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平成16年12月22日(水)
無教育委員の任命反対は現代の魔女狩り 声の大きい少数派の横暴許すな
拓殖大学教授 藤岡信勝 |
任命する際の唯一の制約
埼玉県の上田清司知事は、同県教育委員に高橋史朗明星大学教授を任命する人事案を十二月二十日の県議会に提出し、賛成多数で同意された。この件では一部で不当な反対運動が起こり、また反対派の言説に惑わされたと見られる誤解も散見されるので、問題の所在を明らかにしたい。
教育委員の任命については、「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」(以下、地教行法と略称)第四条で、「人格が高潔で、教育、学術及び文化に関し識見を有するもののうちから、地方公共団体の長が、議会の同意を得て、任命する」と決められている。高橋氏の任命は、人物、学識、実績とも、この条文の規定に照らして適切な人事であり、任命権者の高い見識を示すものである。では、任命反対派の理由は何か。
第一の論点は、「教育行政の中立」をおかすというものである。これは、「教育行政の中立」の概念をねじ曲げた全くの愚論である。わかりやすい練習問題として、共産党員市長が共産党員を教育委員に任命するケースを考えてみよう。これは違法か。違法ではない。現に、共産党員で教育委員になっている人はいくらでもいる。教育委員の任命に関する制約は、地教行法第四条三項に「委員の任命については、そのうち三人以上が同一の政党に所属することとなってはならない」とあるだけである。五人中三人が共産党員になれば、党の決定を教育委員会の決定にすることができるから、明らかに政治的中立が侵害される。
教育行政の中立とは何か
つまり、「教育行政の中立」とは、個々の教育委員がいかなる思想信条、政治的立場をとっているかではなく、五人で構成される合議体の決定・執行機関である教育委員会が、全体として特定政党に支配されないようにするという意味であり、それにつきるのである。個々の教育委員に政治的・思想的「中立」を求めるとしたら、毒にも薬にもならない大勢順応のイエスマンだけが教育委員になってしまうだろう。声の大きい教員組合などの集団的圧力に、たちまち屈服してしまうような見識のない人物だけが選ばれる。実際、それに近いことが行われてきたからこそ、教育委員会の機能が十分に発揮されず、教育荒廃がもたらされ、教育委員会制度の廃止が取りざたされているのである。どの政党の党員でもない高橋氏の任命に何の制約もないことはいうまでもない。
第二の論点は、高橋氏が『新しい歴史教科書』(扶桑社)の監修者だったから、教科書採択の「公正が侵害」されるというものである。そこで、第二の練習問題として、教科書の執筆者・監修者は教育委員になることはできないのか、という問題を考えていただこう。正解は、執筆者でも教育委員になることに何の支障もない、というものである。現実にその例はいくらでもある。私の住んでいる東京都文京区でも、教育委員の上智大学教授・猪口邦子氏は教育出版の中学校社会科教科書の執筆者で、しかも文京区ではその教育出版の歴史教科書が三年前に採択されている。どの新聞もどの団体もこれを問題視したことはないし、また問題にすべきではない。
任命反対派は、地教行法第十三条五項の規定、すなわち、「教育委員会の委員は、自己、配偶者若しくは三親等以内の親族の一身上に関する事件又は自己若しくはこれらの者の従事する業務に直接の利害関係のある事件については、その議事に参与することができない」という条文に違反すると主張している。
しかし、第十三条は教育委員会の「会議」の持ち方を規定したもので、教育委員の任命とは無関係である。むしろ、教育委員に教科書の執筆者がいる場合などを前提にして、「議事に参与」しないこと(除斥)を定めたものに過ぎない。文京区でも中学校社会科の採択の議事に限り、猪口氏は一時退席している。
任命に法的な問題は皆無
ところで高橋氏は、来年度採択される教科書には執筆者としても監修者としても全く関与していないから、もともと右の議論の前提自体が存在しない。氏は教科書採択に関する全議事に何の制約もなく参加することができる。
以上のように、高橋氏の任命に関する法的問題は皆無である。衆を頼んで任命に反対することは、全住民の直接選挙で選ばれた知事の任命権への侵害であり、民主主義のルールに挑戦するファシズムである。教育現場の左翼支配を続けるのに不都合な教育委員の任命を阻むため、候補者の思想信条をあげつらうのは現代の魔女狩りである。 |
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