Vol.06 田中英道氏
Vol.08 八木秀次氏
新田 均(にった ひとし
新しい歴史教科書をつくる会 理事

昭和33年(1958年)長野県生まれ。現在、皇學館大学文学部助教授。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程に学ぶ。博士(神道学)。近代日本の政教関係を中心に、学際的な立場から実証研究を行っている。
Vol.07 センターの回答は単なる言い逃れではないのか?

 先頃行われた大学入試センター試験の問題について、私と松浦光修氏は、大学を通じてセンターに質問状を提出した。それに対する回答が、一月二十八日付けでセンターから送られてきた。私達が回答を求めた三つの問題点の内、「世界史A」「世界史B」については「お答えします」、「日本史B」と「現代社会」については「現在検討中ですので、後日回答します」というものだった。世界史についての回答内容は、予想通り“問題は妥当”とするもので、その理由は、問題は「教科書に準拠」するように、選択肢も「多くの受験生に不利益にならないように(中略)教科書を広く調査し文章を作る」ようにしており、指摘された文章も「大半の現行教科書において使われている表現」であるから問題はない、というものだった。そして、「大学入試センター試験は、あくまでも現行の高等学校教科書の記載内容を踏まえて作題し、受験生が教科書に盛られた内容をどれほど 理解しているかを問うものであります」と付け加えられていた。この回答について、私が感じた問題点を三つ指摘しておきたい。

 その第一は、私達が問題にした「教育の中立性」や「思想の自由」という大問題に全く答えていないということである。そして、それを回避できる理由として、検定を通った「大半の現行教科書において使われている表現」だ、ということを挙げている。ということは、センターは、“大半の現行教科書における記載”という事実が、教育の中立性や思想の自由に優先する大原則だと考えているということになる。

 第二の問題は、それほどに重要視されている“大半の現行教科書における記載”という作題原則をセンターが本当に守っているのか、ということである。具体的に言うと、未回答の日本史について言えば、「日本資本主義発達史講座」は、今回受験した高校生たちが使っている現行教科書に関する限り、「日本史B」では十九種類のうち八種類、「日本史A」では七種類のうち二種類にしか記載されていない(全国歴史教育協議会編『日本史B用語集』山川出版社)。この事実に基づいて、私が平成十四年度の採択率を調べたところ、記述のある現行教科書の採択率は全体の二五%程度に過ぎないことが分かった。つまり、世界史の 問題を正当化するためにセンターが主張している「多くの受験生に不利にならない」「大半の教科書に使われている」「受験生が教科書に盛られた内容をどれほど理解しているかを問う」といった基準が、ここでは全く無視されているのである。ということは、その基準を適用すれば、まさに日本史の問題こそ「不適格」 と断ぜざるを得ないのである。他方で、「大半の教科書に載っていなくてもかま わない」と主張するのであれば、世界史についての釈明は「教育の中立性」や 「思想の自由」を否定できる程の絶対性を持たないことになる。つまり、世界史 を正当化すれば日本史は不適当、日本史を正当化すれば世界史については言い訳 にならない、ということなのである。

 第三の問題は、単に世界史の六割程度の教科書に載っているということが、全国の高校生に対して基本的な学力を問う試験の問題として、ほんとうに正当性を主張する根拠になりえるのか、ということである。私の手元に、全国歴史教育協 議会編『世界史B用語集』(山川出版社)という本がある。これは、作題にあたって問題の普遍妥当性を検討する際に参考とされることが多い本なのだが、その全国歴史教育協議会名の「まえがき」には、「本書では、『世界史B』教科書に 記載されている用語の中から学習に必要と思われるものをもれなく収集」したとある。ところが、この本では「強制連行」という用語を取り上げていない。「学習に必要と思われるものをもれなく収集」したという文章が誇張ではなく、また、「現行の高等学校世界史教育の概観と内容を、的確かつ容易に把握できる根本資料の性格をもつものとして、各方面から注目され、大学関係者からも多くの賛辞と謝辞が寄せられており」という表現が誇大広告でないとすれば、センター は、多くの歴史教育者が必ずしも高校生の“学習に必要だとは考えていない用 語”を出題したことになる。となると、これは単に“教科書に出ているから”という言い訳ではすまされず、それ相当のセンター独自の論拠を示さなければならないのではあるまいか。

平成16年2月3日