| マルクス主義用語が言論界から消えたのは、何といっても東欧革命と1991年8月のソ連の崩壊以後だろう。かつては「ソ連共産党は、我々の最高の教師」など書いていた宮本顕治がソ連崩壊後はテレビで「巨悪がなくなって、せいせいした」と言い放つしまつである。
しかし、知識人ともなるとそうもいかず、次の二つに分かれた。一つは「沈黙派」である。その人たちは次第に座席を変え、大学のテキストを宇野弘蔵からシュンペーターあたりに変えてしまった。歴史学では、決して「明治維新」「帝国主義」や「ファシズム」を論じない。こっそり「対外交渉史」や「風俗史」に逃げている。もう一つは、「弁解派」である。何かにつけてソ連・中国社会を謳歌してた者がたまに一度でも社会主義を批判したことがあると、鬼の首でも採ったように、その言論だけをひけらかす。
丁度、戦時中軍部に徹底的に追従していた文学者が、戦後は口を拭って一度批判がましい事をした例だけを吹聴するのと似ている。石川達三がよい例で「生きている兵隊」が勲章になり、戦後反戦主義者に変貌した。久野収など党員ではないから、一度位ソ連の制度を婉曲に批判したこともあろう。そこだけを持ち出してきて、自己の冤罪の証拠とする輩が他にも多い。
しかし、一番に問題にすべきなのは「意識せざる左翼人」であろう。社会に出て実務の訓練を経れば、学生時代の気分も無くなっても肌に刷り込まれた左翼感覚がとれていない。そしてそのことに気がつかない人が官・財界のお偉方にも実に多い。
むかし、日銀のある理事が地方講演に行き、学生の頃学んだ大内兵衛の講義丸写しの話をして、聴衆が唖然としたという笑い話がある。この類いが、文科省や中学・校長などにもはびこっている。普段は日教組の組合員と衝突しているくせに、「歴史」の話となると若い頃身につけた「階級史観」「日本悪玉史観」を平気で語るのである。
一旦刷り込まれた物は、第二の天性になって消えないのだろうか。多分そうはないだろう。「マルクス主義はハシカみたいなもんで、若いとき罹ると直りが早いよ」と笑ったのは、故林健太郎氏である。氏の不屈な研鑽があればこそ左翼思想を見事に克服したのである。畏友大江一道氏もその誠実な研究が硬直した歴史観を打ち破った。「世界近現代全史、全4巻」の成果がそれを語っている。
彼らを変貌・転換などと失礼な言葉で言うつもりない。それは、成果であり前進だからである。私もその姿勢を学びたく思うのである。
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