お名前:練馬の父/東京都/男性/30代(平成17年2月06日)
 石破茂前国防長官著『国防』を読みました。軍事・外交について初歩的かつ常識的な知識が整理されており、お勧めの一冊です。各国のリーダー達は常に自国の防衛に最大の関心を払っており、彼等の悩みの大半は国防であるのに、日本の政治家だけが国防を忘れてのんきに暮らしている、という旨の事を落合信彦氏が書いていましたが、その点石破氏は真の国政担当者である、と感じられます。
 我々庶民が戦時を想定して訓練するなど遠く及びませんが、すくなくとも平時から戦時に於ける心構えを想像(イメージトレーニング)しておくことは決して損にはならないだろうと思います。
お名前:北山/東京都/女性/50代(平成17年2月05日)
 初めてお便りいたします。 日頃から「つくる会」の主張に賛成し、今の日本の教育問題を真剣に悩んでいる一人です。でも、自分の思いを何処に言えばいいのかわからずに今日まで来ました。わたしは杉並区に住んでいます。区の図書館をいつも利用しています。図書館のジュニアコーナー(小学5〜6年から中学生対象)に「母と子で見る・・・」と言う図書がシリーズで何十冊も特別の書棚に並んでいます。執筆は早乙女勝元氏や朝日新聞社編で、草土文化出版社から出ているものです。内容は非常に偏向している思想で書かれているもので、このようなものがみんなの税金で運営している図書館の特別書棚に展示され、推奨図書とされていることに、大変理不尽なものを感じています。いろいろな考え方の本を置くことは構いませんが、あくまで他の本と同様の扱いをするべきではないかと考えるのです。
 図書館のスタッフに、図書の並べ方などはどのようなプロセスによって決定されるのかを聞きましたところ、各図書館の会議で決めることもあるし、中央図書館で行われる月一回の全体会議(区内の各図書館から1〜2名出席)で決めることもあるということでした。
 杉並区ではこのような状態ですが、他の区の図書館や、他の県の図書館の現実はどうなのでしょうか。学校教育と同様に重要な図書館に、着々と進出している偏向思想を非情に憂いています。
お名前:新しい生涯学習/埼玉県/男性/40代(平成17年1月29日)
 初めてお便りします。先週、初めて「つくる会」のシンポに出席して、その熱狂ぶりに感動しました。折りしもあの朝日新聞の勇み足報道と、常軌を逸したその後の対応は、まさに言論機関を放棄し、特定の集団に魂を売り渡したとしか思えない出来事の後ですから、どのようなハプニングが起こるか心配でした。しかし、参加者のあまりの多さと、論客陣のほぼ完璧なる論理武装に恐れをなしたか、不逞の輩は出てきませんでした。代わりに論客陣への拍手の多さが目立ち、「日本のための日本人を育てるんだ」という決意が最初から最後までみなぎっておりました。その後のいきさつは、朝日新聞と朝鮮総連の「朝・朝連合」というわかりやすい構図がそのまま現れてしまって、まさに副会長の言ったとおり、ほぼ雌雄を決した状態であります。
 もしも、朝日や総連が「不偏不撓」を訴えるなら、批判的な週刊誌の広告を拒否したり、産経新聞の取材を拒否するのを自らがやめて、正々堂々と議論のテーブルにつくことです。ヒステリックな苦情やFAX・メール攻撃を指令したり、「法的手段」をちらつかせて脅すやり方は、卑怯この上ないやり方です。こうした目に見える圧力をなぜ彼らが許しているのか、その理由を堂々と示してほしいと思います。
 多くの国民は、「つくる会」を支持しています。リベラル偏重の新聞・放送マスコミは、いずれアメリカのように国民から「ノー」を突きつけられるでしょう。その時期はもうそこまで来ています。おおいにがんばってください。
お名前:善之助/大阪府/男性/40代(平成17年1月19日)
 1月11日発信の福田逸理事のボイスリレー、“「新しい国語教科書」も”に大賛成!!
 我が子の小学校一年生の国語教科書を見る機会がありました。先ずその薄っぺらさに驚きを感じますが、噂の「ゆとり教育」の賜物なのでしょう。さらに題材の貧相さには愕然とさせられます。別段普段から我が子たちを英才教育しているわけでもなく、教育熱心なわけでもないのですが、「うちの娘を舐めているのか」と言いたくなるような幼い内容ばかりです。
 題材の一つとして掲載されている童話で、なんと「くまさん」と「きつねさん」が登場するのです。幼稚園の昼寝の時間に読むのなら良いかもしれませんが、小学生の国語の時間に「くまさん」「きつねさん」はないだろうと思います。しかもその文面たるや教えるべき文法等は考慮されていないのか、殆ど漫画本の台詞ののりと同じです。これが子供に読み聞かせをする「童話」としてなら、それぞれ親の好きずきで構わないと思いますが、将来を担う日本人を育てる公教育の場において、母国語を教える大事な「国語教科書」の題材としては明らかにふさわしくないと思います。著者が国語教科書に掲載するつもりで書いたのかどうかは知りませんが、少なくともこの題材を選択した人間、掲載した出版社、認定した文部科学省、教科書として選定した教育委員会等々、子供たちが国語教科書の題材として目にするまでに、多くの大人が関わっている筈です。関係者すべての思考が停止しているのかと言いたくなります。
 最近、若者の言葉の乱れが顕著ですが、こんな題材で国語を勉強しているのですから、正しい日本語など喋れるはずもなく、寧ろ乱れるのが必然と言えるでしょう。子供たちが成長する過程において、公私問わず多くの大人(体の大きさや年を重ねているだけの社会性欠如の大人も含め)の影響を受け、自身で自覚出来るか否かは別として、周囲から「大人」と言われるようになります。国語の題材等は象徴的なことですが、様々なものから影響を受ける前の真っ白の子供には何の罪もありません。やはり、「言葉が乱れる」「服装が乱れる」「態度が乱れる」「風紀が乱れる」「社会が乱れる」のは、間違いなく我々大人の責任です。
 因みに「道徳教科書」にも「こんきち」「ぴょん子」「ポンタくん」等が登場し、馬鹿馬鹿しく幼い内容でした。「新しい道徳教科書」もお願いしたいものです。
お名前:ヒサ/大阪府/男性/20代(平成17年1月18日)
 私は実際小学校の歴史教育で南京事件をかなり誇張して教育されました。担任の先生は「日本は被害者の前に加害者である事実を忘れてはならない」と連呼されていました。
 初めてつくる会のHPを閲覧した時に私は大きなショックを覚えました。明らかに私の受けてきた歴史教育は日本人が受けるべき教育内容ではないと確信したからです。あの歪んだ歴史教育のために、私は日本人としての自信を失い、誇りを失い、母国愛を知らずに義務教育を終えました。あの時、つくる会にもし出会えていたなら、私は大きな自信と誇りを自分に持てたでしょう。しかし、実際はそうではなく、日本国内で生活は非常に屈折した精神状態のままでした。
つくる会の教科書内容をみた時、私はこのようなすばらしい歴史教育を受けることができず歴史嫌いになったことに深い後悔を覚えました。
 歴史教育はかつてその国の代表が何を考えどう行動してきたのか、これまでの母国の方針と指針を教える大切な時間である。その考えを受け継ぎ母国をどう担っていくかは次の世代を担う子供たちに託せばいい。母国愛と誇りがあれば希望は見えてくるはずです。自分の国の国歌に誇りを持たず、母国愛を感じないような教育をされる子供たちがいてはならない。
 今中国で生活していますが、仮に日本人が100%中国の言うとおりの歴史教育を国内ですればどうなるか、恐らく日本は自主権を失うでしょう。中国を知らなさ過ぎて理解できない日本人がいることに日本の歴史教育のゆがみの原因があると考えています。
 どの角度からみてもつくる会の歴史教育に対するスタンスは間違っていません。是非経済的に余裕ができれば入会を希望します。これからも応援いたしております。日本は本当に素晴らしい国だと感じます。
お名前:匿名希望/東京都/男性/60代(平成17年1月14日)
 町田市の鶴間小学校で、児童への音読用資料として配られているものの中に、「してはならぬもの」という題の詩が採用されているようです。内容の一部に「日本人は前科を持っている」とか「古い日本人は前科者だ」「だから世界と仲良くしてもらえない」などという記述があるそうです。
 子供達への教育に失敗し、子供達の心に日本人としての誇りや自信を教えることをしなかった結果、茶髪と落書きだらけの町ができました。自分の生きていく国に愛を持つことを教わらなかった子供達は、また他人にも同じ様に愛を与えず、今や小中学生の不登校・暴力・犯罪はご存知の通りです。
 先の資料は、まるで父母や祖父母達を犯罪者のように教え込むもので、こんな事で両親や祖父母、ひいては国に対しての尊敬や畏敬の念が育つのでしょうか?このように偏向された教えが、今も教育現場で個人の判断のみでまかり通っていることが信じられません。
お名前:IK/東京都/男性/30代(平成16年12月12日)
  「教わった知識は全部忘れても後に残る物が教育だ」という格言があります。「日本では悪い権力者に対して民衆が次々と抵抗」という他社の反権力史観を学んだ人は、習った歴史上の出来事は忘れても反権力思想が教育され、権力側でないオウム等による犯罪に対して鈍感になり、むしろオウムへの破防法適用に反対した人々のように、公権力による犯罪防止の足を引っ張る結果になります。
  「日本人は歴史音痴」「若者は歴史を知らない」と言う人が考える「歴史」とは「何年何月某所で日本軍が何人殺した」というような「歴史上の事件」だけであり、それは歴史ではありません。歴史は事実を教えればいいという物でなく、偏った事実は嘘以上に人を騙すのです。日本が行なった戦争犯罪だけをオタクのように学んでも反戦思想にはならず、日本への憎悪だけが増し、アジアカップでの反日狂乱のように、日本への侮蔑や戦争や核武装なら許せるという思想につながっています。その意味で、平和の為にも「反日」や「反権力」に偏らない歴史観が必要です。
お名前:のっぽ/北海道/男性/50代(平成16年11月20日)
 先日、上智大学名誉教授の渡部昇一氏の「正論」(財界も骨絡みにする東京裁判史観)を読んで感じたことがあります。
 私が当時東条英機の立場だったら、そして国を憂い、白人の世界支配に怒りを感じている人間だったら、私もA級戦犯という汚名をきせられていたことでしょう。
 今、平和な世界に安穏としていて、歴史をファッションのように軽軽に裁く偽善に私たちは気付かなければならないと思う。実際家と理論家の苦労は雲泥の差であるという。無責任なジャーナリスト・コメンテーターの醸成してきた戦後の風潮が、自分たちは善人で戦争とは関係がないと思い込んできた偽善日本人を大量生産してきた。
 無論、東京裁判史観やアメリカの占領政策で摺り込まれた日本悪玉論が功を奏したと言えるのでしょうが、日本人が東条英機をただ非難することは、アメリカの目論見にまんまと乗ってしまった哀れな日本人であることを自覚してもらいたい。天に唾し自分否定していることに。歴史は継続しているのだから。
「つくる会」の憂国の士の出現は、この深層部における日本の病理を払拭する好機だと感じ、自分にできることを積極的にやっていきたいと思っています。
お名前:匿名希望/神奈川県/男性/20代(平成16年11月20日)
 突然のお便り失礼いたします。現在、私はアイルランドに留学中の大学生なのですが、海外での生活を通じて感じた事をどうしてもご報告させていただきたく、書かせていただきます。
 率直に言いまして、日本人の評判はここでは大変よいものがあります。理由を聞きますと、日本人は誠実で勤勉であるという、いかにもステレオタイプなイメージが一般的に浸透しているからだそうです。もちろん実際に日本人に接して日本人に対してよい印象を抱くようになった方も大勢いらっしゃいます。
 初めのうちこそ「在り来たりだなぁ」とか「そうでない日本人も大勢いるのに」などと思っていました。しかし柔道
や空手を通じて日本人の考え方・美徳を知り、(完全には理解・合意できなくとも)それが自身の生き方に大きな影響を与えているという方々との出会いは、私自身の日本文化にたいする態度を一変させるものでした。
 果たしてどれだけの日本人が世界から好意的に捉えられている日本文化や先人の偉業を知っているのでしょうか。もちろん全てに精通している必要はないとは思いますが、基礎的な知識、考え方の根幹(道・和など)を理解することは、自分の生き方に大きな影響を与えるだけでなく、日本人として恥じない行いをし、日本を誇れる人間となるのに必要不可欠であると思います。(予断ですが、侍や刀、空手・着物・柔道・剣道など海外から高く評価されている日本独自の文化について、全て朝鮮半島が紀元であるとする説が韓国において捏造され始めています。これも多くの日本人が己の文化をよく知らず、論理的かつ自信を持って否定できないことが大きな原因であると私は考えています。)
 また、明治期の先人たちの偉業を外国人が賞賛している文献もいくつか目にする機会がありましたが、そのときは日本人としてこの方々に恥じない生き方をしたいと本気で思いました。今日本人に足りないのは、日本に対する誇りであると私は断言します。何故日本人が(大戦に負けたにもかかわらず)評価されるのか、それは過去日本人が行った偉業に由来することが多々あると思います。国を愛せといわれて、はいそうですかと愛せるわけがありません。心から国を愛したくなるような教科書を作って欲しい、その私が言いたいのはその一言です。
お名前:練馬の父/東京都/男性/30代(平成16年10月25日)
 長女が地元の小学校に入学して半年になります。運動会を見て来たのですが、私が通っていた頃と違う点に違和感を覚えました。
 一番おかしく感じたのは徒競走です。1年生から3年生までは男女混合レースになっていたのです。そして、4年生以上はレースごとに男子・女子の区別はあるものの、1レース目が男子なら2レース目は女子と、交代で出走していました。これでは「友達のお姉さんが4年生だ」と言われても、いつ頃出走するのか見当もつきません。
 私たちが小学生の頃はまず男子が順番にレースをこなし、そのあと女子のレースに移るという順序がありました。これは男女差別による順序ではなく、五十音順の名簿と同じ用な規律による順位です。こういった、あたりまえの順序を強引に壊したところで何が「平等」になるわけではないのです。
 運動会の、このような些細なことにまでおよぶ歪んだ「反差別思想」(実はこのような思想を持つ人ほど救いようのない差別思想を抱いている)を、人並みのレベルに改善するのには何年かかるのでしょう。
 地元では「いい小学校」と言われている所でもこんなものです。私たち保護者が頑張らなければ良い教育は保証されません。みんなでじっくり監視しましょう。