新しい歴史教科書をつくる会|「史」から平成25年1月

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国思うことを忘れた日本人へ


 ウイグル人、チベット人といった、中国共産党に国を奪われた人たちについて取材している。先週も、「世界ウイグル会議」の本部のあるドイツのミュンヘンを訪れたところだ。

 実に幸運なことだが、私たち日本人は、「国がない」とはどういうことか、実感することはない。日本国のパスポートをもっていれば、世界中のほとんどの国へフリーパスで入ることができ、「日本人だ」といえば、多くの国で敬意を払って遇される。あまりにも恵まれた状況ゆえ、多くの者がそれに思い致すこともなく、またその恵みが、自身の力ではなく、先人の尽力によりもたらされていることに気づいてすらいない。

 一方、政治亡命者として異国に暮らすウイグル人らからは、感銘受ける場面が数々あった。しかも、苦境にある彼らが日本へ寄せる「思い」に驚かされた。

 5年前に国を出てフランスへ亡命し、今はパリから100キロのところで一人暮らしをしている初老のウイグル男性。彼は3年前のウルムチ事件で、2人の息子を中国当局に殺された人だが、私に会うと、自身のことより先に、昨年の東日本大震災の話を始めた。「日本も大変だったね」と。

 この人はテレビで津波の報道を見た数日後、自宅からパリの日本大使館へ向かったという。被災地に寄付をするためだ。寄付窓口は他にもあったが、この機に乗じ詐欺などする団体もあるかもしれず、確かな窓口である日本大使館へ出向いた。

 対応した大使館職員は彼のIDを確認し、「あなたは難民の身の上なのにここまでわざわざ寄付に来てくださったんですか」と驚いたという。しかし、彼は、「私のことは心配しなくていい。少額だが、とにかくこの金を日本の困っている皆さんに届けてくれ」と言って寄付をした。

 私がお礼を言うと、彼は言った。「私の息子たちは当局に殺されたが、それは自分の意志で民族のため抵抗した挙句の死。だからいいんだ。しかし、津波で家族を喪った日本人はそうじゃない。まったく不慮の死。こんな気の毒なことはない」。

 日本人はこの言葉を聞いて何を思うか? それほどまでに日本を思ってくれてありがたい、とは誰もが思うだろう。しかし、「自らの意思で民族のため闘った息子たちの死は、無念でない」という彼の言葉の意味を、一体どれほどの現代日本人が共有できるだろうか。世界一恵まれた国の民たる私たちは、最も肝心なものを喪っているのではないか。あらためてそう思わされた旅だった。

平成25年1月11日更新



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有本 香(ありもと かおり)
ジャーナリスト