| 4月4日付の朝日新聞「社説」は「事実を踏まえ論じよう」と題して、2日のテレビ番組で安倍晋三官房長官が、昭和57年の"教科書書き換え誤報事件"について発言した内容が「事実と異なる」と批判した。
安倍氏の発言は次のような趣旨だった。
「検定によって華北に『侵略』が『進出』に書き換えられたと報道され、中韓両国から抗議を受けた。当時の官房長官談話で謝罪したが、実は『進出』と書き換えられた事実はなかった。その時にちゃんと調べてそれを説明すればよかったが、当時はとりあえず頭を下げようじゃないか(となった)。こういう件では向こうの言い分を聞いて、こちらは反論しないほうがいいと。結果として、大変な誤りを犯してしまった。決して軍国主義を賞揚しようとしているのではないということを、ちゃんと中国側に説明しなければいけない」
この発言の一体どこが「事実と異なる」のであろうか。同社説は〈事実のおさらいをしておきたい〉として、同年の高校教科書の検定結果について、
〈朝日新聞を含め多くの新聞や放送が、「華北を侵略」という記述が検定によって「華北に進出」に変えられたなどと伝えた。ところが、その後、「華北に進出」という表現は検定前から書かれていたことがわかった。その限りでは、安倍氏の指摘した事実はある。当時のずさんな取材を率直に反省したい〉と述べている。
このように誤報であった事実は認めながら、
〈事実の一部だけを取り上げ、当時の政府判断を誤りと決めつけるような発言がそのまま独り歩きしては困る〉として、
〈中国との関係に限っても「侵略」の言葉を削られたり、「侵入」に変えさせられたりする変更が計4カ所あった。東南アジアについては「侵略」を「進出」に変えた例もあった。それ以前の検定では、中国との関係で「侵略」を「進出」に書き換えさせられたこともあった〉と指摘している。
4月5日付の産経新聞「主張」はこれに対して、
〈これでは、せっかくの朝日の反省を帳消しにしてしまいかねないほどの論点のすり替えである。当時、問題にされたのは日本の中国への「侵略」が「進出」に書き換えられたとする報道であり、東南アジアについての記述やそれ以前の検定は、問題になっていない。(中略)朝日こそ事実を踏まえて論じるべきだ〉と批判したが、論点をすり替える朝日の詐欺的論法は、教科書誤報の発覚当初から一貫している。まずは、当時をふりかえってみよう。
「文部省が検定で、日中戦争の日本軍の『侵略』を『進出』に書き換えさせた」
マスコミが一斉にそう報じたのは昭和57年6月。
それは、文部省記者クラブで、日本テレビの記者が高校の「世界史」教科書について、実際には検定前から「進出」と書かれていたにもかかわらず、「『日本軍が華北に侵略する』という部分を文部省の修正意見で『進出』に書き換えさせた」と誤って報告したことをすべてのマスコミが鵜呑みにした結果であった。
この誤報で中韓両国が抗議。関係悪化を憂慮した宮沢喜一官房長官は同年8月、以下のような談話を発表した。
@日中共同声明や日韓共同コミュニケに誕った過去の反省を再認識する。
A近隣諸国の批判を受けた教科書の記述は、政府の責任で是正する。
B今後の教科書検定に際しては、検定調査審議会を経て検定基準を改める。
この宮沢談話を受けて、教科書検定基準に「近隣アジア諸国との間の近現代史の歴史的事象の取り扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること」という新たな条項(いわゆる、近隣諸国条項)が加わり、これ以降、「侵略」などの表記に検定意見が付けられなくなったわけである。
そこで安倍氏は今回、「その時にちゃんと調べてそれを説明すればよかったが……結果として、大きな誤りを犯してしまった。決して軍国主義を賞揚しようとしているのではないということを、ちゃんと中国側に説明しなければいけない」と、主張したのだ。
産経新聞は昭和57年9月7日付で「教科書問題『侵略』→『進出』誤報の経過」という「おわび記事」を掲載。翌日からは「教科書問題、中国抗議の土台揺らぐ。発端はマスコミの誤報からだった」という連載記事を始めとして、
〈「"侵略"を"進出"に」といった改善意見はすでに20年以上も前から出されていたものである。それをいま「軍国主義化の表れ」と非難するのは、マトはずれというものだろう〉と指摘しているが、その通りである。
当時の文部省は検定基準を変えない方針であった。が、文部省や自民党文教族の頭越しに、外務省と官邸が中韓両国政府に宮沢官房長官談話を事前に通告して既成事実をつくり、文部省と族議員の抵抗を封じ込めた。
誤報であることが明らかになった段階で、政府は宮沢官房長官談話を撤回すべきであった。同談話がその後の不当な外圧検定の唯一の根拠となっているからだ。
中韓両国が抗議したのは、昭和56年度に検定が行われた高校用社会科教科書の「日本軍が華北に侵略」という記述の「侵略」を「進出」に「書き換えさせた」との誤った報道に基づいてであって、その他の箇所やそれ以降の検定を問題にしたわけではなかった、ということを明確に確認しておく必要がある。
しかし、朝日新聞は昭和57年9月19日、「読者と朝日新聞」という欄で、見苦しい抗弁をしている。タイトルは「『侵略↓進出」今回はなし、問題は文部省の検定姿勢に」というものであった。
ここでは、
〈教科書検定問題が外交問題にまで発展しましたが、週刊誌やテレビで「マスコミの誤報が原因」という声を聞きます。真相を聞かせて下さい〉という読者の質問に答える形で、
〈誤りをおかしたことについては、読者におわびしなければなりません〉と謝罪しながら、
〈ところで、ここで考えてみたいのは、中国・韓国との間で外交問題にまで発展したのは、この誤報だけが原因なのか、という点です〉と、論点をすり替えている。
「侵略」を「進出」にという文部省の改善意見は以前から付けられていたが、この誤報事件がなければ外交問題にはならなかった。つまりこの誤報こそが、中韓両国が抗議した原因であって、同欄が、
〈ことの本質は、文部省の検定の姿勢や検定全体の流れにあるのではないでしょうか〉
〈あった事実を事実として、認める態度が必要だと思います〉と締めくくっているのは、明らかな開き直りなのだ。
朝日は前出の社説で、
〈当時のずさんな取材を率直に反省したい〉と明記している。安倍氏はこの点について記者会見で言及し、
「朝日新聞は『ずさんな取材だった」と書いている。それならば誤報と同じスペースでしっかり報道すべきではないか。報道機関として素直に反省していただきたい。問題をすり替えて批判するのは間違っている」と、厳しく批判しているが、その通りだ。まずは誤報という重大な誤りを犯した責任を自らに厳しく問うべきであって、文部省の検定姿勢に転嫁すべきではない。
論点のすり替えと拡大解釈は朝日の常套手段であるが、このケースでの手口を明らかにしよう。先の傍線部分の指摘に関連して、昭和57年7月29日の参議院文教委員会において、小川平二文相は次のように答弁している。
「日本史の教科書が全部で十点。その中で、検定前に『侵略』と記述していたので検定意見を付したものが、三種類、個所として四カ所ございます。この検定意見に従って記述を改めたものが一種類一点、それだけでございます。検定意見に従わず、検定後も『侵略』と書いておりまするものが二種類の教科書、個所として三カ所、こうなっております」
「それから世界史でございますが、検定意見を付したもの六種類、全部で十カ所、この意見に従って記述を改めたもの二種類三カ所でございます。検定意見に従わずに検定後も『侵略』と書いておる教科書は四種類、個所として七カ所ございます」
同社説が〈中国との関係で変更が計4カ所あった〉と指摘しているのは、これらの教科書を指していると思われるが、この時の検定意見は記述を変更しなくても検定に合格する、強制力のない「改善意見」であった。現在の文部科学省の検定意見は一本化されているが、当時の文部省の検定意見は強制力を伴う「修正意見」と強制力を伴わない「改善意見」とに分かれており、「改善意見」に従った教科書は少なかった。
しかも、「改善意見」を付したのは、「侵略」を否定するという立場からではなく、「全体の調和という観点からバランスをとる意味で表記の統一を求めた」にすぎない。その辺の事情について、翌日の7月30日の参議院文教委員会で鈴木勲・初等中等教育局長はこう答弁している。
「『侵略』を『進出』にしたというケースにつきましては、現在のところ五十六年度の教科書の中では見当たらないわけでございますけれども、たとえば、一つの教科書の中で、『世界史』でございますが、『日本の中国侵略』というタイトルがございまして……一方におきましては、中国に対する欧米列強の行為については『中国進出』というふうに書いてあるのと表記を合わせたらどうかということで改善意見を出しました」
「同じような事実について同じような国に対して行う行為について、全体の調和という観点からバランスをとる意味で表記の統一を求めたところ、『侵略」を『進入』というふうに表現を変えてきたということでございまして、ことさらにこの点についての意図的な意見を付したものではございません」
つまり、「侵略」を「進出」に(強制的に)「書き換えさせられた」教科書は皆無だった。にもかかわらず、その他の箇所や以前の検定では「侵略」を「進出」に書き換えさせた事実があったかのような朝日の言い方は、論点を意図的にすり替える詐欺的論法であり、「歴史改竄」といっても決して過言ではなかろう。
「全体の調和という観点からバランスをとる意味で表記の統一を求めた」改善意見が、「軍国主義を賞揚しようとしているのではない」ことは明白である。
もう一点、同年8月9日の文部省見解では、
「中国が例示している『侵略』を『進出』に改めた例は、日本の新聞に報道されたが、昨年度の検定にはない。東南アジアについては、昨年度においても『侵略→進出』の検定例はある」としており、朝日の社説の、
〈東南アジアについては「侵略」を「進出」に変えた例もあった〉という指摘と一致している。
しかし、この検定例というのは帝国書院の『新詳世界史』で、「南方進出を開始」「仏領インドシナ北部に進駐」「1941年4月、日ソ中立条約を結んで北方の安全をはかった上、オランダ領東インドの資源を狙い、同年7月に仏領インドシナ南部に進駐した。この東南アシア侵略は……」といったように、「進出」「進駐」「侵略」などまちまちな表記になっていたので、「この表現が不揃いなので統一したほうがよい」との改善意見が付けられた結果、自主的に「進出」という表現に統一しただけであって、まったく他意はない。ここでも、朝日の意図的な論点のすり替えが見受けられるのである。
教科書書き換え問題についても、靖国参拝問題と同様、中韓にわが国の立場をきちんと説明し、説得力ある主張を行う必要がある。朝日には改めて「事実のおさらい」をするよう求めたい。
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