イスラエルで開かれた「日露戦争と20世紀」学会に出席、初めてこの国を訪れることができた。学会終了後、レンタカーで興味ある史跡を廻ってみた。
まず、死海のほとりにあるマサダの砦。西暦70年、ユダヤ王国がローマ帝国に征服された後、女性、子供を含めてわずか960名で、ローマ軍10,000名を相手に2年間抗戦し、最後は全員刺しちがえて終わった。
ガリラヤ湖の北にそびえる小高い丘テルハイ。トゥルンペルドールの記念碑とそれを囲んで戦場で倒れたイスラエル兵士たちの墓がある。彼は、日露戦争でロシア兵として旅順防衛に参加、片腕をなくしたが後方移送を拒否して戦い続けた。旅順が落ちて後、捕虜として大阪郊外で暫く過ごし、帰国後ユダヤ人として初めて将校に任ぜられた。だが、やがて起こった社会主義革命に同調できず、パレスチナの地に帰って、ユダヤ人自衛軍創設と荒れ野開拓に従事するうち、1920年、ここテルハイでアラブの大軍に包囲され、7名の仲間と共に全滅したのだった。
ネゲブの砂漠にあるベングリオン・ハウス。初代首相として、1948年、2,000年ぶりに建国を果たした彼は、1953年、その職を辞してこの地へ移住し、一開拓者として砂漠緑化に取り組んだのだった。
これらの史跡には、大勢の観光客に混じって、何組もの高校生グループの姿があった。 若い教師が、史跡にちなんで、ユダヤ人とイスラエルの歴史を熱く語り、彼等は目を輝かしてそれに聞き入っていた。
日本にもマサダはあった。大東亜戦争終盤、日本守備軍は、北のアッツ島に始まって、グアム、サイパン、そして硫黄島へと、国と国民を守るべく玉砕を続けた。しかし、今アッツ島は忘れ去られ、サイパン島で海水浴を楽しむ日本人はあっても、そのバンザイ・クリッフ(多くの同胞がここから投身自殺をされた)を訪れる人は少ない。
日本にもテルハイはあった。建軍の父大村益次郎の像は靖国神社にあるが、今顧みる人は少ない。
日本にもベングリオン・ハウスはあった。明治神宮は建国の父を祭っている。だが、そこに初詣する群衆は、単なる縁起担ぎ、お祭り騒ぎではないのか。
これらの場所を高校生たちがのグループが、修学旅行や卒業旅行で訪れることはまずないし、万が一あっても、そこで日本の歴史を熱く語る教師はありえない。
イスラエルの面積は四国並み、人口600万は愛知県よりも少ない。それでいて、その存在感の大きさはどうだろう。毎日、新聞やテレビで自分を主張している。欧米における露出度は、「世界第二の経済大国」などの比ではない。
この差は、つまるところ、自分の国の歴史への思い入れ、国家意識、の差ではないのか。 日本は、この驚くべき小国に、強烈に学ぶべきなのである。若い人々が、その若き日に、この国を訪問することをお勧めしたい。