私は辯護士ですので、判決の中で、教科書や歴史がどう扱はれてゐるかの話をしませう。
教科書裁判といへば、有名なのは家永訴訟です。これは戰前迎合右翼、戰後進歩的知識人の大學教授の家永三郎さんが、自分の書いた教科書について檢定で書きなほしを命じられたことに對して、國に損害賠償を求めた訴訟です。家永さんは、第1次、第2次、第3次とそれぞれ地裁から最高裁まで、30年以上にわたつて裁判をやりました。これはいはゆる左翼陣營の總力をあげたたたかひでしたが、どれほどの效果をあげたでせうか、疑問です。これは檢定制度自體の無效をもとめたものでしたが、同じ人達が我々の新しい歴史教科書にたいしては檢定をとほすなといふ運動を行なつたのですから、いい加減なものです。
次に、私が辯護士としては三堀清辯護士と二人だけでたたかつた教科書裁判があります。これは昭和62年から平成6年まで、國を相手に、檢定の内容を爭つたものです。つまり、檢定濟の教科書に嘘の記述があるのはいけないのではないか、といふ訴訟を起こしたのです。具體的にいふと、南京事件にしぼり、我々の立場からすると南京事件といふのはなかつたのである、なかつた南京事件をあつたかのやうに教科書に載せたことを認めた檢定は違法であるといふ理由です。中學生およびその父兄約500名が原告となつて訴訟を起こしたのですが、左翼からの訴訟ではないために、マスコミの扱ひはきはめて冷淡だつたのです。判決は、中學生およびその父兄には、かりに檢定が違法であつても、また檢定が間違つても、檢定の違法性やあやまりを追及することは認められないといふものでした。要するに、檢定が間違つてゐたら、著者の場合は、家永さんで認められたやうに、たださなければならないが、教科書を使ふ中學生の場合は、我慢して使へといふものです。私はこの考へはあやまつてゐると思つてゐます。
それから、もう一つ、昭和史研究所(代表中村粲獨協大學教授)が主體となつて同樣の教科書裁判を、平成9年に起こしました。原告は同樣に中學生とその父兄約350名です。この訴訟は、南出喜久治辯護士が主となり、私はただ名前だけで出廷はしました。被告は國だけではなく、地方自治體、教科書會社、その執筆者です。教科書の使用禁止その他を請求したものです。厖大な分量の訴状その他の書證を用意してたたかひましたが、やはり地裁、高裁と門前拂ひに終りました。現在上告中です。
次に、いはゆる戰後補償を求める裁判が、中國人や韓國人、その他の外國人から起こされてゐます。外國人が起こしたとはいつても、實質的には日本の辯護士が起こしてゐるのです。これは、100件近くの裁判がありますが、莫大な金額を認めた判決も出てゐます。結論もさることながら、その理由が問題です。結論で、國の責任を認めたものは僅かですが、理由中で、日本がいかに惡いことを行つたかといふことを述べたものはそのほとんだだといつてよいでせう。つくる會の機關紙『史』11月號の卷頭言に書きましたので、讀んでみてください。
以上、問題のある判決がいかに多いかといふことを述べてきましたが、これはもちろん、裁判官に問題があるからです。どうして裁判官がこのやうな判決を出すのかといふと、そのやうな教育を受けてきたからです。それをただすには我々の運動をもつともつと活溌にして教科書の内容をただし、それからそれを教へる教師の考へ方をただしていくといふより近道はありません。
ともにがんばりませう。