰めのまま封を切らなかった。  

 私はインターネットは面白そうだとそのとき思ったが、自分には無理だと諦めることにした。インターネットで自分に一番魅力があるのは、書籍の情報収拾と外国の新聞情報である。これが大切であることは前から分かっていた。『国民の歴史』は扶桑社編集部の真部栄一さんがインターネットで打ち出してくれた書籍情報によって成立した本といっても過言ではないほどである。

 だから、かねてからインターネットの利点を私は承知していた。それはもっぱら情報受容の器械としてであって、こちらから広い社会へ向けての情報発信の器械としてではない。後者の役割は念頭になかったし、自分にできることだとは夢にも考えていなかった。
(三)
 平成14年の夏前に、広島県廿日市市の前の教育委員の長谷川真美さんが、インターネットによる情報発信を私に勧誘してきた。タイピングの仕事は全部彼女がやってくれるという話である。私が毎日何を考えているか、好き勝手なことを書いて送ればそれでいい、後は全部自分と自分の仲間グループが処理してくれるというのである。

 私は内心に抵抗があった。無料で原稿を書くというのはもの書きとしてのプライドが許さない。私生活を語るのは私の趣味ではない。私本来の評論や研究の活動に支障をきたす恐れがある。時間的に侵蝕されるのはもとよりだが、それだけではない。あるテーマをインターネットに掲示した場合に、雑誌や単行本で同じテーマを論じようとするときに、内容がより精度になるという利点があるのとは別に、読者に与える読書効果の減少というマイナス面が発生する。

 つまり二度同じテーマを人は読みたがらない。新鮮さを失う。インターネットで漠然と梗概を書いてしまうと、人はそれで満足し、その先の、より深度を深めた私の思想探査にはあらためて興味を示さないであろう。

 インターネットで読んで、大体のところが分かったつもりになってしまう一般読者の怠け心の手助けをするのは、いかにもバカらしい。
(四)
 平成14年7月に私は北欧三国の旅行をした。その旅の話を他に書く場所もなかったので、長谷川さんの誘いに応じて、「西尾幹二のインターネット日録」という名で書き出してみた。恐らく北欧の旅がなかったら、私の「インターネット日録」が始められることはなかったであろう。

 それにもうひとつ、9月17日の小泉訪朝を皮切りに始まった拉致問題と北朝鮮危機の毎日のニュースを追い、情報を蒐め、分析するのが、平成14年後半の私の毎日の関心事となった。「インターネット日録」は情報の整理と思想の調整にものすごく役立った。

 北欧の旅が切っ掛けとなり、北朝鮮追跡が動力となって「インターネット日録」は快調なペースで展開した。一日平均2500人から3000の訪問者を得るようになった。恐らく熱心な読者は2000くらいいるだろう。ときどき気になって思い出したようにネットのページを開いてくれる人は5000人以上はおられるのかもしれない。今年10月に入って間もなくアクセス総数は70万を越えると思われる。

 けれども、私がたった今述べた、「インターネット日録」で私の思想を知ったつもりになって、それ以上深く探査しようとしない「怠け者の助け舟」としての「日録」の役割が私にとって遺憾であり、困惑であるという現実は少しも変わらずに残っている。否、むしろますますはっきりしている。

 これは私を当惑させ、疲労させている。

 「日録」は今夏、徳間書店により、5月18日までを再編成して、『私は毎日こんな事を考えている』という題で単行本として発行された。題名は地味かもしれないが、もともと私が毎日何を考えているかについて好き勝手なことを書いて送って欲しいというのが長谷川さんからの依頼内容であったから、書名は意図とぴったりなのである。

 初版は1万部であるが、いまだ増刷はない。本年他に4冊の本を出しているが、どれも売れ行きは同書よりも調子がいい。

 インターネットのアクセス数が1年2ヶ月で70万というのは大変な数字だそうであるが、平均して日に約2500人で、そんなに大きい数字ではない。私の単行本の読者は平均して約10,000である。インターネットの読者は単行本の読者数にとうてい及ばないことが分かった。

 しかも、平均して一日に約2500の「日録愛読者」の固定客は、さっきも言ったとおり、インターネットだけ読んで満足しているのであって、必ずしも本を買って読んでくれているとは限らない。

 「インターネット日録」を始めてから、アクセス数の多いのは有難いと思うけれども、読者の心理というものが私にはにわかに分からなくなってきた。  
 少なくとも「日録」は私の読者の強化には役立っているかもしれないが、拡大には役立っていないように思える。
(五)
 インターネットに特別に熱心に専念している人は、映画の次にテレビがあったように、活字本の次にインターネットがあるかのように思いこんでいるが、機能が違うので、私はそうは考えない。少なくとも私にとってインターネットは活字本の補助具としての役割を越えるものではない。

 第一、インターネットは書き手(すなわち生産者)の経済性を保証していない。会員制にした一部例外はあるかもしれないが、サイトの提供は一般に無料である。

 映画の次にテレビの時代がたしかに到来したが、テレビは巨大な経済性を保証した。活字本の次にインターネットの時代がたしかにやってきて、そのために(としか理由は考えられないのだが)書籍の売れ行きが激減した。出版界不況は統計の示す通りである。けれどもインターネットによる情報の発掘は、情報の無限の広がりを示しただけで、果てしない情報の拡散と同時進行しているので、発掘が必ずしも集中度をもたらさない。情報の活用と創造は発掘者の努力と知恵にゆだねられているので、情報の提供者には必ずしも富は還元されない。これではいつかは飽きられる。やっているほうがバカらしくなってくるであろう。

 結局いい本を読みたいという人間の心は変わるまい。インターネットは補助具ではあっても、本の代替物になることは不可能だと思う。

(六)
 私は「インターネット日録」を今も続けている。これに関する限り、私は他の評論には書かなかったような、あるいは書けないような題材や発想を自由に筆にする愉しみを一方では味わっている。しかし他方では、第二ラウンドに入った現在、『私は毎日こんな事を考えている』の時代とは書き方を実験的に、大幅に変えている。

 私は「日録」を読んで私を知ったつもりになっている怠け者の読者に、さっき言った通り不満を抱いている。「怠け者の助け舟」にはならないような書き方に変えている。

 私は私の本来の思想上の仕事のダイジェストはもうしない。代わりに、「インターネット日録」だけでしか読むことのできない、私の今までとは別の側面をみせるような独自の読み物の世界を拡げていくつもりである。

 もしこれを書物化して、書物として成功しなかったら、インターネットを情報発信の器械として用いる方法それ自体を私は止めることになるであろう。

平成15年10月3日

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