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教育問題について考えるとき、いつも自分の幼かった日々が思い出される。
私は昭和25年生まれだが、早生まれなので同級生は24年生まれの人が多かった。戦後のベビー・ブームに生まれたので、いわゆる団塊の世代に属する。とにかく子供の数が多かったので、1クラスに60人近くの児童がいてそれが8クラスほどあった。
先日、テレビの仕事で、自分の母校である小学校を訪ねたら、今は子供の数が少なくて、学年ごとに1クラスしかなく、30人弱が在籍するだけだという。まさに隔世の感があった。
昭和30年代は、まだ人々が戦争の残影を引き摺っている時代でもあった。教育の現場も混乱していた。天皇制への露骨な批判を声高に叫ぶ教師もいれば、自衛隊への嫌悪を授業中に繰り返す教師もいた。
そんな中で、私は教師の情緒が安定していないことにある恐怖を覚えていた。子供だからこそ、自分を取り巻く環境に非常に敏感に反応してしまったのだ。
家庭における両親のいうことには、つねに一貫性があった。たとえ、それが他の家とは違った考えであったとしても、我が家の仕来りがあり、祝日には日の丸の旗を出したし、新年には神社にお参りに行った。他人を傷つける言動は慎むようにと厳しくいわれた。
それは理屈ではなくて、身体で憶えるものだった。
ある日、私は学校で、いつも問題児と見られていた男子児童に、理由もなく暴力をふるわれた。泣きながら家に帰ると母になにがあったのかを尋ねられた。いきなり休み時間に後ろから殴られたが、教師はただ傍観するだけだったことを説明すると、母は私の手を引いて小学校に突進していった。
担任の教師はまだ職員室にいた。そのとき母が教師にいった言葉は今も忘れられない。
「学校というところは、いろいろな家庭のお子さんが来ます。きちんと自宅で子供の躾をするのがまず第一です。しかしそれが難しい場合は学校の先生が本気で子供の躾に取り組んでくれなければ困ります。そうすればかなりの確率で子供は、ことの善悪をわきまえるはずです。その仕事は先生、あなたの責任ですよ」。
母の剣幕に驚いて、教師は口をパクパクさせるだけだった。
今頃になって、私はあの日の母の姿を思い出す。いったい私たちは現在の教育現場にどれだけの期待をもてるのだろうか。あるいは信頼がもてるのだろうか。教育の基点となる教科書はどうやって作られ、使われているのだろうか。それらの点について、私はこれから本気で考えていきたいと思っている。
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