各社の教科書を読む 歴史編7|新しい歴史教科書をつくる会

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秀吉の朝鮮出兵―「侵略」のダブルスタンダード




今回、満州事変と支那事変を侵略と表記する教科書が3社だけとなり、近代における日本の大陸への進出を侵略と表記する教科書は大きく減った。一方、従前どおりに侵略の表記が跋扈しているのが秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)だ。

前回も侵略表記のなかった自由・育鵬を除けば、帝国書院が唯一前回「朝鮮侵略」だった小見出しを「文禄・慶長の役」に改めたが、新規参入の学び舎を含め5社が相変わらず秀吉の朝鮮出兵を侵略と表記する。

侵略の用語が今日的意味合いで使用されるようになったのは近代国民国家形成以後、20世紀になってからであり、その定義も曖昧なままこれを近世に遡って用いるのは不適切ではないか。


元寇とのダブルスタンダード

一方、同じく前近代の対外戦争である、元寇はどうだろうか。文禄・慶長の役を「秀吉の朝鮮侵略」とするならば、元寇は「フビライの日本侵略」と表記するのが自然だと感じるが、元寇を侵略と表記するのは学び舎のみだ。

東書・教出・清水・帝国の4社にいたっては元寇の説明において「遠征」との用語を用いている。大陸から日本への進出は「遠征」でその逆だと「侵略」との表記は一体いかなる基準に基づいているのか。ダブルスタンダードとしか言いようがない。

学び舎は元寇と秀吉の朝鮮出兵を比べた際、前者の方が圧倒的に記述量が少ない、日本側の被害も書かれないなど別の観点でのダブルスタンダードが存在しており、これも侵略の用語について整合性が取れているからといって評価することはとてもできない自虐史観教科書だ。

秀吉の朝鮮出兵は、確かに失敗に終わった。日本と朝鮮の双方を疲弊させ、大きな損害を与えたのも確かである。しかし、元寇とのダブルスタンダードな評価は我が国の中学校の歴史教科書として適切と言えるのだろうか。


朝鮮出兵の本質と評価

また、秀吉の朝鮮出兵が、スペイン・ポルトガルによる世界各地の植民地化という国際情勢の中で行われたという国防的意味合いを読み解ける教科書になっているのも自由社と育鵬社のみである。朝鮮半島に侵略し、損害を与えたというだけの旧来の自虐史観的教科書記述では秀吉の朝鮮出兵の本質を捉えることはできない。

近代史の侵略表記が改善される中、自分だけが侵略と断罪され続ける不当な評価には豊臣秀吉もあの世で不本意に感じている事だろう。近代史同様、秀吉の朝鮮出兵における侵略表記についても今後の改善を期待したい。





平成27年7月8日更新