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平成16年9月12日(日)
無教科書選定で首長は指導力発揮を 最重要基準は教科の目標や内容
拓殖大学教授 藤岡信勝 |
40年変わらぬ基準の無理
新聞報道によれば、埼玉県の上田清司知事は、小・中学校などの教科書を選ぶ際の県の「採択基準」を来年度まで
に見直す意向を明らかにした(産経新聞埼玉県版、九月一日付)。これは画期的な着眼で、かねてからこの問題を論
じてきた者の一人としていささかの感慨を覚える。問題の性質が一般にはあまり知られていないと思われるので、事
柄の解説から始めたい。
教科書採択の権限は市町村の教育委員会にあるが、都道府県の教育委員会も採択に対して実は大きな影響力をもっ
ている。都道府県の教育委員会は、全教科書を対象にした「選定資料」を作成して各採択地区に配布する義務を負っ
ている。選定資料にはすぺての教科書の評価が書かれている。そして、その評価のためのモノサシとなるのが「採択
基準」である。
ところが、その採択基準の項目は、埼玉県では「組織・配列・分量」「内容」「表記・表現」「印刷・造本」など
からなっており、一九六四年以来四十年間、一度も変更されてこなかった。しかし、例えば「印刷・造本」の項目自
体が、印刷事情の悪かった当時の事情を反映したもので、今では無意味な基準になっている。いまどき使っているう
ちにバラバラになるような造本をする教科書会社はない。だから、全社について同じ評価が下されることになる。こんな形式的な「調査」をもっともらしくやるのは税金の無駄遣いだ、というのが上田知事の提起の意味である。
横行する指導要領の無視
これは埼玉県だけの間題ではない。事情は全国共通だ。そこで私は、選定資料のもとになる採択基準から、印刷・
装丁・造本などの些末<さまつ>な項目をなくすべきだと主張してきた(「歴史教科書をダメにした県教委選定資料の罪」『正論』平成十三年四月号)。選定資料で差がつかなければ、あとは教科書会社の「営業力」がモノを言うだけになる。三重県で現職の教育長が逮捕された大阪書籍の贈収賄事件は氷山の一角である。
では、教科書の評価は何を基準にすべきか。日本は法治国家なのだから、学習指導要領が定めた教科の「目標」や
「内容」を基準にすべきである。ところが、都道府県教委の作成した選定資料は、まさにこの点で重大な問題をかか
えている。
まず、選定資料の中で学習指導要領にひとことも言及しないものが非常に多い。また、学習指導要領に言及して
いる場合でも、結果的に無意味なものになっているケースがほとんどなのだ。例えば、ある県の選定資料には、ある
教科書について「学習指導要領に準拠して、教科・分野の目標を達成するための基本的事項は、もれなく取り上げら
れている」という評価が書れていた。ところが、よく見ると全部の教科書についてこれと一字一句違わない同一の文言の評価が書かれていたのである。学習指導要領を掲げて学習指導要領を無視するペテンである。
そもそも、文科省の検定を受ける教科書に、「基本的事項」の記述にもれがあれば、文科省が検定で合格にするはずがない。ただし、文科省の検定をパスしたということは、どんなタイムでもいいから百メートルを泳ぎ切れば合格にするという試験にパスしたことと同じだ。教育委員会の教科書選びに課せられているのは、パスした中から誰を優勝させるかを決めることなのだ。
意義ある都教委採択基準
この点で突破ロとなったのは、平成十三年二月の東京都教委の通知である。通知は、「教科書の採択に当たっては、文部省告示の新学習指導要領に示された各教科・分野の『目標』等を最もよく踏まえている教科書を選定するなどの観点から、教科書の専門的な調査研究を行うこと」を指示した。そして、中学校社会科歴史的分野の「我が国の歴史に対する愛情を深め、国民としての自覚を育てる」という目標を例示した。ここでのポイントは、「最もよく踏まえている」という風に、「差がつく評価」を求めている点である。
八月二十六日、都教委は(都教委が採択の権限をもつ)新設の中高一貫校用教科書に扶桑社の『新しい歴史教科書』を採択した。ここで重要なのは、この決定が教育委員の好みや恣意<しい>の反映ではなく、都教委が右のような原則を定め手順を踏んだ結果だったということである。
教育委員会制度が改革の足かせになっているとの声がある。しかし、東京や埼玉の事例は、首長がリーダーシップ
を発揮すれば、制度運用の効果的な改善が可能であることを示唆している。 |
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